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第9章 記録にない名

 それは、記録だった。


 誰に見せるためでもなく、

 残すつもりすらなかったもの。


 埃をかぶった地下書庫。

 コンクリートの壁に、古い木製の棚。

 そこに、まとめて放り込まれたノートがある。


 表紙は、ない。

 日付も、署名も。


 ただ、最初のページに、

 震えるような文字で、こう書かれていた。


 ――選ばれた。


 以下は、断片だ。


 我々は、八つ。

 徳を宿す珠に、確かに選ばれた。


 理由は分からない。

 だが、力はあった。

 闇を祓い、人を救う力が。


 誰もが、誇らしかった。


 ページが、進む。


 最初のうちは、うまくいっていた。

 人は助かり、街は守られた。


 だが、次第に、

 闇は「強く」なった。


 いや、

 我々が、闇を強く“見すぎた”。


 文字が、乱れ始める。


 一人が言った。

「すべてを知れば、すべてを救える」と。


 彼は、最も真面目だった。

 最も優しかった。

 そして――

 最も、闇を直視した。


 次のページは、破れている。


 その次。


 彼は、変わった。

 力が増した。

 理解が深まった。


 闇の声を、

 “意味”として受け取るようになった。


 我々は、恐れた。


 文字が、かすれている。


 止めようとした。

 だが、彼は言った。


「これは、必要な痛みだ」

「人は、痛みなしでは変われない」


 ――それは、

 かつて我々が、

 自分たちに言い聞かせていた言葉だった。


 さらに、進む。


 最初に、封じるという選択が出たのは、

 彼のためだった。


 倒せなかった。

 殺せなかった。


 彼は、

 我々と同じ“選ばれた者”だったからだ。


 数ページが、まとめて黒く塗りつぶされている。


 その上に、後から書き足された一文。


 名前は、記さない。


 記した瞬間、

 それは“王”になる。


 最後のページ。


 そこだけ、文字がはっきりしている。


 我々は、彼を封じた。

 闇とともに。


 だが、理解している。


 彼は、

 闇に堕ちたのではない。


 我々が、

 彼を闇にした。


 その下に、

 小さく、追記がある。


 次に現れる“仁”の珠の持ち主には、

 決して、真実を教えるな。


 あれは、

 耐えられる者ではない。


 ノートは、そこで終わっている。


 ページの隙間から、

 赤い染みが滲んでいる。


 血か、

 それとも、

 別の何かか。


 書庫の奥で、

 微かに――笑う声がした。


「まだ、残っていたか」


 姿は、見えない。


「優しいな。

 彼らは、いつも」


 闇が、ゆっくりと揺れる。


「だからこそ――」


 声が、低くなる。


「同じ過ちを、繰り返す」


 闇は、

 名を名乗らない。


 王であることを、

 拒むように。


 そして、

 誰かが“仁”を選ばれるたび、

 静かに、待つ。


 ――自分の続きを。

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