第6章 最初の罪
雨は、静かだった。
夜の住宅街。
街灯の下で、濡れたアスファルトが鈍く光っている。
「……来たか」
声をかけてきたのは、
駅前で人を斬った――あの少年だった。
名前も知らない。
でも、忘れられるはずもない。
「呼んだの、お前だろ」
俺は距離を取ったまま言った。
少年は、疲れ切った顔で笑う。
「来ると思った」
「……話があるって言われただけだ」
「それで十分だ」
ポケットから、青白い宝珠が覗く。
弱く、揺れる光。
「……人、助かったのか」
しばらくして、俺は聞いた。
少年は答えなかった。
視線を、地面に落とす。
「……生きてる」
小さな声。
「でも、一生残る傷だ」
胸の奥が、軋んだ。
「俺は、守ったつもりだった」
少年は続ける。
「影が見えた。
はっきりと。
あいつに、取り憑いてた」
あのときの光景が、蘇る。
影。
そして、血。
「でも……力は、俺の思った通りには――」
言葉が、震えた。
「人にも、効いた」
沈黙。
雨音が、やけに大きく聞こえる。
「……それでも、斬った」
少年は、顔を上げた。
その目は、赤く充血している。
「考える前に、体が動いた。
“正しい”って、頭のどこかで――」
拳を、強く握りしめる。
「……誰かが言った」
俺は、ぽつりと言った。
「徳は、人を救うとは限らないって」
少年は、苦笑した。
「知ってる」
「知りすぎてる」
その言葉が、刺さる。
「俺さ……」
少年は、宝珠を見る。
「選ばれたとき、嬉しかったんだ」
意外だった。
「特別になった気がして。
意味があるって思えて」
雨が、強くなる。
「だから、守らなきゃって思った。
間違えちゃいけないって」
声が、掠れる。
「……でも、間違えた」
少年の肩が、わずかに震えた。
「それでも、
もう一回、同じ場面に立ったら――」
言葉が、途切れる。
「また、斬る」
即答だった。
俺は、何も言えなかった。
「だって……
そうしないと、俺は俺でいられない」
その言葉の重さが、分かった気がした。
正しさに、縛られている。
救うという役割に、
逃げ場を塞がれている。
「……お前のは」
少年が、俺を見る。
「人を殺せないんだろ」
「……ああ」
「羨ましいよ」
はっきりと、そう言った。
「一線が、最初から引いてある」
胸が、痛んだ。
「でもな」
少年は、静かに言う。
「その線を、
いつか越えなきゃいけない日が来る」
俺は、首を振った。
「来ねぇよ」
「来る」
断言。
「闇が、そうさせる」
その瞬間――
空気が、変わった。
影が、街灯の下で蠢く。
ゆっくりと、形を持ち始める。
「……来たか」
少年は、前に出る。
「下がれ」
「待て」
俺の声は、届かなかった。
刀が、現れる。
青白い光。
影が、人の背後に――
逃げ遅れた男の影に、絡みつく。
「やめろ!」
俺は、宝珠を握る。
紅蓮の小手が、片手に現れる。
影に、殴りかかる。
同時だった。
少年の刀が、振るわれる。
影は、消えた。
だが――
男が、倒れた。
血は、出ていない。
だが、意識がない。
「……っ!」
少年の顔が、歪む。
「また……」
その場に、膝をついた。
俺は、男の元へ駆け寄る。
息は、ある。
救急車を呼ぶ声が、遠くで上がる。
「……俺は」
少年が、呟く。
「これでも、戦うしかない」
俺は、何も言えなかった。
ただ、分かった。
これが――
最初の罪。
正しさから、逃げられなくなった者の。
俺の小手は、
男に触れても、何も起きなかった。
それが、
少しだけ――
怖かった。




