第4章 闇の王
その夜、夢を見た。
――いや。
夢だと、言い切るには感触が生々しすぎた。
足元が、なかった。
落ちている感覚はない。
ただ、立っている。
黒い。
どこまでも、黒い。
闇の中なのに、目を閉じている感じがしない。
むしろ、見えすぎている。
「……またかよ」
声が、やけに遠くに響いた。
ポケットを探る。
いつもの癖だ。
だが、そこに宝珠はない。
代わりに、背後で――
気配が、揺れた。
振り返る前から、分かる。
いる。
「……誰だよ」
返事は、すぐに来た。
「名前は、ない」
低い声だった。
怒ってもいない。
笑ってもいない。
男か女かも分からない。
年齢も、距離も。
ただ、そこに“在る”。
「……じゃあ、なんで出てくる」
俺は、強がるみたいに言った。
「お前が、来たからだ」
「来てねぇよ。
勝手に――」
「皆、そう言う」
言葉が、被さった。
不思議と腹は立たなかった。
怖いはずなのに、
逃げなきゃいけないのに。
「……俺に、何の用だよ」
しばらく、沈黙。
闇が、わずかに――呼吸したように揺れる。
「確認だ」
「何を」
「お前は、まだ人だ」
意味が、分からない。
「当たり前だろ」
「そうか」
それだけで、声は少し――
安堵したように聞こえた。
次の瞬間、視界が歪む。
黒の中に、無数の影が浮かび上がる。
泣いている影。
怒っている影。
祈っている影。
どれも、人の形をしていた。
「……なんだよ、これ」
「願いだ」
「……は?」
「捨てられなかったもの。
押し付けられたもの。
叶わなかったもの」
影たちは、こちらを見ていない。
ただ、どこか遠くを向いている。
「……関係ねぇよ」
思わず、吐き捨てた。
「俺は、ただ――」
言葉が、詰まる。
ただ、生きたかった。
逃げたかった。
それだけだ。
「それでいい」
闇の声が、静かに言った。
「お前は、正しい」
胸の奥が、ざわつく。
「……やめろ」
「何が」
「そういう言い方」
理由は分からない。
でも、嫌だった。
「正しさは、重い」
闇が、少し近づいた――気がした。
「だから、持ちすぎると壊れる」
「……俺に、何をさせたい」
「何も」
即答だった。
「お前は、選ばれていない」
心臓が、跳ねた。
「……じゃあ、なんで――」
「居座られただけだ」
その言葉の意味は、理解できなかった。
けれど、なぜか――
妙に、しっくり来た。
「それでいい」
「お前は、そのままでいい」
闇が、遠ざかる。
「……待て」
伸ばした手が、何も掴めない。
「俺は――」
声が、最後に一言だけ残した。
「俺は、お前になるな」
世界が、反転する。
目を覚ますと、天井だった。
汗で、シャツが張り付いている。
心臓が、うるさい。
「……なんだよ、それ」
呟いて、起き上がる。
ポケットを探る。
赤い宝珠が、そこにあった。
冷たい。
でも、確かに、在る。
窓の外は、朝だった。
普通の音。
普通の光。
なのに――
影だけが、少し長い。
俺は、それを見ないようにして、
制服に袖を通した。
理由なんて、知らない。
でも。
あの闇は、
俺を――
敵だとは思っていない。
その事実だけが、
胸の奥に、重く残っていた。




