第17章 影のある場所
朝だった。
特別な光じゃない。
いつもと同じ、少し白っぽい朝。
目を覚ますと、
天井があって、
カーテンが揺れている。
「……生きてるな」
声に出すと、
妙に現実味があった。
胸に手を当てる。
ポケットを探る。
――宝珠は、ない。
焦りは、なかった。
それでいいと、
もう分かっている。
街に出る。
ニュースは、
「原因不明の集団混乱」だとか、
「一時的なパニック」だとか、
そんな言葉でまとめられていた。
いつも通りだ。
世界は、
説明できないことを、
無理に説明しない。
交差点。
信号待ちの人たち。
俺は、
無意識に――
足元を見る。
影が、ある。
みんな、
ちゃんと。
長さも、形も、
ばらばらだ。
それが――
少しだけ、嬉しい。
「……あ」
不意に、声をかけられる。
振り返ると、
あのときの少女だった。
高架下で、
守った――
守れたかどうか、分からない少女。
「……あの」
言葉に、迷っている。
「……夢、みたいだったんですけど」
俺は、少し考えてから言う。
「夢だよ」
「……やっぱり?」
「忘れろ」
少女は、
少しだけ困った顔をして――
それから、笑った。
「……でも、
影だけは、
ちゃんと覚えてます」
そう言って、
走り去る。
俺は、追わない。
それでいい。
昼。
学校。
職場。
商店街。
日常は、
何事もなかったみたいに進む。
刃の男も、
知りすぎた少年も、
もう――
戦っていない。
誰も、王にならなかった。
夕方。
河原に座る。
水の流れを、
ぼんやりと眺める。
「……なぁ」
誰に向けたわけでもなく、
呟く。
「これで、
よかったのか」
返事は、ない。
でも。
影が、
ゆっくりと揺れる。
それだけで、
十分だった。
力は、ない。
闇は、ある。
人は、
間違える。
逃げる。
選ばない。
それでも。
誰か一人に、
全部を押し付けなければ――
世界は、続く。
俺は、立ち上がる。
帰る場所が、ある。
殴る必要も、
封じる必要も、
もう――ない。
ただ、
生きる。
影と一緒に。
それが、
仁なんだと――
今は、思える。
空が、
少しだけ、
赤く染まっていた。
――完――
『紅蓮の仁』
この物語には、
分かりやすい「悪」は、ほとんど登場しません。
鬼も、妖怪も、
そして「闇の王」さえ――
何かを壊すためだけの存在ではありませんでした。
彼らはただ、
人が見ないようにしてきたものを、
見える場所へ引きずり出しただけです。
仁の宝珠が選んだ主人公は、
強くも、正しくも、立派でもありません。
逃げます。
迷います。
戦わない選択をして、
その結果に傷つきます。
それでも彼は、
「誰かの代わりに王になる」ことだけは、
最後まで拒みました。
この物語で描きたかったのは、
世界を救うことではありません。
闇を消すことでも、
正しさを証明することでもない。
重さを、分けること。
選ばなかったこと。
間違えたこと。
傷つけてしまったこと。
それらを、
誰か一人の責任にしない――
その覚悟こそが、「仁」なのだと。
影は、消えません。
人がいる限り、必ずそこにあります。
でも、影がある場所にこそ、
人は立てる。
光だけの世界では、
足元が見えなくなるからです。
もしこの物語のどこかで、
あなた自身の影を思い出したなら。
それは、
この物語が終わったあとも、
続いている証です。
――影のある場所で、
今日も、誰かが生きている。
それで、いい。




