第12章 宝珠の沈黙
最初は、
落ちたのだと思った。
足元が、抜ける。
だが、
風はなかった。
重力だけが、
曖昧になる。
「……っ」
声が、出ない。
次の瞬間、
地面に――
立っていた。
夜でも、昼でもない。
空は、色を持たず、
遠くで、何かが燃えている気配だけがある。
「……どこだ、ここ」
返事はない。
宝珠を探る。
胸元に――
ある。
だが、
触れても、反応しない。
震えも、熱も、
何も。
「……冗談だろ」
一歩、踏み出す。
足音が、
やけに大きく響く。
前方に、
人影が見えた。
近づくにつれ、
それが誰か――
分かってくる。
「……俺、かよ」
少し前の自分。
警察から逃げて、
路地に追い込まれて、
必死だった頃の顔。
そいつは、
こちらを見て――
笑った。
「助けろよ」
声が、重なる。
影が、
背後に――
現れる。
闇の住人。
見覚えがある。
最初に、
宝珠を拾った夜の――
あれだ。
「……来るな」
宝珠を握る。
――何も起きない。
小手は、出ない。
「……クソ!」
闇が、
迫る。
殴れば、
終わる距離。
だが――
殴れない。
拳が、
空を切る。
闇は、
過去の自分に、
手を伸ばす。
「助けろって、言ってんだろ!」
叫びが、
刺さる。
俺は、
前に出る。
体を、
盾にする。
痛みが、来ると思った。
だが。
何も、起きない。
闇は、
通り抜けた。
過去の俺は、
闇に飲まれ――
消える。
「……っ」
息が、詰まる。
地面が、
揺れる。
景色が、変わる。
今度は、
商店街。
あの夜。
俺が、
行かなかった夜。
人影が、
倒れる。
刃が、
振るわれる。
「……やめろ」
分かっている。
これは、
再現だ。
変えられない。
それでも――
足が、動く。
宝珠は、
沈黙したまま。
誰も、
助からない。
音が、消える。
次の瞬間、
声がした。
「殴れば、終わる」
振り返ると、
影が立っている。
闇の王ではない。
もっと、
人に近い形。
「ここでは、
殴れば――
すべてが、止まる」
「……代わりに?」
「どこかで、
誰かが、壊れる」
拳が、
熱くなる。
殴ればいい。
楽になる。
正義の形を、
取れる。
でも。
胸の奥が、
拒んだ。
「……それじゃ、
同じだ」
影は、
少しだけ、
首を傾げる。
「では、選べ」
「……選ばねぇ」
声は、
震えていた。
「救えないなら、
救えないって――
立ってる」
沈黙。
宝珠が、
小さく、音を立てる。
ピシッ。
赤い表面に、
細いひび。
景色が、
崩れる。
足元が、
消える。
落ちる。
今度は、
本当に。
――――
目を開けると、
夜の路地だった。
見慣れた匂い。
街の音。
「……戻った、のか」
宝珠を、見る。
ひびは――
残っている。
だが、
不思議と、怖くなかった。
「……逃げられねぇな」
誰に言うでもなく、
呟く。
この先、
戦っても、
戦わなくても――
失う。
それでも、
立つしかない。
宝珠は、
まだ――
沈黙していた。
それが、
答えだった。




