第10章 選ばない選択
雨が、降っていた。
強くもなく、弱くもない。
ただ、世界を均一に濡らす雨。
街外れの高架下。
人の通らない場所。
それでも――
闇は、ここに集まっていた。
「……来すぎだろ」
俺は、小さく呟く。
ポケットの中で、宝珠が静かに熱を持つ。
叫ばない。
急かさない。
ただ、在る。
影が、地面から滲み出す。
人の形。
獣の形。
形になりきれないもの。
数は――
数えるのを、やめた。
「……いいぞ」
息を整える。
宝珠を、強く握る。
紅蓮の小手が、両腕に現れる。
爪は、短いまま。
――伸ばさない。
それだけは、決めている。
影が、動く。
俺も、動く。
殴る。
受ける。
耐える。
裂ける音は、しない。
砕けるだけだ。
時間が、かかる。
効率は、悪い。
でも。
背後で、
小さな足音がした。
「……?」
振り返る。
高校生くらいの少女。
傘もささず、震えている。
「……見えるのか」
少女は、首を横に振る。
「……何も、見えない」
それでも、
ここにいる。
偶然。
それとも――
導かれたのか。
影が、少女の方へ滲む。
「っ!」
俺は、迷わず前に出た。
影を、殴る。
殴り続ける。
数が、多すぎる。
「……間に合わねぇ……」
そのとき。
胸の奥で、
何かが――
囁いた。
――伸ばせ。
――力を。
――一瞬で、終わる。
爪が、
わずかに――疼く。
あの感触。
快い、あの感覚。
少女の、怯えた目。
「……違う」
俺は、歯を食いしばる。
「それじゃ、意味がねぇ」
影が、腕に絡みつく。
痛み。
それでも、
少女の前には、立ち続ける。
「……大丈夫だ」
誰に言ったのか、分からない。
その瞬間。
影が、動きを止めた。
いや――
退いた。
ざわめく気配。
躊躇。
闇が、
俺を――
測っている。
「……来ないなら」
俺は、一歩、踏み出す。
「来るまでだ」
拳を、握る。
紅蓮の光が、
派手ではなく、
静かに、深く燃えた。
影が、崩れる。
一つずつ。
確実に。
時間は、かかった。
だが、
最後の影が消えたとき――
そこに、誰も倒れていなかった。
小手が、音もなく消える。
爪も、ない。
俺は、その場に座り込む。
「……終わった、ぞ」
少女が、恐る恐る近づく。
「……今の……」
「見てないなら、いい」
即答した。
「忘れろ」
少女は、少し考えて、
小さく頷いた。
そして、走り去る。
一人になる。
雨が、少しだけ弱まっていた。
そのとき――
背後から、声がした。
「それで、よかった」
振り返る。
誰もいない。
「お前は、選ばない」
昨日の夢と、同じ声。
「だからこそ――
最も、遠い」
「……何の話だよ」
「まだ、知らなくていい」
闇は、姿を見せない。
「だが、いつか」
「お前は、
俺の前に立つ」
胸が、少しだけ重くなる。
「そのときは――」
俺は、立ち上がる。
「殴るだけだ」
闇が、
静かに――
笑った気がした。
「それが、仁だ」
声は、消える。
雨も、止んでいた。
俺は、空を見上げる。
理由は、分からない。
真実も、知らない。
でも。
選ばないという選択だけは、
間違っていないと――
なぜか、思えた。




