鬼ごっこ
静止しているゴブリンたちを尻目に、ゴブリンエンペラーがすっと息を吸い込んだ。
グッと歯を噛み締めたと思ったら、視線を天井に移す。そして大きく口を開けた。
「ウオォォォオオオッッッ! ガォギ、ガゴォォォオオオッッッ!!!」
洞窟全体を叩きつけるような咆哮が炸裂する。
空気が震え、岩肌が唸り、足元から衝撃が伝わってきた。
それでも私は、耳を塞がなかった。
ただ、真っ直ぐに。ただ真っ直ぐに、咆哮の主であるゴブリンエンペラーを見つめ続ける。
やがて叫びは途切れ、残響だけが微かに空気を震わせていた。
その震えも遠ざかると同時に、洞窟は先程までの喧騒が嘘のような静寂に包まれた。
ゴブリンエンペラーは、私を睨みつけ、そして私のように動くことはしない。睨みだけで、場を支配する。
ゴブリンエンペラーの目からの威圧だけで、空気がピリピリと痛い。肌に針を当てられているようだ。
これでも私はスキルに守られている状態。スキルが無い状態なんて考えたくもない。
私の視界に入っている小さなゴブリンたちは、私と同じ威圧をじかに受けているのか、体をガクガクと震わせていて、立ったままに泡を吹いていた。
スーッと息を吸い、長く吐く。それをもう一回繰り返す。吐き終わり、グッと足に力を込める。
「全速力でッ!」
スっと、ゴブリンエンペラーへの視線を切る。
そして、視界に浮かぶカーソルに従い、指し示された洞窟の穴へと全速力で駆け出す。
穴に身を滑り込ませた、その瞬間。
ドァンッ!
地面が裏返るような衝撃と轟音が背後から叩きつけられる。
一瞬で理解した。
ゴブリンエンペラーが、追ってきていることを。
ガンッ! ガンッ! ズガガガッ!
穴に入ってなお、後ろからの振動が強まっている。
「全速力で走ってるのに、あんな巨体でココ通れるのは嘘でしょ」
見ないでもわかる。ゴブリンエンペラーは穴を掘り進んで来ている。
NEWと来て、【英雄:リゼリア・位置情報更新中】と目の前に出てきた。
「なに? 更新?」
英雄の場所を指し示していたカーソルも固まってしまった。
「待って、英雄は動いてるの? 捕まってるなら動かないはず……ていうことは」
走りながら舌打ちする。
「ゴブリンと一緒にいる可能性が高い」
前に繋がる穴は枝分かれしていって、通り過ぎる度に、枝分かれする通路は狭く、天井が低くなる。
迷えば終わりだが、これ以上ゴブリンエンペラーが追って来れなくなると思うとラッキーだ。
できるだけ通路が狭い道を選んで走ってきた。ついに私の運も尽きる。
「行き止まり」
しかも通路の先は体育館ぐらいに広い。
「運と体力だけは自信があったのに」
ピッ!
視界に、薄く光る線が伸びる。
英雄のいる方向への最短距離を示した。
それは私の進行方向、よりも少し右。
「……ありがたいけど、このガイド、優しくはないね」
【英雄まで10m】
示された方向には、壁。
道はここで、行き止まり。
「本当に最短距離。ということは」
走りながら、ポンっと目の前の壁にジャンプして、壁に両足を預けた。
「体育の授業ぶり」
脳裏に失敗がチラつく。
「でも!」
ふわっと背面跳びで、後ろに飛ぶ。
私はハードルを飛び越えるように、弧を描く。
頭上を巨体が通過した。
「こいつを使えってことね!」
ドォンッ!!!
背後で、大きな音が鳴る。
空中で縦に一回、さらに一回転をし、地面に両足をつけて着地する。
「10点!」
頭を上げると洞窟の壁が無くなり、粉塵が舞っていた。
ゴブリンエンペラーは、道なんて選ばない。
「背面跳び、結構上手く決まったんじゃない」
私は、迷わずその出来たての道に飛び込んだ。
落ちている松明が一本。
その揺れる炎に照らされて、一人の少女が床に座り込んでいる。
年の頃は、私と大きくは変わらない。
だが、服はところどころ裂け、灰色に染まり、踏み荒らされた跡でぼろぼろだった。
手首には、手錠があって、髪は何度も掴まれ、引きずられたのだろう。不自然に束なった髪が混じっている。
尻もちをついたまま、彼女は顔を上げた。
大きな瞳。
怯えきっているはずなのに、その瞳は折れていなかった。視線は逃げず、松明の炎越しに、私をまっすぐに捉えている。
「リゼリアちゃん」
私の口から少女の名前が出てきた。間違いないと確信する。
「まぁ、捕まってる人は一人って知ってたし」
軽口を言った直後、背後で岩が砕ける、ズンッと重い音がした。
空気が、沈む。
壁を壊した張本人が、私の後ろにいる。
ゴブリンエンペラー。
松明の炎が、引きずられるように横へ揺れた。
光が歪み、影が異様に引き伸ばされる。
「くっ!」
ありったけの力を足に込める。スタートダッシュを決めて、リゼリアちゃんを両手で抱える。
チッ、と後ろに掠った感触があった。
左からの爆風にやられて、横方向に回転する。
四、五と回転して、キュッと止まる。
ゴブリンエンペラーと私の視線が合う。
唸り声が、喉の奥で低く鳴った。それは咆哮ですらない。『逃がさない』という意思表示だった。
ゴブリンエンペラーの威圧で、少女は息ができないはずなのに、その奥で、必死に足掻いている。
ただ強い意志を瞳に残して。
「これが英雄」
私は、そう直感した。
理由は分からない。ただ、そう感じた。
捕まり、怯え、傷つけられ、それでもなお、折れなかった少女は、勇気をくれる。
【敗北しました】
私の視界の中央には、見たくもない文字が羅列され、息が荒くなり、膝が笑った。
楽しかった! 続きが気になる! という方は☆☆☆☆☆やブクマをしていただけると嬉しいです!
作者のモチベーションの一つになりますのでよろしくお願いします!




