選択
部屋を出て、扉を閉めた。
厚い扉が背後で静かに噛み合い、重たい音を立てて閉じる。
それだけで、さっきまでの空間と切り離されたような気がした。
目の前には左右に長い廊下が伸びている。
石造りの床は冷たく、壁には細い装飾が刻まれている。
天井は高く、遠くの方は薄暗く霞んでいた。
どちらへ進めば外に出られるのか、まったく見当がつかなかった。
「戻って聞こうか……」
思わず呟く。
けれどその言葉を口にした瞬間、私はぶんぶんと首を横に振った。
「いやいや、あの聖女さん……」
さっきの光景が頭に浮かぶ。
部屋を出る直前。
聖女さんは、学友たちの前で頭を下げていた。
白い法衣が床に触れそうなほど深く。
必死に。
懇願するように。
「みんなに頭を下げてまでお願いしてたし」
私は腕を組み、小さく息を吐く。
「そこに私が戻って、シリアスな空間に水を差すのは……さすがに気まずい」
うん、と一度頷く。
自分の中で結論が出た合図。
「……まぁ、適当に歩けば出られるでしょ」
右か、左か。
それはまるでRPGの選択肢のようだった。
画面の中に現れる二つのコマンド。
【右】
【左】
そのどちらかを選ぶだけの、単純な分岐。
そう思うと、少しだけ胸が躍る。
こんな状況なのに、ワクワクしている自分がいる。
楽観的すぎるだろうか。
でも、この感覚はきっと……。
【遊び人】
その職業のせいだ。
前の世界にいた私よりも、今の私の方が、ずっと気楽に物事を考えている気がする。
怖さより、面白さ。
不安より、好奇心。
そんな思考が、自然と浮かんでくる。
「よし、左!」
心の中でカーソルを【左】に合わせる。
カチッ、と決定音が鳴った気がした。
私は左の廊下へ歩き出す。
足音が石の床に軽く反響した。
歩きながら、ふと手元の巾着袋に目をやる。
この巾着袋は金貨が入っているらしい。よく見ると、袋の口の刺繍がやけに精巧で、糸が淡く光って見える。
ここは異世界だ。この巾着袋が魔法の袋と言われれば信じる自信はある。表面は布製で柔らかく、揉むとゴツゴツしていて堅い物が沢山入っていると分かる。これが金貨だろう。
「裕福な生活が五年もできるって言ってたよね。家に帰れないのは残念だけど、安い家を買って、のんびり野菜なんかを育てて、スローライフでも満喫しちゃおっかな」
歩くのをやめて、目をつぶる。
「暖かな家、新鮮な野菜、そして私の笑顔」
うん。
「なんか楽しみになってきた!」
少しの不安は、一瞬で過去になる。
「聖女さんには感謝だね。あっそうだ。金貨が何枚あるのかは確認しておかないと」
巾着袋を開けた瞬間、床が消えた。
「えっ!?」
足の裏から支えがなくなり、全身を浮遊感が包む。
視界がぐにゃりと歪み、耳の奥でピュンッ! という軽い音が弾けた。
周りの景色が黒く染まり、巾着袋からシュンっ! と何かが飛び出す。
「はッ!」
その何かを目で追うと、その何かは白く光る小さな玉みたいだった。玉は空中で止まり、空中にふわりと浮かんでいる。
【設定されたモンスター:ゴブリン】
【検索中……】
小さな玉の上に、水晶玉の上で見たようなシステムウィンドウが現れる。
ピッ、ピッ、ピッ、と、異世界らしからぬ電子音が鳴り響き……。
【特定しました。転移を開始します】
「どこに!」
私の問いに答えは無く、視界が再び歪む。
ピュンッ! ピュンッ! と連続で音が鳴り、次の瞬間には足の裏に硬い地面の感触があった。
「うわっ!」
急なことに足踏みをして、尻もちをついた。鈍い衝撃が腰を直撃する。
「いっ……た〜!」
涙目になりながら、辺りを見渡す。
「……どこ、ここ?」
まだ小さな玉は空中に居座っている。
【転移中にエラーが挿入されました】
【検索中……】
そしてシステムウィンドウのメッセージが変わっていた。
「え、エラー? なにそれ?」
ここは、さっきまでいた廊下ではなかった。
岩肌が湿り気を帯びた洞窟。
ひんやりとした空気が肌を刺し、一つしかない出入り口からは、かすかに血と獣の臭いが漂ってくる。
「何この匂い」
「「「ギャッ、ガリュガッ!!!」」」
「うるさ」
耳をつんざく掠れた甲高い声。
洞窟の出入り口の方から聞こえてくる。私は尻もちから立ち上がって、おそるおそる出入り口の外を覗いてみた。
「すご」
そこには大きな空間があり、四方の壁は高層マンションのように見上げるほど高い。そして壁には規則正しくはないが、アリの巣状に沢山の穴が空いていた。
「「「ガリュガッダ!!!」」」
大きな声につられて、下を見てみてば、わらわらと沢山の小さな影が動いている。
目を凝らすと、段々とハッキリと見えてくるのは、緑色の肌に子供のような小さな体躯。
【レアランク:C】
【モンスター:ゴブリン】
【レベル:12】
ピンッ! と、音がなり、モンスターの上にシステムウィンドウが現れた。
「……モンスター? ゴブリン? レベル? もうほぼゲームじゃん。しかもランクC、職業ランクFの私よりも高い」
ピン、ピピピピピン! と、大量のゴブリンの上にシステムウィンドウが表示された。
「おっ!」
見渡してみても、ゴブリンの違いは分からない。でも一体一体のレベルは違っていた。
「レベル10から15が平均して多いのかな。最高でも15だね」
このレベルが何を指してるのか分からない。分からないことばっかりだ。
「こんなに集まって何してるんだろう」
暗い洞窟にパッ、パッ、パッと松明の炎が照らされる。
洞窟中が照らされると、一気にゴブリンたちは静かになった。ゴブリンたちは一点を見つめているようで、私もゴブリンたちの視線の先に視線を持っていく。
さっきまで大きな岩だと思っていたところに大きな玉座があり、そこには王冠を被っている筋肉隆々の大きなゴブリンがいた。大人の象よりもデカイ。
【レアランク:???】
【モンスター:ゴブリンエンペラー】
【レベル:???】
ゴクリと唾を飲み込む。
「名前以外何も分からない」
肘置きに寄りかかっていたゴブリンエンペラーの視線が急に私に向いた。
蛇に睨まれた蛙のように身動きが取れない。
ゴブリンエンペラーの名前欄にノイズが走ると、
【レアランク:???】
【モンスター:???】
【レベル:???】
名前すら分からなくなった。




