2- 14 ベンチに座る女性たち
「あれだよ」
作業服男の霊・田中が立ち止まり前方を指差すと、その隣を歩いていた結羽は歩みを止めた。
田中が指を差す方向を見ると、50メートルほど先に白壁のアパートが見えた。白壁のアパートは2階建てで4部屋ある。
白壁のアパートは道路の北側にあった。道路に面した駐車スペースには4台分の駐車スペースがあり、その奥に白壁のアパートがある。その中央には2階へ続く階段があり、1階と2階にはそれぞれの部屋の玄関扉が向かい合う造りになっている。
結羽は田中に顔を向けた。
「あのアパートに美伽さんが住んでるのね?」
「そうだ。2階に住んでいる」
「今、いるかな?」
「ちょっと見てくる」
田中は美伽が住んでいる白壁のアパートへ向かって歩いていく。階段を素早く上がると、東側の玄関扉をすり抜けて美伽の部屋へ入っていった。すると、1分もしないうちにまた玄関扉からすり抜けて出てきた。
田中は2階から結羽に顔を向けると、無言のまま首を振った。
「いないみたいね」
結羽は白壁のアパートを見つめながら左肩にいるホイップに残念そうに言った。
田中が結羽の近くまで戻ってきた。
「部屋にいないのなら、また海を見に行ってるんだろう」
田中は南の方角に顔を向けながら落ち着いた口調で言った。
美伽のアパートから南へ徒歩10分ほどの距離に海浜公園がある。広大な海浜公園は海に面しているので、海を視界に入れながら散歩ができる。
しかし、歩き続けの結羽は、溜まった疲れを吐き出すかのようにため息をついた。
「結羽、頼む。もう少し頑張ってくれ」
田中が結羽の気持ちを汲み取ったのか、彼女に頭を下げた。
「約束だからね。頑張るよ」
結羽は作り笑いを浮かべながら答えると、南の方角にある海浜公園に向かって歩き始めた。
10分後、結羽と田中は広大な海浜公園内の遊歩道を歩いていた。やがて東京湾が一望できる海岸広場にたどり着いた。
「あそこにいる」
田中は、海岸沿いの遊歩道にある木製のベンチの1つを指差した。そのベンチにはセミロングの女性がこちらに背を向けて座っていた。
それは海を見つめる美伽だった。
結羽は田中に促されながら、ベンチに座る美伽にゆっくりと背後から近づいていく。そのとき、ベンチに座る女性が突然振り向いて立ち上がった。しかし、それは美伽ではなく、美伽の背後霊だった。
背後霊の女性は田中に気がつくと笑みを浮かべながら会釈した。田中も「こんにちは」と挨拶を返して頭を下げた。
どうやらこの2人の霊は顔見知りらしい、と結羽は直感した。
結羽も美伽の背後霊に会釈した。すると背後霊の女性は一瞬驚きの表情を浮かべたものの、すぐに事情を察したのか結羽に微笑んだ。
美伽の背後霊の女性は見た目が40代くらい。長くて美しい黒髪をしていた。
「あなた、私が見えるのね」
美伽の背後霊は結羽に声をかけると、結羽は笑みを浮かべながら黙って頷いた。
「礼子さん。こちらにいる女の子は結羽といって霊と会話ができるんです」
田中は背後霊の礼子に結羽を紹介した。
「美伽にメッセージを伝えるために来てくれたのね?」
礼子が田中に尋ねると、田中は頷いた。
「美伽は田中さんを失ってからいつも海を見ているわ。このままでは彼女の人生が前へ進まない。ぜひ私からもお願いしたいの」
礼子は結羽に頭を下げた。いま声を出すわけにはいかない結羽は、微笑みながら大きく頷いた。
結羽は動いた。ベンチに座る美伽の前にゆっくりと現れると、彼女に顔を向けた。
「すみません。私も隣に座ってもよろしいですか?」
結羽が笑顔で美伽に声をかけると、美伽は一瞬戸惑った表情を浮かべたものの、すぐに「どうぞ」と答えながらベンチの端に移って結羽が座るスペースをつくった。
「私もこのベンチから見える海が好きなんです」
結羽は適当な理由を口にしながら美伽の隣に腰を下ろした。
「そうなんですか」
美伽は海を見つめたまま事務的な口調で答えた。結羽は、そんな美伽の横顔を観察するように見つめた。肩まで伸びた茶色かかった黒髪が潮風で微かに揺れている。
綺麗な人だな。でも、とても悲しそう······。
結羽は美伽が抱く悲しみや喪失感といった感情を彼女の横顔から感じ取った。
「海、綺麗ですね」
結羽は海を見つめながら美伽の耳に届くように呟いた。しかし、美伽は無言のままだ。美伽の反応がないため、どうやって彼女との会話のきっかけをつくろうか考えた。
「失恋したふりをしたらどうかしら?」
美伽の背後霊である礼子が結羽の左後方から囁いた。結羽は礼子の提案に納得すると小さく頷いた。
「実は、私、大切な人を失ったんです······」
結羽が海を見つめ声を落としながら呟くと、美伽はゆっくりと結羽に顔を向けた。
「大切な人?」
「はい」
右隣から美伽の視線を感じた結羽は、海を見つめたまま頷いた。
「失恋したんです」
結羽はさらに声を落としながら呟き、視線も地面に落とした。
「そうなんだ。大切な人を失う気持ち、私もよく分かるよ」
美伽は結羽に共感しながらゆっくりと頷いた。
結羽は、失恋した女の子を演じながら、美伽との会話が始まったことを喜んだ。
(つづく)




