1- 20 夜の中庭で
「結ちゃん!」
結羽が玄関に立っている四郎と向き合っていると、背後の廊下から院長である橘の明るい声が響いた。
結羽が四郎に頷くと、状況を察した四郎は玄関の外へ去っていった。結羽は振り返ると、廊下の先で立っている橘に向かって駆け寄った。
「結ちゃん、廊下は走ったらダメでしょ」
橘は結羽に注意したが、その表情は優しさに溢れていた。
「あ、つい嬉しくなって廊下を走っちゃった」
結羽は橘のもとへ駆け寄ると思いっきり抱きついた。
橘はすでに50歳を過ぎていたが、過去にバレーボールをしていただけあって結羽よりもはるかに背が高い。
橘は自分の娘を抱きしめるかのように結羽を温かく腕の中に迎えた。
結羽にとって橘は幼い頃から公私ともに世話になっている「ママ」でもあった。
結羽の「ママ」である橘は、結羽の霊能力に理解を示している。そのため、今回の孤児院での怪現象を解決するためには結羽の協力が必要不可欠と判断していたのだった。
「じゃあ、結ちゃん。院長室で詳細を説明するわ」
「橘先生、その件ですけど······原因は分かりました」
「え、もう? やっぱり幽霊が悪さをしていたの?」
「はい。私の知り合いの男の子が原因です。でも、安心してください。悪い子じゃないので、必ず私が慰めて解決します」
「分かったわ。結ちゃんを信じて待ってるわね」
「はい!」
結羽は大好きな「ママ」の顔を見上げながら返事をすると、もう一度、橘に抱きついた。
数ヶ月ぶりに孤児院へ戻ってきた結羽は、院長の橘や他の先生たち、孤児院の子どもたちと挨拶を交わしたり、おしゃべりして過ごした。
夜になり、孤児院の食堂で夕食を済ませた結羽は、さっそく動き始めた。
結羽は、外灯が照らす孤児院の中庭にいた。薄暗い中庭を見渡す結羽。しかし、四郎の霊が見当たらない。そのとき、外灯の光が届かない夜の闇の中から暗い影が近づいてきた。四郎だった。
「四郎君」
結羽が呼びかけると、半袖半ズボン姿の四郎が近づいてきた。
「結羽姉ちゃん、遊ぼ!」
四郎が無邪気な笑顔で結羽に駆け寄ってきた。しかし、結羽の顔に笑みはない。
「四郎君、お話があるの。ベンチに座ろっか」
結羽が中庭にある木のベンチに腰掛けると、四郎もそれに続いた。
結羽は、四郎がベンチに座ると、四郎の顔をじっと見つめた。
「四郎君、お願いがあるの」
「お願いって何?」
「この孤児院から出ていってほしいの」
結羽のその一言に四郎は驚きの色を隠さなかった。
「えー! どうして?」
「四郎君はいつまでも孤児院にいてはいけないの。私が孤児院から自立したように、四郎君も孤児院から離れて······成仏しなきゃいけないの」
「成仏なんて嫌だ! したくない!」
四郎は駄々をこねた。
小鳥などの動物の霊なら、私が言葉で導くだけで天国に送ることができるけど······強い念を抱く人間の霊が相手では、それも難しいな。
結羽は、四郎の顔をじっと見つめながらそんなことを考えた。
「四郎君、人は死んだら天国に行くものなの」
「じゃあ、僕のお父さんとお母さんも天国にいるの?」
「うん。きっといるはずよ」
四郎は黙り込んだ。何かを考えているようだ。
「四郎君、私のお願いを聞き入れてくれる?」
「結羽姉ちゃんは、僕のことが邪魔なんでしょ!」
四郎は結羽の目をじっと見つめた。結羽は四郎の瞳から怒りと寂しさを感じ取ることができた。
「四郎君のこと邪魔なんかじゃないよ」
「じゃあ、どうして孤児院から出ていけだなんて言うの?」
「さっきも言った通り、私はもう孤児院から離れたの。だから、もう四郎君とは遊んであげられない。四郎君がここで寂しい思いをするくらいなら、天国にいる両親のもとへ行くほうが良いと思ってるからよ!」
「じゃあ、もう結羽姉ちゃんとお別れしないといけないの?」
四郎は悲しげに結羽を見つめた。結羽は四郎から目を逸らした。
両親を知らずに育った結羽には、四郎が抱える寂しさが痛いほど分かる。しかし、いつまでもこの世界で、四郎に寂しさを抱えさせたまま彷徨わせるわけにはいかない。
「お別れしないとダメなの! それが四郎君のためなの!」
結羽は四郎の目を真っ直ぐ見つめながら強い口調で言った。結羽の両目からは涙がこぼれ落ちていた。




