2-3.鈴、友達いねぇだろ
翌日、アパートの扉を開けた俺は、鈴と顔を合わせることになった。
「お、おす」
昨晩、みく姉から仲よくするよう言われたんだったと思い出し、渋々会釈する。だが、鈴はツンと顔を背けて歩き出した。同じ学校で、部屋が隣同士なのだからもっと愛想よくしたってよくね? しかも、お前、アイドルだろ? せっかく顔はかわいいのに、態度が悪すぎてかわいくねぇ。
とはいえ、不平を漏らせば、またケンカになるだろう。俺は平静を装い、鈴に続いてアパートを出る。
アパートから最寄り駅までは徒歩で約十分。そこから学校までは電車とバスで約ニ十分。以前は、片道一時間半程度かけて高校まで通っていたから、ずいぶんと楽になった。
それよりも、みく姉がこんなに近くに住んでいたと知っていたなら、俺と母さんの暮らしももう少し変わったのではないか。そう思わなくもないけれど、今さら悔いてもしかたがない。
転校しなくて済んだことを不幸中の幸いと思い、俺は通学路を歩く。
駅までの道のりで唯一の信号に引っかかり、交差点で立ち止まる。ちょうど前を歩いていた鈴に追いついた。狭い歩道では横並びにならざるをえない。だから、俺が鈴の隣に立つのは不可抗力なのだが……。そんなことを微塵にも考えていないであろう、鈴の冷たい視線が容赦なく俺に突き刺さった。
「ついてこないでよ、変態」
「同じ学校なんだからしかたねぇだろ」
「……うざ!」
おい、今絶対、俺が同じ学校だって忘れてただろ。冤罪だ。
鈴を睨みつける前に、信号が赤から青へ切りかわる。鈴は俺に目もくれず、すたすたと歩き始めた。冷たいやつめ。絶対友達いないだろ。
……あ、昨日のみく姉が言った『ヒミツ』とやらは、もしかしてこれか?
「なあ、鈴や」
ダメ元で呼びかければ、意外にも鈴はピンクメッシュの黒髪ツインテールを揺らして不機嫌そうに振り返った。
「呼び捨てにしないで。っていうか、話しかけないでよ」
「同じアパートの住人なのに、無視するのも変だろ? 学校までどうせ同じ道なんだしさ。聞きたいこともあるし」
「だから? 別にアタシはあんたと話すことなんかないし」
鈴がとどめとばかりに俺を睥睨する。だが、思っているほどダメージはなかった。
おそらく、鈴の声色に怒りを感じないからだろう。それどころか、ほんの少しだけ喜びのような淡い色が混じっているようにすら視える。俺の勘違い……はたまた、俺の共感覚が壊れていなければ、だが。
「鈴、友達いねぇだろ」
たしかめるように鈴を見る。ストレートすぎたか、と反省するもつかの間、図星とばかりに鈴が「は、はぁっ!?」と声を荒げた。
「べ、別に! っていうか、友達とかいらないし! アタシには必要ないもん!」
「いや、自分で認めんなよ。聞いたこっちが寂しくなるだろうが」
「う、うるさいっ! うるさいうるさい! ほっといて!」
顔を背けた鈴の声色を視る。寂寞と羞恥。開き直るくらいだから、嘘ではないのだろうが、やっぱりか。っていうか、これがヒミツだとすれば、あっけなさすぎね? 隠すほどのことでもないような……いや、やっぱり隠すべきか。甘酸っぱい青春時代真っただ中のアイドル女子高生が友達ゼロとか、普通、公には話せないよな。
会話も続かないまま、鈴とともに駅へと続く階段をのぼる。
彼女の黒いリュックサックについた大きな缶バッジが朝日を反射した。でかでかと書かれた『FAKES』の文字がやけに目について、俺は缶バッジをまじまじと見つめる。
アイドル、か。偶像だから偽もの、とか? それとも、疑似恋愛的な嘘つき、か。どちらにせよ尖っている。案外センスは悪くないかもしれない。少なくとも、俺は嫌いじゃない。だって、男なんかみんなそういう中二病を少なからず患ったまま大人になるもんだからな。
ふと缶バッジから顔をあげると、姿勢よくピンと立つ鈴の白いうなじが目についた。やけに眩しく感じて、ドキリとする。やっぱり、見た目はいいんだよな。
湧きあがった煽情をごまかすように、俺は再び声をかける。
「……なあ」
「なに」
「鈴って、アイドルなんだよな」
「なに、急に」
「いや、缶バッジ。悪くねえな、と思ってさ。ウィットあんな、お前」
素直にほめると、鈴は複雑怪奇な顔をして「べ、別に」と視線をさまよわせる。どうやら照れているらしい。変顔すぎるが声色は正直だ。
「あ、アタシのグループなんだから、あ、あたりまえでしょ」
続いてボソボソと呟かれた鈴の声にも、誇らしさがあった。
「マジかよ。熱いじゃん」
FAKESってグループ名かよ。むしろ、気になってきたし。あとで検索してみるか。
俺の感心っぷりに、鈴は今度こそ顔を真っ赤にしながら「あたりまえでしょ!」ともう一度言いきった。
清々しいほど嬉しそうな声色をもう少し堪能していたかったけれど、電車がホームに滑りこんでくる音にかき消されてしまう。残念だ。
改札をくぐった鈴は、のんびりと歩く俺を置いて階段を駆けおりた。女性専用車両へと乗りこみ、彼女は俺にベェッと舌を出す。
「やっぱり、かわいくねえやつ」
そんな彼女の姿を見つめ……悠長に歩いていた俺は、見事、電車に乗り遅れたのだった。