一つの財布
薄汚い部屋の中の万年床に、無精髭を生やした男が一人寝転がりながら、ぐうぐうと鳴く腹の虫を抑えるようにして煙草の煙を飲み込んでいた。
腹をさすり、腹が減ったなあと呟くみすぼらしい格好のその男には借金があった。賭け事で作った莫大なものであり、既に親戚縁者や友人などには縁を切られいた。
そうしてどうしようもない状況で目を閉じながら煙草を吹かしていた男だが、ふと部屋の中に誰かの気配を感じて目を開いた。
すると男の顔をまじまじと覗き込む、まだあどけない顔の少年と目が合った。驚いた男は思わず体を起こし、少年と頭をぶつけてしまう。
痛みに顔をしかめた男に対して、ぶつけた頭を抑えたその真っ白い服を着た少年は「おじさんはお金がなくて困ってるの?」と聞いてきた。男はなにを当たり前のことを聞いているんだと思いながら、その通りだと答える。
「ならさ、逆にお金がいっぱいあったらおじさんは幸せ?」
少年の言葉に男はああと頷く。すると少年は懐からなにか黒いものを取り出した。よくよく見てみればそれは一つの高価そうな財布だった。
少年はそれを男に渡すと、これでおじさんは幸せだねと言ってニコッと笑い、そしてふっと姿を消してしまった。
男はしばらくの間、呆然と少年がいた場所を見ていた。腹が減ったあまりに幻覚でも見ていたのかとも思ったが、しかし財布は手の中に残っている。男は何気なくその財布の中を見てみると、そこには高額紙幣が何枚も入っていた。
男は目を疑い、何度も見直してみるがそこにあるものは変わらない。身に覚えのない金なので警察に届け出てみるかとも考えたが、どこで拾ったのだと聞かれても面倒だ。
男はとりあえずその金を使い飯を食うことに決めた。
それからすぐに男はその財布がとてつもなく素晴らしいものであることに気が付いた。一度財布を空にしてからまた開くと、いつの間にかまた高額紙幣が入っているのだ。
男はその財布を使って借金を返し終え、それからさらに豪遊するようになった。
男は幸福だった。間もなくして男は金で手に入るものはすべてを手に入れたと言っても過言でもなくなった。だが、だんだんと不安になってくる。
なぜ自分はこんなに素晴らしい財布を持っているのだろう。あの子どもは悪魔だったのだろうか。
いや、そうに決まっている。ならばこの財布を使い続ける代償は一体なんだというのだ。
死後に地獄に落ちてしまうのならば、いまがどれだけ幸福でも関係がない。しかし男はもはやこの財布に依存しきってしまっており、どうしようもなくなっていた。
男はその不安を紛らわせるために豪遊し、時折我に返って恐ろしいほどの不安感に襲われ、また豪遊をして、ということを繰り返した。
傍目に見れば幸福に見えたが、男はとても自分を幸福だとは思えなかった。
同じ頃、天界で一人の天使が伸びをして嬉しそうに呟く。
「不幸な人を幸福にすると気分がいいなあ」
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