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第1話

麗花(れいふぁ)! また、じじさまが! ……って、う、うわぁ、は、離せ!!!」

 部屋に入ってきた早々。

 小柄な侍女の手にぶら下げられている夫の姿は、悪いことをした幼子が母に躾をされている姿にも見えてしまい、麗花は呆れた表情を浮かべる。彼の顔が童顔なのに加えて、少女めいた面立ちをしているせいもあるだろう。

 彼につき従ってきた宦官(かんがん)や武官たちが、主君の危機的な状況にも関わらず黙っているのは、愛らしい外見をしている侍女が怖いからだろう。

 皆一様に自分には関係がありませんと麗花の侍女から目を逸らしている。『大丈夫かしら、この国』と若干、不安になりつつも、麗花は彼に声を掛けた。

「だって旦那さまったら自分の花園とはいえ、事前に断りもなく来るんですもの。私、ならず者が入ってきたかと思ったら、怖くて、怖くて。つい、明林(めいりん)にお願いしてしまいましたわ」

「どの口が言う! あと、その気色の悪い言葉遣いをやめろ!」

 臣下たちの前でこれ以上、夫の不様な様子を見せるのも可哀想だろう。麗花は明林に仕方がなく、声をかける。

「いいわ、明林。下ろしてあげて」

 自分の言葉でようやく、明林は少年を下ろす。慌てて駆け寄ってきた宦官が乱れた彼の服を整えるのを待ってから、麗花は声をかけた。

「それでお忙しい皇帝さまが私になんの用よ。今日は他のお妃さまのところに行かなくていいの? 余暉 (ヨキ)?」

「……普通は他の妃に嫉妬をするんじゃないか」

 嫉妬という耳慣れない言葉に、麗花は首を傾げる。確かに自分は彼の後宮の花一輪ではあるが、麗花にとって、余暉は弟のような存在である。昔よりは自分の前で泣かなくなったものの、犬を必要以上に構ったことで怒らせて泣きついてきたり、いいところを見せようと登った木の上から降りられなってしまい、仕方がなく、助けた自分の衣をぐずぐずに濡らしたところばかりが浮かんでくる相手のどこに悋気(りんき)という感情を覚えればいいのかが分からない。

「皆さまとのお茶会では、どこかの皇帝の悪口で盛り上がってるわね」

「お前たち、いやお前に俺を敬う気持ちがないことはよ〜く分かった」

「後宮内で妃同士が皇帝の寵を競いあう、血みどろな争いを繰り広げるよりはいいんじゃない?」

 他国の後宮では、皇帝の愛を独り占めをするために、奸計(かんけい)を謀られたり、毒殺まで手を出される伏魔殿なんですよ! と乳母から麗花は聞いたことを思い出す。それを考えれば麗花のいる後宮は平和そのもので、皇帝の寵を得ようとするのではなく、麗花を含めた四夫人を中心として、まだ精神的にも幼い皇帝を支えようと考えている女性たちが集まっている。

 宦官たちに退去を手で促すと、彼は疲れたように椅子に腰を下ろす。麗花は彼が自分でお茶の用意をすると、余暉は毒見をさせることもなく口をつける。そのことに麗華は一瞬、眉を顰めたが、それだけ信用されているのだと、口には出さない。

「さっきも言ったが、じじさまをどうにかできないか? 俺は父上達みたいにお飾りの皇帝になる気はない」

「お祖父さまのように執務なんて忘れて享楽に耽るとか、お義父さまのように操り人形として、自我を失くせば楽だったのに、変なところで生真面目なのよね、余暉は。背は低いけど」

「背が低いことは今は関係ないだろう! お前だって狸みたいな顔をして」

「……明林」

「俺は好きだぞ、狸。……ったく。どうしたものか」

 余暉は考えこんでしまうが、既に化け物と呼んでも差し支えがなくなってしまった相手に、挑むのは難しいのではないかと彼の横顔を見つつ、麗花は思う。

 この国では他国にも民にも知られてはいけない秘密がある。今のところ、その秘密を知るのは余暉が信頼している家臣達と麗花の生家である黎家だけだ。

 余暉は明林の方へ顔を向ける。

「お前の侍女の僵尸(きょんしー)に俺のいうことを聞かせるとかは出来ないのか?」

「明林は元々、私の家、黎家に仕えてくれている子だもの。私に従うというより、お祖母さまの命令で、私に従ってくれている子よ。もしも、明林じゃなくて、私のお祝いに貰った可愛い子達を連れてきていたなら、あなたは今ごろ、パクパクと口を開く池の鯉の餌にされてるわよ?」

 彼は麗花の僵尸たちを思い出したのか、顔が青ざめていく。

 余暉が思春期を迎えた頃。麗花の姿を見るたびに避け続けられたことを相談した僵尸たちに、彼はてるてる坊主のように柱に吊り下げられ、麗花のことを可愛いと百回は言わないと簡単には下ろしてはもらえなかったことを思い出したのだろう。 

 後宮で彼の妃になると彼らに告げたとき。麗花の兄姉のような僵尸たちは、示し合わせたように余暉の暗殺の計画を立てたが、彼のいう〈じじさま〉がいたからこそ、麗花の後宮入りを許したようなものだ。

「祖先は敬わなければならないとは思うが、つい、恨みたい気持ちになってしまう」

 余暉は立ち上がると子供の頃のように、いきなり抱きついてきたので、一瞬、明林が反応しかけたが、麗花はそれを手で制す。明林に自分の行動を止められなかったこともあって、麗花に甘えていいことを悟った余暉は、自分の情けない顔を見られないように、余暉は麗花の腹に顔を押しつけてくる。

 麗花はこの弟のような幼馴染に恋情こそ抱いてはいないが、可愛いらしいと高鳴る愛情は持っている。

 慰めるよう彼の柔らかい髪を撫でた。

「……本当、真面目ね。じじさまに政務を任せてしまうば、自分は楽ができるんだって思わないのだから」

 この国は皇帝の他にかつて他国にも名を轟かせた賢帝と呼ばれる星彩(せいさい)の手腕によって未だに治められている。

 数百年も前の皇帝が未だ、どうして生きているかといえば、早々に亡くなってしまった彼の死を皇后が悼み、彼女の家に伝わる僵尸となる術を彼に施したからだと言われている。まだ、幼いまま、星彩の跡を継ぐことになった皇帝は陰ながら父の力を借り、国は逆臣や他国に怯えることもなく国を繁栄させていった。しかし、息子である皇帝が亡くなっても、星彩の手腕は国に必要とされた。現在もなお彼の権力は衰えないどころか、国の要となる判断も星彩がしているようなものだ。

 どんなに賢帝とよばれる子孫が生まれても、天才と謳われた彼には勝つことができず、歴代の皇帝たちは愉悦を楽しみ早々に闇に葬られるか、星彩の都合のいい操り人形のような皇帝になってしまうかの二極化だったが、余暉は諦めなかった。

 幼い頃は『じじさま、じじさま』と星彩を慕っていたが、現在は化け物を退治をするような気概をみせている。

 黎家は星彩に僵尸の術を施した皇后に繋がる家柄だが、代々、裏で僵尸を使い、国の暗部を任せられている家系であり、自分の家から出してしまった皇后が禁呪を施すまで国と関わることを良しとはしなかった。しかし皇后の冒してしまった誤ちに、屍人である星彩が暴走をして人間を襲わないように見張るため、以降、自分の家の血族を男児だったら文官や武官に。女児なら妃として後宮に入内させる慣わしだ。

 元々は三姉妹の一番上の姉が余暉に嫁ぐはずだったのだが、彼女は自分の僵尸と共に駆け落ちをしてしまった。

 姉は元々、癇癪(かんしゃく)持ちだったが、その日の剣幕はいつも以上に酷かった。後宮から正式に黎家の娘を妃として受け入れる準備ができたと通達が来たからだ。

「冗談じゃないわ!」

 近所から名家の筈なのに化物屋敷と不名誉な噂で避けられている黎家だが、今日からまた新たな噂の的になるだろうと麗花は嘆息をする。金切り声と高価な壷が割られた不協和音に咄嗟に可愛い妹の耳を麗花は塞ぎ、そんな自分の耳は明林がそっと押さえてくれた。

「なんで、私があんなちびの後宮なんて、入らなくちゃいけないのよ! 私は彼を愛しているのよ!」

「でも、姉さま。兄様は僵尸なのよ?」

「関係ないわ!」

 姉は麗花が兄のように慕っている僵尸に抱きつく。近所から化け物屋敷と呼ばれる理由は、黎家が僵尸達と生活をしているからだ。麗花の姉が一族の総意として後宮入りが決まったときから、癇癪が余計に酷くなった気がする。

 姉は子供の頃から僵尸と結婚するんだと言っていたが、皆、子供の戯言だと思っていただろう。

「第一、私はあいつと十も離れているのよ? 黎家から嫁を出せばいいんでしょう⁉︎ だったら、あんた、麗花が嫁にいけばいいじゃない! あいつに『お姉さま』とか呼ばれて、あんたの飼い犬? ってくらいに懐かれていたじゃない!』

「お姉さま。私のことはいいけれど、皇族に『あいつ』や『飼い犬』なんて言うのは不敬よ。そもそも、誰が後宮に行くのかはお祖母様が決めたことなのよ?」

 一族の中でも恐れられている祖母のことを口に出したら、さすがの姉も黙ったが、すぐに背を向ける。

「とにかく、私は嫁に行かないわよ! 行きましょう。小龍(しゃおろん)

 姉は僵尸の腕を掴むと、小龍は困った顔をしつつも姉には逆らえないのか、麗花たちに一礼だけをすると、背を向けてしまう。

「どうするの? 麗花姉さま。麗花姉さまは黎家を継ぐことが決まっているし、やっぱり、皇帝と一番、年が近い私が後宮に入ることになるのかな」

 かぼそく妹が呟いた言葉に麗花は彼女の頭を撫でる。妹はまだ、後宮入りが出来る年齢ではあるものの、まだ幼い。恋愛小説が大好きで夢想しがちな妹は、後宮で自分の衣服に針をつけられたり、毒入りのお茶に飲まされるような目にあわされるかもしれないことに怯えているのだろう。姉の性格から家族の中でも彼女の後宮入りを危惧していたが、僵尸よりも生きている人間の方が怖いと引きこもりがちな妹の方が、後宮勤めは無理ではないかと麗花は思う。

「ともかく、姉さまの癇癪が収まらないことにはどうしようもないわ」

 翌日。行動力のある姉は一枚の紙と家から金目になりそうなものを持ち出して、僵尸と共に駆け落ちをしてしまった。僵尸の兄が姉に恋情を抱いているのかは分からないが主となる姉が命令を下せば、どんなに理不尽な命令をされても彼女についていくしかないだろう。

 明林は麗花の衣を引っ張ると、祖母の主人の部屋までついていくように促す。屋敷の奥にある分厚い黒い扉が開くと、さすがに疲れたような顔をした祖母の顔がそこにはあった。

「あの馬鹿孫がここまでのことをやらかすとは思っていませんでした」

 ただ僵尸を連れ出し、いくつかの金になりそうな品を持って行っただけなら、祖母もここまで疲弊した顔にならなかった筈だ。

蘭花(らんふぁ)お姉さまの道士として得た知識、ですね」

「お前たちにも教えてきたことですが、蘭花は勉強嫌いの為、僵尸を作る知識も不完全でした。彼女が黎家の術を悪用しなければいいのですが」

 祖母が心配しているのはそこだろう。道士の家系は他にもあるが、皆、自分たちの術は門外不出のものになっている。そんな中、他家に術を姉が売ることになれば、黎家もただでは済まないだろう。

「麗花。あなたに後宮に行くことを命じます。そして、星彩さまにお会い出来る機会があれば、温情を頂きなさい」

 幼いころは皇帝同様、娘のように可愛がられていた麗花なら、可能かもしれないと祖母は溜め息を吐く。

「私がお姉さまの不始末をしなければいけないということですね」

 昔は両親に連れられて、よく皇城に連れて行って貰い、余暉と一緒に娘のように無邪気に可愛がって貰っていたが、今なら、あの人が怖い人だということがよく分かる。

「蘭花が駆け落ちなどしなければ、黎家はあなたに継いで貰いたかったのですが」

「お姉さまはあの性格ですし、妹は臆病な子ですので、結局はこうなった気がしますわ」

「……星彩さまはやはり、恐ろしい方ですね。結局、あの人の希望通り、可愛がっている余暉さまの妃に貴女がなることになったのですから」

 姉の後宮入りの支度は準備出来ていたものの、こうなることが分かっていたように、衣服や装飾は派手好きの姉の好むものではなく、麗花の好きな色で仕立てられていた。

「お姉さま。私のためにごめんなさい」

 自分の僵尸の後ろに隠れながらも妹は謝る。

「お暇なときにはお手紙を頂戴。私もいっぱい書くから」

 可愛らしい妹の頭を麗花は撫でる。麗花は僵尸を従えるというより、何故か、僵尸に好かれやすい体質の為、黎家の跡取りとして望まれたが、妹の方が幼いながらも術には秀でていた。そんな妹に嫉妬の感情を少しでも抱かなかったといえば嘘になる。しかし、小動物のように妹が自分を慕ってくることで、いつの間にか、つまらない自尊心はなくなってしまった。

 姉同様、妹は後宮での生活は向いていないだろう。少しだけ、口元が綻んでいるのが、妹なりの最大の笑顔だ。表情が変わらない妹は誤解を受けやすい。それに加え、人見知りな彼女が後宮で孤立化してしまう姿を、簡単に思い描けてしまう。

「姉さまの代わりに黎家を守るのよ?」

「う、うん。頑張る。あと、おばあさまが明林をお姉さまの侍女として持って行きなさいって」

 明林は自分たちの僵尸ではなく、代々、黎家に仕える僵尸だ。いつの時代に造られたのかは分からないが、祖母が若い頃から仕えてくれていたという。

「明林は私についてきていいの?」

 彼女は麗花の言葉に頷く。こうして、姉の蘭花の代わり麗花が余暉の妃となった。

 

数多くある作品の中からお読み頂き、有難うございます。よろしければ、ブクマや評価を頂ければ、嬉しいです。

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