激務の王立第二病院②
「あぁ……疲れた」
王立第二病院の受付担当看護師、パメラは久しぶりの激務にくたびれ果てていた。
家に帰るなりそこらへんに荷物を放り捨て、白髪混じりの髪をまとめていた紐をほどいてベッドにうつ伏せになる。
パメラは、一年前からやる気を失い続けており、仕事に対する情熱とか責任感というものはとうに消え失せていた。
結婚二十年になる医師である夫は、院長の横領に加担して夜な夜な酒場に通い詰めており夜間には帰ってこない。明け方になってへべれけ状態で帰宅する夫と顔を合わせるのは苦痛だったので、逃げるように病院に行き日がな一日受付業務に従事している。
一年前まで大勢いた他の看護師たちは院長に逆らったせいで罷免され、徐々に数を減らしていき、今現在残っているのはパメラと見習いのジェシカだけだった。
医師に至ってはまともに仕事をしているのはジャック・リンドンのみである。
残るわずかな医師は、夫を含め全員が院長と共に堕落した生活を送っていた。
冷え切った結婚生活に、冷え切った職場環境。
繰り返される代わり映えのない日々を黙々と受付業務だけをこなして暮らしていたのだが、ここ最近、劇的な変化が訪れている。
新人看護師のリリカが異様に仕事ができる子で、院内が見違えるように明るく清潔になったのだ。
リリカはリンドン医師の助手を務め、見習い看護師のジェシカと共に食事を作ったり院内の清掃をしたりし、そして一人一人の患者に優しく丁寧に対応していた。
本日は尋常ではない数の患者が押し寄せ、さすがのパメラも受付対応にひいひい言っていたのだが、リリカは全く弱音も愚痴も吐かずにただひたすら業務に従事していた。のみならず、残業していたパメラを手伝ってくれた。
あたしはリンドンさんたちがどんなに忙しそうにしていても、知らんぷりをしていたのに。
受付以外は仕事の範疇じゃないからって、見て見ぬふりをしていたのに。
親切で、フレッシュなやる気に満ちたリリカを見ていると、若かりし日の己を思い出す。
そうだ。
一体何のために、パメラは看護師を志したのだっけ。
病気で苦しむ人々を助けたいと思ったのがきっかけではなかったのか。
あのリリカのように、患者に寄り添い、真心込めて介抱したいと思っていたのではなかったのか。
心の中でとっくに燃え尽きたと思っていた仕事に対する情熱が、やりがいが、パメラの中で炎を灯す。
「…………!」
パメラは重い体を持ち上げた。
まだ、まだ自分にもできることがあるはずだ。
いいや。自分にしかできないことが、ある。
◆◇◆
リンドン医師の予測通り、翌日からも暑気あたりの患者が大挙して押し寄せるようになった。
なぜか本日、受付の看護師が出勤してこなかったので、臨時でウィルジアが受付を担当することになり、既にその時点でてんやわんやである。
リンドン医師はウィルジアに、短く指示を下した。
「いいかウィル君。受付は患者の名前を聞き、札を渡して順番を待ってもらい、再診の患者であればカルテを用意して私のところまで持ってきて、診察が済んだら会計をするという仕事だ。カルテは受付の裏にずらっと並んでいる」
「わかりました」
「病院の人間とわかるように、その服の上からでいいから白衣を羽織っておいてくれ」
かくして王族の血を引くアシュベル王国第四王子にしてルクレール公爵ウィルジアは、茶色いかつらと眼鏡をかけて白衣を羽織った病院の受付事務ウィル君へと変身した。
リリカとウィルジア、復活したジェシカとリンドン医師の四人は、協力して業務にあたる。
リンドン医師が患者の診察をし、リリカが補佐し、ジェシカが雑用を引き受け、ウィルジアが事務仕事全般を請け負った。
しかし前提として、医師がたった一人だけで診察にあたると言うのは無理がある。個人の医院ではなく、大病院なのだから尚更だ。
平民は高額な金を払って医者を家に呼ぶことができない。この王立病院で診てもらえなければ、そのまま野垂れ死ぬしかないのだ。
だから王立病院は病を患ったり大怪我をした平民にとっての心の支えであり、拠り所だ。
「王立病院に行けばお医者様に診てもらえる」という希望のもと、わずかながらの稼いだ金を握りしめ、愛する家族や恋人を救ってもらうために皆詰めかけるのだ。
王立病院の診療代は、病の大小により差はあれど平民でも支払える金額に設定されている。国からの補助を受けて運営している病院というのは貴重である。
貧乏人にも捻出できる金額だからこそ、一縷の望みをかけて瀕死の病人を担ぎ込んでくる。
たとえ明日一日、自分達が何も食べ物を口にすることができなくなっても。
愛する人が助かるのならば、それでいいじゃないか。
リンドン医師もジェシカもリリカも、そんな平民たちの気持ちが痛いほど理解できるからこそ、身を粉にして働くのだ。
そして受付で病人を担ぎ込み懇願する民を見たウィルジアの心も動かされていく。
ある母親は言う。
「うちの娘がもう十日も何も食べられなくて、ぐったりしているんです」と。
ある父親は言う。
「俺の息子が煙突掃除中に足を滑らせて骨を折ったんだ」と。
ある若い男は言う。
「恋人が通り魔に襲われて刺されて血が止まらないからなんとかしてくれ」
千差万別の症状を訴え、なんとかしてくれとウィルジアに訴える。
それでもウィルジアは医師ではないし、できることなんて、せいぜい彼らに順番待ちをするように言うだけだ。
そして運び込まれる暑気あたりで倒れた人々。
彼らは夏の暑さにやられただけではなく、元々の過労と栄養不足とが重なって倒れた者たちである。
「…………!!」
うめく病人たちを前に、ウィルジアはもう耐えられなかった。
ちょうど目の前を通りかかったリリカを捕まえ、小声で囁く。
「リリカっ、僕、王宮に行って医師を派遣してもらうように言ってくる!」
「そんなことしたら正体がバレますよ!」
「構うもんか。それで一人でも多くの人が助かるなら万々歳だ。行ってくる」
「そもそも王宮にいらっしゃる医師の方々は、身分も高く貴族専門医でしょうから、どれだけ訴えても来てくれるとは思えません」
「それでもやってみないとわからないだろう。今ここでこんなに苦しんでいる人がいるのに、待っててくださいしか言えないなんて僕には出来ない」
己に今できる最大限の行動を取ろうとウィルジアが腰を浮かせた、その時。
「遅れてごめん! 助っ人を連れてきたよぉ!!」
大声を出しつつやって来たのは、本日なぜか出勤してこなかった受付の看護師だ。
彼女は一重の目を爛々と輝かせ、白髪混じりの髪を振り乱し、荒い呼吸をしながら飛び込んできた。
そして背後には、大勢の人間を伴っていた。