ウィルジア動く
王立図書館の地下書庫でウィルジアは仕事をしながらも落ち着かない気持ちでいた。
既にリリカが病院で働き始めてから、十日ほど経過している。
ウィルジアは日中をいつもと変わらず図書館の書庫で過ごした後、夜になると王宮で家族にあれやこれやと今までに無縁だった知識を詰め込まれる日々を過ごしていた。
「ウィルジア、最近集中力が欠けてるな」
「あ、わかる?」
「わかる」
ウィルジアの友人にして同僚のジェラールが、ソワソワしているウィルジアを看破して声をかけてきた。
「実はリリカが、父に依頼されて今王立第二病院で看護師の仕事をしているんだ」
「第二病院で?」
「うん」
ウィルジアが頷くと、ジェラールは眉を顰める。
「第二病院は俺が住んでいるアパートの近くだが、あそこは評判良くないぞ」
「えっ」
「やたら待たされるし院内は不衛生だし、あんなところに行くくらいなら家で寝ていた方がマシだと界隈で有名になっている。前までそんなことはなかったんだが、院長が変わってから酷くなったらしい。看護師も医師も数が圧倒的に足りてないみたいだ。それでもどうしようも無くなったら皆、行くらしいんだが……」
「…………!」
ジェラールの言葉にウィルジアは顔を青ざめて立ち上がった。
「大変だ、そんなところにリリカが行ったら……ものすごく頑張って働くじゃないか!!」
ウィルジアは知っていた。リリカは人一倍頑張り屋さんなので、逆境に置かれると能力を遺憾なく発揮してめちゃくちゃに働くということを。
働き手が不足している病院にリリカを送り込んだら、院長の不正を暴くという当初の任務の他に、絶対に病院を何とかしようとして奮闘するはずだ。
荒れ果てた院内で一人働くリリカを想像したウィルジアは、じっとしていられなくなった。
「ジェラール、僕、しばらく仕事休むから!」
「あとで徹夜しろよ」
ジェラールの見送りの言葉を聞きつつ、ウィルジアは慌てて荷物をまとめると、王立第二病院に向かうべく図書館を後にした。
◇◆◇
その日は暑い一日だった。
夏の日差しもかくやというほどに太陽の光がギラギラと王都を照りつけ、石畳に反射する。
教会の修繕工事に携わっていた平民たちは、連日酷使され体力を削られていた。
万年栄養不足な上に過重労働を強いられていた労働夫たちは、暑さにたまりかねて、とうとう地面に倒れ伏す。一人二人ではない。その日労働に従事していた三十人が、一度に倒れたのだ。
教会の聖職者たちもこの事態は流石に見過ごせず、労働夫たちを病院へとかつぎ込む。
かくして教会から近い王立第二病院は、暑気あたりの患者が一度に三十人も運び込まれ、大わらわとなった。
病院の一階が急患でごった返している。
暑さにやられた男たちが、院内一階の廊下に横たわっていた。リンドン医師はぐったりする男たちの間を縫うようにして歩きながら、テキパキとした指示を送った。
「まずい、体内に熱が溜まっている。何とか体温を下げないと死んでしまうぞ。水を大量に汲んできてくれないか。それから裏手の倉庫に氷が貯蔵されているから、氷嚢を作ってくれ」
「はい! ジェシカ、行きましょう!」
「ええ!」
リリカは病院の裏手に回って、井戸から水を汲んだ。汲んだ側からタライに移し替え、一階の患者たちのところへと持っていく。ジェシカは倉庫から氷嚢を大量に運び出した。リンドン医師は患者を大の字に寝かせ、衣服のボタンを外してなるべく風が通るようにしてから、足首を冷やすべくタライの中へと突っ込み、熱を下げるためにタライの水を布に浸して患者の体に濡れた布を押し当て、額に氷嚢を乗せた。
リリカは懸命に井戸と患者の間を行ったり来たりする。滑車をたぐって井戸から水を汲み上げてザバザバタライを満たし、持っていく。どれだけ持って行っても、体の内外から患者を冷やすためにあっという間になくなってしまう。
ジェシカの持ってくる氷嚢も、持ってくる側から患者の額に乗せられたりタライの中に入れたりしてなくなっていく。
そうこうしている間にも、他の診療を待つ患者が外来受付前で騒ぎ出した。
廊下で寝そべる労働夫たちを押し退け、自分達が診察してもらおうとリンドン医師に詰め寄った。
「まずい、このままだと暑気あたりの患者たちが落ち着けない。二階の空き部屋へ運び込もう。リリカ君、運べるか」
「はい」
リリカが意識をほぼ失いかけてぐったりしている患者をシーツで巻き取り、そして肩に担いだ。
リリカは割と力持ちなので、意識のない成人男性を担ぐくらい訳はない。ウィルジアの屋敷で働き始めた当初、書斎で寝落ちしているウィルジアをお姫様抱っこで隣の寝室まで運ぶことも多々あった。
そんなわけで忙しさのあまり無意識で無茶振りしてくるリンドン医師の要望に二つ返事で応えるリリカ。
屈強な労働夫を肩にひょいと担ぐリリカは中々に凄まじい光景であるが、気にしている余裕のある者はいない。
しかし、どれだけリリカが力持ちでも、一回につき一人を運ぶので精一杯だ。となると二階の病室まで三十往復する必要がありとても時間がかかる。
水汲み及び水運びを中断したジェシカとリンドン医師で一人を運ぶにしても、半分の十五往復である。
(人手が……圧倒的に人手が足りないわ……!)
リリカは珍しく焦った。
ここは病院で、一分一秒を争う患者が詰めかけている。
なのに病院側の人手は限られており、全員を満遍なく診るというのは不可能な状況だった。医師も看護師も足りていない。
リリカは焦りつつも、しかしとにかく患者をベッドに運ぶべく奮闘した。
慎重に丁重にしかし迅速に。
かなり大変だが、やらなければならない。
リンドン医師と共に患者を運んでいたジェシカが、突如うずくまる。
「ジェシカ、どうしたの?」
「ごめんなさい、ちょっと気持ち悪くって……!」
しゃがみ込んで見てみれば、ジェシカの顔色は真っ青だった。
「大変、あなたも暑気あたりの症状が出かけてるわよ! 涼しいところで休んでいて!」
「でも、そうしたら看護師がリリカ一人になっちゃう。一人で患者さんを面倒見るなんて、到底無理よ」
「無理でも何でもやらなきゃいけないんだから、頑張るわ。悪化する前に休んで、さあ!」
リリカはジェシカをお姫様抱っこで担ぎ、患者と共に病室に押し込むと、タライに張った水に足首を浸しておでこも濡れた布で冷やした。
「水も飲んでね」
「ありがとう、リリカ」
ぐったりしながら水を受け取るジェシカも心配だが、他にも待っている患者が大勢いる。
「何とか、何とかしないと!」
リリカは縞模様の看護師服をひるがえしながらダァーッと階段を駆け下り、一階へと行く。
ジェシカが倒れた今、リリカ一人でリンドン医師の補佐をしなければならない。
かなり無茶な状況だが、しかし弱音なんて吐いていられなかった。
無理とか無茶とか無謀とか、そんな言葉は意識の外に追い出して、とにかく目の前の患者を救うべくリンドン医師と二人で奮闘する。
受付のやる気のない看護師は、押し寄せる患者の受付業務で手一杯になっていた。
「リンドンさん、患者さんの運搬は私に任せて、リンドンさんは診察にあたってください!」
「わかった。リリカ君は患者を病室に運び込んだら冷却措置をとり、終わったら戻ってきてくれ」
「はい!」
二人で意思疎通を図った次の瞬間、病院の扉がバァンと開き、おんぶされた患者が運び込まれてきた。
「急患だ、暑気あたりで道で倒れた十人、診てもらえないか!」
「!!」
現場はパニックである。
慌ただしさの極みのような状況で、さらなる患者が運び込まれてきた。
「とにかく院内で涼ませて、冷やさないと……!」
リリカは井戸に向かおうと、空のタライを手にして走り出そうとした。
したところで、わらわら担ぎ込まれてきた患者に混じって一人の元気そうな青年が院内に入ってきて大声を出した。
「リリカ、手伝いに来たよ!」
「え!? ……え!?」
聞き慣れた、しかしここ十日ほど聞いていなかった声に思わずリリカの足が止まる。
振り向くとそこには、以前万霊祭にリリカが用意した茶色いかつらと眼鏡をかけて変装したウィルジアが立っていた。