リリカの本気①
翌朝からリリカは本気を出した。
まず、起き出したリリカは真っ先に厨房に向かうと、そこに一人の看護師がいるのに気がついた。昨日の食事を作ったのは彼女だろうか。たどたどしい手つきで調理をしている看護師に、リリカは声を掛ける。
「おはようございます。あの、私も朝食作り手伝ってもいいですか?」
「おはよう。ええ、やってくれるの? 助かるわ!」
振り向いた看護師は、リリカとあまり歳が変わらなさそうな女の子である。茶髪を三つ編みにした女の子は、リリカを見て瞳を輝かせた。
「実は私、お料理苦手なのよ。一年前まで調理担当者がいたんだけど、あんまりにもお給金が低いからって辞めちゃって。仕方なく私が担当しているってわけ。私はジェシカ、十六歳。あなたは?」
「私はリリカ、十七歳よ。年が近いわね」
「そうね、よかった! 一人で準備するの大変だったの」
「じゃあ、一緒に食事を用意しましょう! まずは材料の確認からね」
「今あるのは、小麦粉と野菜と、あとはベーコンがちょっとだけなの」
「それだけあれば、野菜スープとパンなら作れるわ」
リリカは迷わなかった。野菜の皮剥きをジェシカにお願いし、自分はパンを捏ね始める。病人に食べやすいよう、おばあちゃん直伝の柔らかな白パンを作ろうと決める。リリカのパンを作る慣れた手つきを見て、ジェシカははーっと感嘆の息を漏らした。
「お料理得意な人が来てくれて、よかった!」
「私も、他の看護師がいてくれてよかったって思っているわ。……昨日の感じだと、診察が始まったらきっと私は食事作りに時間を割けないから、朝のうちに三食分用意しましょうか。ちょっと量が多いけど、後々楽になるし」
二人で患者たちのために食事を作る。病人でも食べやすいように細かく野菜を切り、鍋に入れると、歯がなくても食べられるくらいの柔らかさになるまで煮込む。その隙にかまどでパンを焼き上げた。
厨房がパンの焼ける香ばしい香りで満たされ、ジェシカが鼻をひくつかせた。
「いい匂い……!」
「でも肉や魚がないので、スープとパンだけになっちゃったわ」
「あぁ、予算が削られてしまったから、あんまりいいものは作れないの。それもこれも全部、院長のせいよ、院長の」
「随分ひどい院長なのね」
「そうなの! ……っと。あんまり悪口言うと、私までクビになっちゃう。今のは内緒ね!」
ジェシカはにぱっと笑うと、リリカと共に出来上がった食事を器に盛り、トレーに載せ、それからワゴンにセットした。
「じゃあ、食事を配りに行きましょうか」
「ええ。リリカはリンドンさんにも持っていってもらえる?」
「わかったわ」
リリカはワゴンをごろごろ押しながら、診察室へと向かい、ノックをした。
「おはようございます。リンドンさん、朝食をどうぞ!」
「ん、ああ……」
リンドン医師は診察室横のベッドから身を起こすと、寝ぼけ眼を擦りながらリリカが用意した朝食を口にする。途端に目を見開き、眠気を吹き飛ばした。
「薄味ながらも具材の旨味がよく溶け出したスープに、焼きたてのパン……! これは君が作ったのか?」
「はい、ありあわせの食材ですけど」
「柔らかく煮込まれていて、これなら入院患者でも食べられるな」
「私、患者さんに朝食を配ってきますね」
リンドン医師のいる診察室から出て、大量の食事をワゴンに積んで押しつつ大部屋に向かうとカーテンをシャッと開けて陽の光を室内へと入れ、それからにっこり微笑んだ。
「おはようございます、皆さん朝食ですよ」
リリカの声かけに、眠っていた病人たちがモゾモゾと動き出す。
自力で食べられる患者にはトレーに載せたスープとパンをベッド脇のテーブルへと置き、一人で食べられない患者はリリカが介助をした。
昨日リンドン医師が薬湯を飲ませたマーレの上半身を起こし、スープをすくって口元へと運ぶ。啄むようにスープを飲んだマーレは、うっすらと目を開いて驚いた顔でリリカを見た。
「美味しいスープだねぇ……! こんなに美味しい朝食は、久々だよ」
「ゆっくり食べて下さいね」
「あぁ、ありがとう」
皺皺の顔に笑みを浮かべつつ、マーレは朝食のスープを全て飲み干し、パンも全て平らげた。
朝食の後は掃除である。
院内は清潔とは程遠い状態にあり、こんな不衛生な環境に病人がいるなどあり得ない。リリカは一階の診察室から始まり、砂利まみれの院内の廊下を徹底的に拭き上げ、薄汚れた大部屋にモップをかけ、裏のリネン室に至るまですごい勢いで掃除をした。
リリカがモップ片手に奮闘していると、ジェシカがひょっこり顔を出す。
「リリカ、何してるの?」
「お掃除よ。よかったら手伝ってもらえない?」
「ええ、わかったわ!」
リリカの横に並び、ジェシカもモップがけを始めた。リリカはふと疑問に思い、ジェシカに話しかける。
「ジェシカは、看護師なのよね?」
「んーん、見習い。でも、誰も何にも教えてくれないし、リンドンさんは忙しそうだしで、どうすればいいかわからなかったんだ。だからあなたが来てくれて、よかったなあって」
「そうだったの……」
「昔から看護師に憧れていたの。王立病院は平民の味方でしょ? そこで働く看護師は、白衣の天使って呼ばれていて、そりゃあもう頼りになるんだから。だからあたし、院長がどんなにひどい人でも、お給金が下町の定食屋よりも安くても、頑張って働こうって思ったの」
こんな劣悪な状況で働いているというのに、ジェシカの曇りなき眼は夢への希望で溢れている。
リリカはぎゅっとモップを握りしめ、早いところ問題を解決しないと、でもその前にとにかく院内を清潔にしなくっちゃ、と目の前の労働に従事した。
そうこうしているうちに、リンドン医師による入院患者向けの朝の回診が始まるので、リリカは掃除をジェシカに任せてリンドン医師の手伝いをする。
一人一人の病状を確かめつつ丁寧な診察をするリンドン医師の指示に従いつつ、リリカは必要な器具を用意し、患者の手当てを任されたり、薬を飲ませる介助をしたりと細やかに働いた。
それが終われば、今度はやって来る患者の診療時間である。
中年の看護師が出勤し、カウンターに座ると、やる気なく外来患者の受付をし、そして診察を待つ患者たちで一階はごった返した。
夏は冬よりも患者が少ないとリリカはかつて聞いたことがあるのだが、それにしたって医師一人で診察しているのだから時間がかかってしまう。
リリカが院内を掃除して見て回った限り、一階の診察室は三部屋あった。
ということは通常であれば王立第二病院は、一階で診療にあたる医師が三人、そして入院患者を診察する医師がおそらく二人、最低でも五人の医師が常在しているはずだ。
それが一人なのだから無理が生じるに決まっている。
リリカとリンドン医師はたった二人で何人もの患者を診て、目まぐるしく働いた。
途中でジェシカが昼食を持ってきてくれ、リンドン医師と二人で五分で昼食を済ませると、再び診察に戻る。
やがて夕方になり、今度は入院患者の午後の回診時間。
カウンターでぼーっとしている中年看護師の前を横切り、リリカとリンドン医師は二階へと駆け上がると、入院患者の容体を診た。
外傷がひどい患者には包帯を解いて一度皮膚を綺麗に拭ってから軟膏を塗り、また包帯を巻き直す。
咳がひどい患者には咳止めの薬湯を飲ませ、皮膚に病がある患者には軟膏と薬湯の両面からの治療を試み、熱の高い患者には熱冷ましの薬草を煎じ、とにかくリンドン医師とリリカは二人でひたすら働き続ける。