一方その頃ウィルジアは
「はぁ……」
図書館での仕事を終えたウィルジアは、憂鬱なため息を吐き出した。
リリカが父に妙な仕事を押し付けられたせいで、一ヶ月もの間ウィルジアの下を離れることになってしまった。
リリカが屋敷で働き出してからそんなに長期間離れ離れになることがなかったので、ウィルジアとしては寂しい限りである。おまけにリリカがいない間、王宮で暮らすことになってしまい、これもウィルジアにとっては嫌で仕方がなかった。
王宮でウィルジアにいい思い出などひとつもない。
やっと解放されたと思ったのに、期間限定とはいえ舞い戻ることになってしまった状況に、ウィルジアは呪詛の一つでも吐き出したい気持ちでいっぱいだった。
渋々王宮に帰ってきたウィルジアは、王宮の使用人にロキを預け、そのまま幼少期に自分が使っていた部屋へと行く。屋敷より数段豪華な部屋は清掃が行き届いており、こざっぱりとしていた。
食堂に行けば、またしてもウィルジアの家族が勢揃いしている。父は明るく手を振った。
「よぉ、ウィル!」
「ただいま戻りました……」
非常に不承不承とした面持ちで帰りを告げたウィルジアは、末席に腰を落ち着ける。ウィルジアが席についた途端、父が話を切り出した。
「ウィル、今日はお前に聞きたいことがある」
「何ですか」
「お前、あの使用人と本当に恋仲なのか?」
「え? そうだけど」
「本当に? 全然そうは見えなかったけど。俺たちを出迎えた時も、俺と会話している時も、完全にただの使用人にしか見えなかったけど。そもそもなんで未だに使用人なんてやらせてるんだ?」
「それは、本人がやりたがったからで」
ウィルジアはしろどもどろに答える。
晴れて想いが通じ合った後、ウィルジアが何か尋ねる前にリリカは言った。
「私、このまま使用人を続けてもいいですか?」と。ウィルジアとしてもリリカと二人の生活が気に入っているので、本人がやりたいと言うのであれば特に反対する理由もなかった。そんなわけでリリカは、ウィルジアの恋人にして屋敷の唯一の使用人のままである。
父の追及の手は止まらない。
「まあ、百歩譲って使用人をやっていることは良しとしよう。で、恋仲になる前と後で、なんか変わったことあんの?」
ウィルジアは父に詰問され、目を泳がせた後、ごく小さな声を出す。
「…………一緒にごはん食べるようになった」
「お前の頭の中はお花畑か」
父の切り返しは一切の容赦がなかった。
そのまま父は深い深いため息をつくと、顔を両手で覆い、わっと泣きまねをしてから大袈裟に言う。
「いい年した息子がひとつ屋根の下で恋人と暮らしながら、やっていることが『一緒にごはんを食べる』!? お父様は、悲しい! 俺は自分の息子をそんなふうに育てた覚えはない! 情けない!」
そして指の隙間から緑色の瞳で眼光鋭くウィルジアを睨め付けてから、ドスの効いた低い声を出して一言。
「のんびりほのぼのしてんじゃねえぞ」
あまりの威圧感にウィルジアはたじろいだ。
父の隣に座る母は、まぁまぁ、と父をたしなめる。
「この人はちょっと言い過ぎだけれど、でもねぇウィル。あなた本当に一体何やってるのかしら。幸せそうなのは何よりだけど、そんなんじゃリリカに愛想尽かされちゃうわよ」
「え、何で。何がダメ?」
「あなた、流行り物とか何も知らないでしょお? 今王都で人気のお店は? 女の子に人気のアクセサリーは? ドレスは? 何か気の利いた贈り物の一つでもできるのかしらぁ」
「…………!」
言われてウィルジアは気がついた。
人間を避け、世の中に背を向けて生き続けていたウィルジアに流行などというものは無縁である。
「あなたこのままじゃ、リリカとデートすらできないでしょお」
母は父とは違うベクトルでウィルジアの心をえぐる発言をしてくる。
言葉の矢尻がウィルジアの胸にぐっさりと突き刺さり、容赦無くウィルジアを苛む。左胸を押さえつつ、ウィルジアは眉尻を下げて助けを求めるように兄三人を見た。
「あ、兄上たちはどうしてるんだい」
「妻の誕生日には毎年贈り物をしている」とハリエットが当然だろうという顔で言った。
「まあ、今日これからどっか連れて行けって言われたら、何個か場所は思いつくよな」と婚約者すらいないエドモンドが言う。
「そもそもウィルは、あの使用人の誕生日知ってるのか?」
イライアスに聞かれ、ウィルジアはぼそっと答えた。
「……知ってるけど……贈り物とか、考えてなかった……」
その場にいる家族全員がウィルジアに呆れの視線を送る。もはやウィルジアは、針の筵だった。とうとうウィルジアはすがるように叫んだ。
「ねえ、僕どうすればいいの!?」
これにノリノリで答えたのは、二番目の兄エドモンドである。
「こういうのは実践訓練が一番だ! おにーさまと夜の街に繰り出そうぜ!」
「待てエド。ウィルにはもう恋人がいるんだから、あんま変な場所に連れて行くわけには行かないだろう」
ハリエットに止められてもエドモンドはめげない。
「あ、そう? じゃ、見て覚えてもらうってのはどうだろう? 百聞は一見にしかずって言うだろ。口のかたい子知ってるから、早速行こうぜウィル!」
「どこ行くの!?」
「行けばわかるって!」
エドモンドはウィルジアの腕を掴むとぐいぐいひっぱりどこかへ連れ出そうとした。ウィルジアは抵抗した。
「ちょっと兄上、嫌な予感しかしないんだけど!」
「大丈夫大丈夫! おにーさまが手取り足取り教えてやるから!」
服が破けるんじゃないかと思うほど強く引っ張られ、ウィルジアのシャツのボタンがぶちぶちっと外れた。強制的にウィルジアを連行しようとするエドモンドを止めたのは、三番目の兄のイライアスである。
「あ、エド兄上はこの夕食を終えたらすぐに騎士団に向かってください」
「はぁー? 何でだよ」
「ラズ子爵領からグロスター公爵領までをつなぐ道にハイウルフが巣食っていて討伐依頼が来ているので、兄上の部隊を派遣することになってます。準備を整え向かってください」
「このタイミングでそれ言うか!? まあ、それじゃあ仕方ないな」
「人的被害が出る前に掃討してきてください」
「しゃーねぇな」
満更でもなさそうな表情を浮かべながらエドモンドが言う。基本的にエドモンドは戦いに飢えているので、この依頼は願ったり叶ったりなのだろう。
ウィルジアは助かったと胸を撫で下ろしながら、引っ張られたシャツの襟を整える。兄の怪力により、ボタンが二つほど弾け飛んでしまっていた。
まあしかし、家族の言うことも最もである。
何せ王族である彼らは、社交の場でさまざまな情報を手に入れているだろう。ウィルジア一人だと絶対に知り得ない情報をもたらしてくれるに違いない。
リリカをどこかに颯爽とエスコートして、趣味の良いプレゼントでも贈れたらいいなぁと考える。
ウィルジアの胸の内を読んだであろう母が優雅に微笑んだ。
「ウィル、安心して。わたくしが、女性に人気のある王都のお店も、宝石も、ドレスも、全部ちゃあんと教えてあげるから」
「母上に任せると嗜好が偏りそうなので、私からも教えよう」
「ハリーは惚気しか言わないから、父も教えるぜ! 頼もしい家族がいてよかったな、ウィル!」
「いいなぁ、俺もウィルに男女のあれこれを教えたい」
「エド兄上は一刻も早く食事を終えて騎士団に行ってください」
「イラは仕事熱心だなー」
ウィルジアは居並ぶ家族に向かって、小さく頭を下げた。
「……よろしくお願いします」
「任せてぇ! じゃあ早速、母が教えてあげるわ! リリカに似合いそうな宝飾品やドレスを扱っている仕立て屋があるのよぉ」
「観劇や食事できる店の話もいいよな」
こうして食事の間も食後もずっとひたすらに家族による王都での流行りの店の話がされ、アシュベル王国の王族の面々は夜更けまで談笑したのだった。