戦慄の王立第二病院①
王都には全部で十の王立病院が存在していて、平民は最寄りの病院を利用する。上流階級の人々は病院に行くのではなく医師が屋敷へと赴き診察をするのだが、それは非常に高額となるので平民には到底支払えない。
そこで当時の国王が考えたのが、医師が常駐して患者の方から診察に行くという方法だった。
往診よりも医師の手間がかからず時間も短縮される。おまけに治療に必要な器材も薬も全て揃っているので効率が良い。
国からの補助金で成り立つこの病院は平民の強い味方である。
しかしいくら補助を受けていたとしても病院というのは非常に高額な費用がかかるので、そう気軽に行けるような場所ではない。
家族や恋人、親しい人が病に臥せって家での看病ではどうにもならない時、あるいは突然の事故で大怪我を負った時などに担ぎ込まれる場所だった。一回診察を受けただけで、翌日の家族全員の食費が吹き飛ぶなんて話もザラに聞くのだが、それでも診察を受けられるだけマシだ。
大切な人が助かるのなら、翌日一食抜くくらいどうということはない。皆、そういう気持ちだった。
王立病院に向かいながら、リリカはかつて自分が病院に行った時のことを思い出す。
あれは、十二歳の時だったか。おばあちゃんはリリカに言った。
「使用人たるもの、ご主人様一家が病にふせったり怪我を負ったりした時、看病をしなければならない。だから病院で介抱の仕方を学びなさい」と。
リリカは王立病院の一つで看護師の手伝いをし、介抱の仕方を学んだ。
病院には、たくさんの人がいた。患者の診察をして処置をする医師、それを手伝う看護師、入院している患者、面会に来る家族や友人。
王立病院に来る患者は軒並み重症だ。
瀕死の重傷を負っていればすぐさま手術室に送り込まれ、そうでなくてもベッド送りになる。とりあえず一階の診察室で症状を見て、外傷なのか内傷なのか、感染症なのか違うのかを判断してから適宜病室に連れて行く、というのが一般的なのだと聞いた。
リリカは看護師にくっついて回りながら、さまざまな仕事をした。院内は明るく清潔で、病を負った人たちが不安にならないような配慮がなされていた。
怪我人や病人を全力で看護し、退院する時には感謝の言葉をかけられる。病院とは何てすごい場所なんだろうと幼いリリカは思ったものだった。
そんな病院の院長が不正を働いているというのは、許せる事柄ではない。患者にも医者にも看護師にも迷惑以外の何者でもないではないか。
「よし、一刻も早く不正を暴かないと!」
リリカは己に喝を入れつつ道を行き、目当ての第二病院を目指す。
いくつかの道を折れ曲がり、この辺りかしらとキョロキョロしながら歩いてみる。
そして目に飛び込んだ、王立病院の紋章が彫られた建物。第二病院というだけあって歴史があるのだろう、年季の入った建物は歴史を感じさせる。そして思いのほかこじんまりとした病院だった。以前リリカが行ったことのある王立病院よりひとまわり小さい。
「ここね……よし」
リリカは正面玄関の扉をぐっと握り、開く。
そして飛び込んできた光景に、我が目を疑った。
ーー薄暗い院内には、燻った雰囲気が漂っており、澱んだ空気が支配している。
床は土足で人が出入りするためか、砂利が溜まって茶色くなっていた。
「え……何これ……」
リリカは戸惑った。ウィルジアの屋敷も当初リリカが仕事を始めた時はひどい有様だったが、この病院はそれ以上だ。というか病院という場所である以上、清潔であることは必須事項であるはずなのに、汚いってどういうことなの。
玄関入って一歩で固まっているリリカの視線の端で、さっと何かが横切るのが見えた。恐る恐る視線を動かすと、黒く蠢く虫が数匹。
「…………!!」
リリカは、くらりと目眩を感じた。
なんで、どうして病院内に虫がいるの。
あり得ない。
リリカは別に虫が苦手ではない。ただ、病院内に虫がいるという事実は受け入れられなかった。
正面受付に人はおらず、リリカはカウンターに手をついて奥に向かって声をかける。
「どなたかいらっしゃいませんか? すみません! すみませーん!!」
数十秒経ったのち、受付奥の扉が開いて、白地に細い縦縞のワンピースを纏った女性が、やる気のなさそうな顔を携えてリリカの元に歩いてくる。三十代半ばほどに見える女性は痩せぎすで、髪には白髪が混じっており、一重の目は眠そうに半分閉じられていた。
「はぁーい。患者さん?」
「いえ、今日からこちらでしばらく働くことになっている、リリカと申します」
「ああ、新人さんね。じゃあ、こっちについてきて」
女性はのったりのったりした動作で受付から出ると、階段を上って院内を横切りリリカを案内する。リリカはついて行く間にそっと院内の様子を観察した。
扉が半開きになっている病室内に、患者が横たわっている。どの部屋も掃除が行き届いておらず、陰気で不衛生で、そして時折うめき声が聞こえてきた。
老人の末期のような苦悶に満ちた声、幼い子供のすすり泣く声、若い男の痛みに耐えるような声。「痛い……痛い……」というか細い声が聞こえても、看護師が様子を見に行く気配はまるでなく、リリカを案内してくれている女性看護師も患者を全く気にしていないようだった。
ーーリリカの記憶が確かなら、患者の異変を感じ取ればすぐさま看護師が駆けつけるはずだ。「どうしましたか?」と優しく話しかけ、病状を確かめる。相手は病人なので、容体が急変したっておかしくはない。
「あの、患者様が辛そうですけど、様子を見に行かなくていいんでしょうか」
「いいのいいの。どうせ大したことないのに騒いでるだけなんだから」
「!?」
よこされた返答にリリカは絶句した。看護師の女性はのっすのっすと歩いて廊下奥の扉を開けると、シーツやタオルなどのリネンが置かれている部屋にリリカを招き入れ、一着の看護師服を取り出すとリリカへと押し付けた。
「じゃあ、これに着替えて。そしたら仕事なんだけど、あんた看護師の経験はあんのかい?」
「はい、以前他の王立病院で見習いをしたことがあります」
「なら大丈夫だね。リンドンさんが助手を欲しがっていたから、紹介するわ」
「リンドンさん?」
「この病院の医師の一人さ。なぁんか一人でやる気出しちゃってさぁ、うるさいのなんのって。だからあんたがリンドンさんの相手してやってくれる? さ、早く着替えて」
急かされるままにリリカが看護師服に着替えると、再び扉を開けてリネン室を出て、一階へと向かった。受付横の先程は通らなかった廊下に向かうと、玄関すぐの診察室と書かれた部屋の扉をノックしてから開く。
「失礼しまーす。リンドンさん、新しく入った看護師をお連れしましたぁ」
「あっ、新人さん? やぁ、助かった」
開いた扉の先の診察室では、白衣を着た三十代ほどの男性が、たった一人で十人ほどの患者の間を行ったり来たりしながら診療にあたっていた。