王の願い
リリカは、今現在自分の身に起こっている出来事を、いまいち理解できないでいた。
本日、ウィルジア様がご家族と共にお屋敷に帰ってこられた。
それは大歓迎だ。
ウィルジア様のご家族が来たのであれば、リリカは彼らを全力でおもてなしするのみである。なのでリリカは馬車が森の中に入ってきたのを見た時点で、全員分の夕食の準備を整え、素早く客室の支度をし、玄関ホールで彼らの到着を待ち構えていた。
しかしなぜか王室の皆様方はリリカと話をしたいと言い、料理も給仕も王宮の者がやるからと、リリカは食堂の椅子の一つに座ってもてなしを受ける側へと回ってしまった。とっても落ち着かない。だってここに居並ぶのは、国の中で最も尊い身の上の方々で、リリカなんぞが一緒に座って食事をして良い人たちではないのだ。
どうしよう。
椅子の上で縮こまっていたリリカは、意を決して腰を浮かせる。
「あのう、やっぱり私も給仕か料理を手伝って来ます」
しかしリリカの提案を、国王陛下コンラッドが無情にも却下した。
「ダメだって、君はそこに座ってて」
流石に国王に命じられてしまっては、リリカは黙って従うしかなかった。大人しく座ったリリカの前に、王宮の侍女が料理を運んで来る。さすが王宮の料理人が作ったもの、目にも麗しい前菜は素敵の一言に尽きるのだが、リリカはこれを食べるのに大変な勇気を必要とした。
リリカがお皿を見つめて固まっていると、自宅であるかのようにくつろいだ様子の国王陛下が再びリリカに話しかけてくる。
「なぁ、君、ウィルと恋仲って本当?」
「!?」
突如放たれた爆弾発言に、リリカは前菜に向けていた顔をばっと持ち上げて国王陛下の顔を見る。リリカのご主人様によく似た顔立ちの陛下は、ご主人様が絶対に浮かべない、面白がるような、どこか探るような表情でリリカを見つめている。
「あ……う……」
「ウィルが君のことを好きだってエドから聞いたんだけど。ウィルに聞いたら恋仲って言ってたし、本当?」
リリカは、なんて答えれば良いのかわからなかった。
確かにリリカはつい先日、ウィルジア様と思いが通じ合って恋仲になった。
だが前提としてウィルジア様は王族の一員で、現公爵様で、非常に身分の高いお方である。ただの使用人であるリリカとは完全に不釣り合いだ。
きっと国王陛下は、家族全員を引き連れて、息子をたぶらかそうとするリリカの品定めにやって来たに違いない。
リリカの心は〇.一秒で固まった。
リリカはぎゅっと膝の上で拳を握ると、椅子から立ち上がって即座に床にひれ伏す。
「使用人の分際で、ウィルジア様の心を惑わしてしまい申し訳ありません! この場で喉元を切ってお詫びいたします!」
「ちょ、リリカやめて! 立って立って!!」
今すぐにでも自害して己の罪を清めようとするリリカを止めたのはウィルジアだ。床に座り込んだリリカの隣にやってきて、ものすごく慌ててリリカの行動を止めにかかり立ち上がるように促す。
「ですが、私はご主人様のお心をたぶらかした罪深い人間。かくなる上は命を持ってつぐなう以外にありません」
「いや全然そんなことしなくて良いから! ていうかたぶらかしてなんてないし! もーみんな本当に帰ってくれないかな! 僕達から平穏を取り上げないで!」
ウィルジアはリリカを庇うように背中に隠すと、家族に向かって声を張り上げた。
しかしウィルジアの全力の願いなんて、彼らの耳に全く届いていない。
国王陛下は普通に食事をしながら、普通に会話を続ける。
「君、覚悟がすごいね。即座に命を捨てる決断をできる使用人なんて、なかなか滅多にお目にかかれないよ」
ナイフとフォークを皿に置き、ワイングラスを手に取ると、じっとリリカを見つめた。
「君、エレーヌの侍女の教育をしたんだって?」
「僭越ながら、一緒にお仕事をさせていただきました」
「ハリーんとこのヤンチャな双子を手懐けたとか」
「可愛らしいお子様でした。またお会いしたいです」
「エドと手合わせして、いい勝負したらしいね」
「さすが中佐であらせられるエドモンド様はお強かったです」
「ふぅん……もしかして、病人の看護とかも出来るか?」
「はい。以前、王立病院に習いに行ったことがあります」
「そうか」
リリカの答えを聞いた国王は、口の端を持ち上げて少し笑ってから、視線を床に座り続けているリリカからイライアスへと滑らせた。
「なぁイラ。潜入に向いているいい人材を見つけたぞ」
話しかけられたイライアスは、明らかに困惑した表情を浮かべている。
「父上……まさか……」
「そのまさかだ。ウィルんとこの使用人なら信用できるしうってつけだろ」
話の内容がわからないリリカは首を傾げ、頭の上に「?」マークを浮かべた。そんなリリカを察したようで、国王は人あたりの良い笑顔を浮かべて、「説明するからまあ座ってくれよ」と気さくにリリカに言う。迷った挙句に従うと、国王は口を開いた。
「看護の習いに行ったことがあるくらいだから、王立病院のことは知ってるよな」
「はい。国が出資している病院で、平民でも格安で医療を受けられる場所だと認識しています」
「その通り。実はそのうちの一つ、第二病院の院長がどうも支給された金を横領しているようで、病院の質が他に比べて悪いんだ。こちらから人をやって帳簿を調べても不審な点が見られず、どうやら病院ぐるみで隠蔽しているらしい。この不正を暴くために、内部に人をやって調査をしたいと思っていた。ただ誰を派遣するかが問題で、潜入するために不自然にならない程度に医療の知識を持ち、目立つと良くないからあまり身分が高くなく、かつ信頼できる人間を探していたんだ」
ここまで話を聞いたリリカは、事情が飲み込めた。
「そこで君の出番だよ。エレーヌもハリーもエドも認めた君ならば、きっと見事に不正を暴いてくれるだろうし、何より君なら俺たちを裏切るような真似はしないだろう?」
「ちょっと父上、勝手にリリカに変な仕事を押し付けないでくれ」
リリカが何か答える前に話に割って入ったのはウィルジアだった。リリカの隣に座るウィルジアの顔は真剣で、ひどく怒っているようだ。しかし国王の方はウィルジアの怒りなど全く意に介しておらず、首を傾げて疑問を呈する。
「何故だ? 院長の不正は早期に解決すべき事柄で、ピッタリの人材が見つかったなら派遣するべきだろう。放置しておけば、まともに治療が受けられない民が苦しむだけだぞ」
「それはそうかもしれないけど……別にリリカじゃなくたって、他に誰か見つければいいじゃないか」
「見つからなくて困ってたんだ」
にべもなく言う国王に、ウィルジアが憮然とした表情を送り続けていた。国王は末息子の視線などそよ風くらいにしか思っていないのか、リリカに視線を戻すと試すように言う。
「どう? やってもらえると助かるんだけど。それに、エレーヌもハリーもエドも認めた君の腕前を、俺にも見せてほしいなぁ」
気軽な調子で言われているけれど、重みがあった。口元は笑っているが、瞳は鋭く品定めするような視線を送っているし、間違いない。
国王陛下はリリカをーー自身の息子と恋仲になってしまった使用人を、試している。リリカがウィルジアにふさわしい相手なのかどうかを、見定めようとしているのだ。
何より一国の王直々に頼まれごとをされて、平民であるリリカがそれを断れるはずがない。
リリカの心は即座に固まる。真っ直ぐに国王の、ウィルジアと同じ緑色の瞳を見つめ返し、力強く返事をした。
「かしこまりました。そのお仕事、謹んで引き受けさせていただきます」
「理解が早くて助かるよ。一ヶ月くらい病院に住み込みで働いて解決してくれないか。諸々の手続きはこっちのイラがするから」
「リリカ!? 僕は反対だよ。そんな何が起こるかわからない妙な仕事を引き受けて、リリカの身に何かあったらどうするんだ」
「大丈夫です、ウィルジア様。私こう見えて、病人の介抱は得意なんです」
「むしろ君に何か苦手なことってあるのかな!?」
ウィルジアの全力の叫びをリリカはあえて受け流し、心配するウィルジアに向けてにこりと笑顔を浮かべてみせた。
「ご心配なさらずとも、私、見事に院長の不正を暴いて、ウィルジア様のお父様であらせられるコンラッド陛下の信頼を勝ち得てみせます!」
「…………」
「そうこなくっちゃ! いやぁ助かる! な、イラ!」
「まあ、助かるといえばそうですね。調査が難航していたので」
イライアスの肩をバシバシ叩きながら明るく言う国王と、事務的な返事をするイライアス。ウィルジアはもはや話を止めるのは不可能だと悟ったのか、肩を落として絶望的な表情を皿の上の見事な料理に向かって投げかけ続けていた。
なおそのほかの家族は食事をしながら勝手に雑談に花を咲かせており、一連のやり取りなど知ったことじゃないという態度をあからさまにみせていた。
そんなわけでこの外伝のテーマは「白衣の天使リリカとウィルジア〜戦慄の王立病院編〜」です。
他の家族が口を挟まなかったのは「リリカならできるだろうな」と思っているからです。