国王と三番目の息子
アシュベル王国の王宮の一室で、会議が行われている。
参加しているのは国王のコンラッド・アシュベルと三番目の息子のイライアス、宰相、騎士団長、官僚といった国政を担う重要な面々である。
「……では次に、第二王立病院について。王都にある他の王立病院よりも提供している医療の質が低く、利用した患者から苦情が出ているとのことです。資金は充分提供しているので、おそらくは院長による横領が原因で現場に金が流れていないせいなのではないかと」
イライアス・アシュベルは議題を読み上げつつ、ちらりと父である国王コンラッドを見た。父は書類を眺め、対応策に関しての見解を述べた。
「人を遣って帳簿を確認すれば良いんじゃないか?」
「既に何度も行っているのですが、帳簿に不自然な点は見られず。おそらく医師を巻き込んで、病院ぐるみで隠蔽がされているようで……」
「じゃああれだ、こっそり誰かを潜入させて、内部調査だ」
「誰を?」
「イラが行けば?」
「私の顔は広く知られているので、流石に無理があります。潜入させるなら、病院で働いていてもおかしくない程度に知識があり、あまり身分が高くなく、かつ信頼できる者を選出する必要があります」
父は他の面々を見回した。
「どう思う?」
「適当な者がいないか、確認をいたしましょう」
宰相の言葉に皆が頷き、この話はひとまず保留となった。
イライアスは手元にある羊皮紙の束をめくり最後の一枚を読み上げる。
「最後に、最近ハイウルフの被害が多い地域に関しての報告と対策を話し合いたいと思います。ハイウルフは森の中の街道付近に巣食い、徒党を組んで人を襲うため、北のラズ子爵領から南のグロスター公爵領に抜けるための道が使えずに付近に住む者や商人が困っていると言う話です」
「エドに行かせよう。定期的に任務を与えないと、ストレス溜まって王都で暴れ出すかもしれないし」
「兄上は暴れ馬か何かですか」
「大して変わらないだろ。最近あいつ何やってんだ?」
コンラッドが騎士団長を見ると、団長は何やら難しそうな顔をしてから口を開いた。
「非常に申し上げにくいのですが……最近のエドモンド中佐は、陛下のご子息であらせられるウィルジア様に稽古をつけております」
「ウィルに?」
驚いたのはコンラッドだけではなく、イライアスもだった。
ウィルジアは末の弟で、幼少期より引っ込み思案な性格をしていた。王宮内では常に肩身狭そうに暮らし、とりわけエドモンドを苦手とし、見つかるといつも半泣きで逃げ回っていた。
「なんでエドがウィルに稽古つけてんだ。あいつ、騎士団に入るつもりなのか?」
「いえ、そういうわけではなく、何でも……誰かを守るために強くなりたいのだとエドモンド中佐より聞き及んでおります」
「おぉ、何だそれ!」
これを聞いたコンラッドは、目を輝かせて立ち上がった。
「それってもしかして、ウィルに好きな相手ができたってことか!? あのウィルに!?」
「はあ、詳細は分かりかねますが……」
「こうしちゃいられん、早速ウィルに会いに行こう! 今は騎士団にいるのか?」
「この時間は大体いつもいらしてます」
「よし行くぞ、イラ!」
「はっ!? 私もですか!?」
「お前も家族なんだから、当然だろ! そうだ、エレーヌとハリーにも使いを出しておいてくれ。ウィルジアに一大事が起こったから騎士団に来いって!」
「待ってください陛下、まだ会議の途中です!」
「どうせ今日の議題で残っていたのは、あとはハイウルフの討伐の件だけだろ。エドに向かわせるってことでいいか?」
コンラッドが尋ねると、騎士団長は勢いに気圧されたのか頷いた。
「ええ。陛下がおっしゃる通り、最近中佐は任務がないとぼやいていましたのでちょうど良いと思います」
「ならそれで決まりだな。じゃあ解散! よーしイラ、行くぞ!」
コンラッドはイライアスの意志をまるで聞かず、元気よく拳をあげると、非常にワクワクした様子で部屋を出て行こうとした。イライアスは書類をかき集めてから宰相へと渡す。
「申し訳ありませんがこの書類、私の執務室の机に置いておいてもらえますか」
「お安い御用じゃ。……イライアス様も大変じゃのう」
「ははは……父の思いつきは、いつものことです」
イライアスは乾いた笑いを漏らしてから、「早く来いよー!」という父の後を追うべく部屋を出た。
コンラッドとイライアスを乗せた馬車が騎士団本部にたどり着く。突如現れた国王を前に、騎士団にいた面々は驚きの声を上げた。
「陛下!? イライアス様も!」
「一体何事でしょうか!?」
「やーちょっと俺の末息子が来ているって聞いたから、会いに来たんだ。そんで、ウィルはどこにいるんだ?」
「はぁ……ウィルジア様なら、奥の訓練場でエドモンド中佐と手合わせをしておりますので、案内いたします」
騎士の一人に連れられて、外にある訓練場へと行く。
そこには本当に、エドモンドと剣を交えて手合わせをするウィルジアの姿があった。
「ウィル、大分動きが良くなってきたじゃん! でもまだまだ、詰めが甘いな!」
エドモンドは非常にイキイキとそう言いながら、ウィルジアの放った一撃を体勢を低くして避けて、そのまま足を払った。バランスを崩したウィルジアの鳩尾に容赦のない一撃を浴びせると、地面に打ち伏せ馬乗りになって首元に剣を当てる。
「俺の勝ち」
「…………!」
ウィルジアがエドモンドに勝てるなど微塵も思っていなかったイライアスだが、それでもエドモンドを見据えるウィルジアの瞳の力強さに驚いた。
イライアスが知っているウィルジアは、あんな顔をしない。
いつでも自信なさげに俯いて、隅っこで縮こまって、人が来るとビクビクしている、そんな人物だった。
それが、どうしたことだろう。
今のウィルジアは、決してエドモンド相手に怯まず、それどころか立ち向かって行こうとしている。見た目が変わったのは夜会の時に知っていたが、今は表情までも変化していた。
イライアスが自身の弟の変わりように驚いていると、コンラッドが嬉しそうな声を出す。
「ウィル、本当にエドに稽古つけてもらってんだなぁ!」
「えっ、父上にイラ兄上!?」
「父上にイラ! 騎士団にくるなんて珍しいな。何事だ?」
「特別な用はない。ウィルがいるって聞いたから来ただけ」
フットワークが軽すぎる国王はそう言うと、跳ね起きて服の泥を落とすウィルジアにニヤニヤ笑いを隠さず近づいた。
「なあウィル、お前気になる子ができたんだって?」
「はっ!?」
「どこの誰? 隠さないでお父様に教えてごらん!」
ウィルジアは楽しそうに笑顔を浮かべ続ける父を警戒し、後ずさった。
「い、言わない」
「なんでだよー教えてくれよ」
「嫌だ」
「あ、ウィルの好きな奴、ウィルの家で働いてる使用人だから」
「エド兄上!?」
「別に隠さなくたって良いじゃん。ていうか見てればバレバレだし」
速攻で好きな人をエドモンドによってバラされたウィルジアは焦っている。しかしもう後の祭りだろう。コンラッドは顎に手を当てて首を傾げ、眉間に皺を寄せた。
「使用人かー。ウィルが誰かを好きになるのは嬉しいが、使用人だと普通に結ばれるのは難しいよな」
これに対してウィルジアが間髪入れずに反論をする。
「リリカ、一応侯爵家の末裔だよ。二百五十年前に没落してるけど」
「そうなのか? なら大丈夫だな!」
大丈夫なのか、とイライアスは思った。
二百五十年も前に没落しているとなれば、それはもうほぼ平民と変わりがない。
しかし父であるコンラッドは、息子の浮ついた話がよほど嬉しいのか、ウィルジアの背中をバシバシ叩いて絡んでいた。
「ウィルが本以外のものに興味を持ってくれて、父として嬉しい限りだ!」
「…………」
ウィルジアが肩を落として落胆していると、騎士団本部の奥がにわかに騒がしくなり、新たなる客の到着を告げた。
「やっほぉ、ウィル! 呼ばれたから来ちゃったわぁ」
「げっ、母上」
ウィルジアがこの上なく嫌そうな声を出しても、母は全く気にすることなく、やたらに大勢の侍女を引き連れて訓練場の中へとやって来た。
「ねえ、立ち話もなんだから、ここでお茶会にしましょうよぉ」
「そりゃいいな、ハリーも呼んでるし、久しぶりに家族水いらずでお茶でも飲もう」
「父上、母上、騎士団の訓練場でお茶会を始めたら迷惑でしょう」
イライアスが至極真っ当な意見を言ったが、既に母付きの侍女たちが茶会の準備を始めていた。テーブルを設置し、椅子を持ち込み、茶菓子と茶器を用意している。あまりの手際の良さにイライアスは呆然と見守っていた。
ものの数分でお茶会の準備が出来上がる。
「父上! ウィルに一大事があったと聞きましたが、一体何が……!?」
「よー、ハリー。とりあえず座れよ」
同時に、急ぎ駆けてきたであろうハリエットが到着し、訓練場に据えられた豪華なティーテーブルを見て呆気に取られて固まっていた。
しかし驚くハリエットに構わず、父と母、そしてエドモンドが着席する。
イライアスとウィルジア、それに今しがた到着したばかりで状況が何もわかっていないハリエットは立ち尽くすばかりである。
「……突然呼び出されたから何事かと思ったら、本当に一体何事なんですか。一大事ではなかったんですか」
「一大事だよ! ウィルに好きな子が出来たんだって! だから皆で恋バナしよーぜ!」
ノリがおかしい父に、もはやどう言葉を返せば良いのかわからない。
空いた席をバシバシと叩きながら、エドモンドも陽気な声を出す。
「とりあえず突っ立ってないで座れよ。この場所はどうせあと小一時間は俺が使う予定だったから、茶会してても誰も気にしないぜ」
自由すぎる兄は、既に紅茶を啜っている。
「「「…………」」」
かろうじて常識を持ち合わせている三人は目を合わせたが、同時に全員が思っていた。
ーー父と母、それにエドモンドを止めることは不可能だろう、と。