第81話 だから、
帰ってきたリリカとウィルジアはアウレウスとロキを馬小屋に戻して世話をしてから、屋敷の中へと二人で入った。
「ウィルジア様、お疲れですよね。湯浴みなさいますか?」
「……うん」
ウィルジアは被っていたかつらと眼鏡を取り払うと、不意に玄関ホールに佇むリリカの方を振り返った。
まだ開いたままの玄関扉から差し込む月光が、ホールの大理石の床に細く糸のように差し込んでいる。
「リリカ、今日はありがとう。リリカは、下町の人に愛されてるね。皆、リリカの話を嬉しそうに話してくれた。僕の知らないリリカのことを聞けて、楽しかったよ」
「お礼を言うのは私の方です。今日はありがとうございました。とても幸せなひと時でした」
ウィルジアはじっとリリカを見つめたままだ。変装を解いたウィルジアは、月明かりのみの薄暗い中でもわかる綺麗な金髪の下、緑色の澄んだ瞳でリリカを見つめている。
その目は何か決意を秘めているかのようで、リリカは妙に落ち着かない気持ちになった。
「あの……ウィルジア様……?」
「それと、さっきの質問の返事だけど」
「さっきの?」
「どうして僕がリリカに優しくするのかって話」
「あ、それはもう……いいんです。別に私にだけ優しいわけじゃないって、知っていますから。ウィルジア様は誰にでも優しいから、だから」
「違うよ」
リリカのしどろもどろな話を、ウィルジアははっきりと否定した。
「僕はリリカに会うまでは、誰にも関心なんてなかったし、他の人なんてどうでもいいと思ってた。リリカが僕を変えてくれたんだよ。こんなどうしようもない僕を見捨てないで、いつもそばで支えてくれるリリカだからこそ、誰よりも大切にしたいと思った」
「えと、あの、それは……どういう……」
言われた意味がよくわからなくて懸命に理解しようとしているリリカに、ウィルジアは一歩近づくと、腕を伸ばしてそっと抱きしめた。
突然の事態にリリカは硬直した。
なんで、どうして抱きしめられているんだろう。
ウィルジアはリリカの耳元で、振り絞るように言葉を紡ぐ。
「……僕はリリカが大好きだから。だからリリカに優しくするんだよ」
「…………!」
「嫌だったら、拒否して。突き飛ばして、逃げ出して、仕事辞めてくれても構わない。リリカとずっと一緒にいたくて、隠しておこうと思ってたんだけど、もう自分の気持ちを誤魔化せないんだ。……みんなに愛されているリリカを、自分の立場を利用して縛り付けておくのが卑怯な気がして……だからもう、隠すのはやめようって」
「ウィルジア、様……」
「どうしようもないくらい、好きなんだ」
「…………!」
密着している体からウィルジアの早すぎる心臓の鼓動が伝わってきて、今の言葉が嘘偽りなんかじゃなく、ウィルジアの本音なのだと伝えてくれる。
リリカよりも頭ひとつ分背が高いウィルジアは、抱えるようにしてリリカを抱き締めているが、その力加減は優しくて、閉じ込められているようでもリリカがその気になれば簡単に両腕を振り解くことができるだろう。
この状況でも尚、ウィルジアはリリカの気持ちを尊重してくれている。
本当に嫌なら、ここから逃げ出せるようにしてくれている。
身分や主人という立場を利用してリリカを縛り付けておくような真似はしないのだと、リリカが嫌なら逃げてもいいのだと、言外に伝えてくれている。
そんなウィルジアの優しさを感じつつ、リリカは込み上げる気持ちをもう抑えなくていいんだと思った。
返事を、返事をしないと。
リリカは自分の中の勇気をありったけかき集めて、ウィルジアの背中に震える手を伸ばし、ぎゅっとシャツを掴んだ。
「……嫌じゃないです」
「リリカ?」
「私も、ウィルジア様がとても好きなので……嫌じゃないです。辞めたくないです。ずっとここに、いたいです」
するとウィルジアは、リリカの肩口に埋めていた顔をばっと上げてまじまじとリリカの顔を覗き込んできた。その顔は信じられない、とでも言いたげな、驚きが顕になった表情だった。
「僕のこと、好き?」
「はい」
「主人としてってこと? それとも異性として?」
「あのう……ご主人様としては勿論、とても好きですけど……」
「けど?」
「男性としても……お慕いしております」
ウィルジアの緑色の瞳が驚愕に見開かれた。
「え……本当に? 本当に僕なんかのことを好きなの?」
「はい。ウィルジア様はとても素敵な男性だと思います。それで、あの……あのぅ……」
至近距離から繰り返される好きかどうかの問答に、リリカの羞恥心が耐えられなくなった。顔を伏せてしどろもどろになるリリカを、ウィルジアは再びぎゅうと抱きしめる。その力は先ほどより強く、決してリリカを離すまいとしているかのようだった。
「ありがとう、リリカ。僕もリリカのこと、好きだよ」
それは先ほどの覚悟を持って絞り出された声とはうって変わって明るくて、きっと今のウィルジア様はとても良い表情をされているのだろうな、と見なくてもわかるほどで。
「……はい」
そう返事をしたリリカ自身の顔も、多分今までで一番いい笑顔をしているのだろうな、と思った。
本日もう一話更新いたします。





