第78話 その先に続く言葉
あちこちの家の煙突から煙が立ち上り、煙と共に良い匂いが漂ってくる。
子供たちは手伝いをしている子もいれば、意味もなく周辺を駆け回って遊んでいる子もいた。そのうちの一人がリリカに目を止めて駆け寄ってきた。
「あっ、リリカだ」
「もしかしてミートパイ?」
「そうよ」
「わーっ、リリカのとこのミートパイ! 早く食べたい!」
「ミートパイ!」
「お腹減ったー!」
リリカの持つバスケットを興味津々に眺めつつ、子供たちの「ミートパイ!」という合唱が響き渡る。リリカはクスリと笑い、子供たちの声に負けないよう大声を出した。
「後で皆で食べましょうね!」
「はぁーい。……ところでこのお兄ちゃん、だれ?」
「見慣れない顔」
「もしかしてリリカの恋人?」
「えっ、違うわよ!!」
子供の純粋な疑問を、リリカは即座に否定した。
「じゃあ誰?」
「ねえお兄ちゃんだれー」
「よくみるとかっこいいんじゃない?」
「ねえねえ眼鏡とってよ」
完全に興味がミートパイからウィルジアへと移った子供たちは、ウィルジアの正体を確かめようと包囲網を縮める。
下町の子たちは遠慮がないし、ウィルジアの正体など知る由もないので、ぐいぐいと迫ってきた。まずいわ、とリリカは思う。ウィルジアはお皿を落とさないように気をつけつつ、迫る子供たちに愛想の良い笑顔を浮かべて自己紹介を始めた。
「どうも。ルクレール公爵邸で働く従僕のウィルです。リリカとは、仕事仲間だよ。よろしく」
「なんだー、恋人じゃないのか」
「じゅうぼくって何だ?」
「使用人とは違うの?」
「使用人とはちょっと違うかな」
「ふーん。よくわかんないの」
「ねえ、眼鏡とってよ」
ウィルジアの自己紹介の後も子供たちの興味は尽きない。ウィルジアの眼鏡を取ろうとしつこく手を伸ばす一人の子を見て、見かねたリリカが間に割って入った。
「もう、みんな、ウィルが困ってるでしょ! はい、解散!」
「えぇーつまんないの」
「ちえー」
唇を尖らせる子供たちの間を縫うようにしてリリカとウィルジアは足を進めて広場へと向かった。リリカの内心はどきどきである。リリカはウィルジアに、敬語を使わないよう気をつけつつ謝罪をした。
「ごめん、子供たちに悪気はないから許してあげて」
「気にしてないよ。……僕、リリカの恋人に見えるのかな」
「あれは単なる悪ふざけだから、真に受けないで」
「リリカは僕と恋人に見えるの、やっぱり嫌かな」
「えぇっ!?」
思いもかけないウィルジアからの質問にリリカはたじろいだ。隣を歩くウィルジアの表情は、少し不服そうというか不安そうと言うか、何だか微妙な顔をしていた。リリカは言葉に詰まる。
嫌じゃない。むしろ嬉しい。
けれど、そんな風に言えるはずがなかった。
ウィルジアはリリカにとってかけがえのないご主人様であり、敬意を持って接する対象だ。
そんなウィルジアが恋人に見えたというなら、嫌とか嫌じゃないとかではなく、身の丈にあっていなさすぎて恐れ多い。
「嬉しい」なんて言うのは、傲慢すぎる。
自分の気持ちは隠さないと、今まで通りの生活が過ごせなくなってしまう。
リリカは顔を真っ赤にさせ、意味もなく口をあうあうと動かして、声にならない声を発した。
ウィルジアはリリカがまともな返答をできないと悟ったのか、眉尻を下げて少し寂しそうに笑う。
「困らせてごめん。今の質問は、忘れて欲しい。……さ、行こうか。早く準備しないと、おばあさんも待っているだろうし」
「あ、あの……うん」
足早に歩くウィルジアの隣を歩きつつ、リリカは内心でドギマギし続けていた。
(私は、ウィルジア様と恋人に見えて、嬉しいと思っていて……それってつまり、だから……)
そこまで考え、首を横に振る。
その先に続く言葉を考えないようにして、リリカはウィルジアと共に広場へと向かった。