第77話 ご挨拶
玄関の扉をノックしてから恐る恐る扉を開けると、おばあちゃんが朝食の後片付けをしているところだった。
「おばあちゃん、おはよう……」
リリカは変装したウィルジアを伴って家の中に入り、扉を素早く閉じる。おばあちゃんはエプロンで手を拭きつつ、リリカへと話しかけてきた。
「おはようリリカ、待っていたよ。おや、後ろにいるのは……」
「初めまして、リリカの雇用主のウィルジア・ルクレールです。リリカにはいつもお世話になっていて、一度ご挨拶をしたいと思っていました」
「!?」
リリカはウィルジアの発したセリフに驚かずにはいられなかった。振り返るとウィルジアは、せっかくリリカが整えたかつらを外し、眼鏡をとってしまっている。
「ちょ、ウィルジア様っ、何していらっしゃるんですか!?」
「何って、ご挨拶をと思って。せっかくお会いしたんだから、変装したままだと良くないだろうし」
「えぇっ!?」
慌てふためくリリカをよそに、おばあちゃんが目を見開いてウィルジアの姿を見つめている。
「おや、まあ。このような場所においでとは……」
「僕が無理を言ってリリカについて来たんです。リリカを責めないでください」
「そうでしたか」
おばあちゃんは頷くと、自分よりもずっと背の高いウィルジアを見上げ、目を細めた。
「お懐かしい。わたしがウィルジア様に王宮でお会いした時は、まだほんの小さなお子様でした。ご立派になられて……リリカは役に立っておりますかな。みっちり仕込んだと思っておりますが、不作法を致してはおりませんか」
「不作法なんて、とんでもない。リリカのおかげで僕は楽しい日々を送っています」
「それならば良かったです。ところで今日は、遥々下町まで何をしにいらっしゃったのでございますか?」
「万霊祭の手伝いをしようと思って来ました。僕が知っている万霊祭のやり方とは違うようなので、ぜひこの目で確かめたくて。それに、リリカが今まで関わってきた人たちや、下町の暮らしぶりを見てみたいと思ったので」
「ほう、それは、ありがたい申し出です。お忍びともなれば無礼を働く者もいるかと思いますが、多めに見て頂けるとありがたく存じます」
「はい。もちろんです」
「ま、とりあえずはパイ作りかねえ。ウィルジア様はどうぞお寛ぎになっていてくだされ」
「広場に持ち寄るご馳走作りですよね。僕も手伝います」
「しかし、ウィルジア様にお料理を手伝っていただくわけには……」
「リリカに教わり少しは料理も齧っているので、役に立てると思います」
「リリカにですか?」
「はい。無理を言ってリリカに教わりました」
「はぁ……」
おばあちゃんは明らかに困惑していた。その顔にははっきりと、「なぜ公爵であるウィルジア様に料理を教える事態になったんだい?」と書かれている。
しかしウィルジアは、こちら側の困惑などどこ吹く風だった。
「どんなパイを作るんですか?」
「ミートパイを……」
「ミートパイ! 食べたことがないから、楽しみだ。リリカの作る料理はいつでも美味しいから。何を手伝おうか」
乗り気なウィルジアを前に流石のヘレンおばあちゃんが閉口し、困ったようにリリカを見つめてきた。無理もない。お忍びで下町を視察するところまでは理解できたとしても、料理の手伝いを申し出るような貴族など普通は存在しないだろうから、戸惑っているのだろう。
「あのう、ウィルジア様……」
「なんだろう」
「…………生地作りを手伝ってもらえますか」
「うん、わかった」
リリカは「ウィルジア様は座って待っていてください」と言おうとしたのだが、キラキラと目を輝かせて良い顔をするウィルジア相手にそうも言い出せず、結局ウィルジアの望む通りに手伝いをしてもらうことにした。
下町のおばあちゃんの家で、リリカとウィルジアとおばあちゃんの三人でミートパイを作るというのはなかなかに変な状況である。
しかしウィルジアは全く何も気にせずに、再びかつらをかぶって眼鏡をかけた変装状態で積極的にパイ作りを手伝っていた。
「生地をこねるって、結構力がいる仕事なんだね」
「量が量なので、大変だと思います。あのう、無理しないでください。いつでも私が代わるで」
「最近はエド兄上と鍛えてるから、このくらいの力仕事どうってことないよ」
「そうですか? 本当に疲れたらおっしゃってくださいね」
大量のパイ生地をぐいぐい捏ねているウィルジアに向かってリリカが声をかけた。ミートパイの生地をウィルジアがこね、リリカとおばあちゃんは中に詰める具材の玉ねぎをみじん切りにし、肉の塊をミンチ状にしていた。
おばあちゃんはウィルジアの会話を聞き、しみじみとする。
「ウィルジア様はエドモンド様とあまり仲がよろしくないと記憶しておりましたが」
「苦手でした。けど色々あって、今は仕事終わりに騎士団で訓練に付き合ってもらってます」
「ウィルジア様が騎士団に行っているとは。……もしやリリカが弱すぎて、役に立たないのでご自身を鍛えることにされたのでは。一定以上の戦闘力は身に付けさせたと思っておりましたが、不足しておりましたでしょうか」
「いやいや、リリカは十分すぎるほど強いよ。ただ、守られっぱなしは情けないなと僕が自分を不甲斐なく思ったから、鍛えることにしたんです」
「なんとまあ」
おばあちゃんは感心したように声を上げ、それからリリカに顔を近づけると声を顰めて言った。
「随分とお優しいご主人様みたいで、よかったねぇ。しかし、優しさに甘えちゃいけないよ。ご主人様をお守りするのは、あくまで使用人の仕事なんだから」
「うん、わかってる」
リリカはおばあちゃんの言葉にこくりと頷いた。
ウィルジア様は超がつくほど優しいお方だ。だからと言って、おんぶに抱っこではいけない。どれほどリリカのことを気にかけてくれようとも、ウィルジアはご主人様。身を挺して守るのは、リリカの務めである。
リリカの真剣な眼差しを見たおばあちゃんは、「それでいい」と満足そうに言い、玉ねぎをみじん切りにする作業に戻った。
ウィルジアを交えてのミートパイ作りは極めて順調に進んだ。
リリカとおばあちゃんが作るミートパイは、具材はひき肉と玉ねぎのみだが、味付けに工夫を凝らしていた。塩の他に乾燥させて粉砕したローズマリーやパセリを混ぜ込み、味に深みを出すように気をつけている。
それらを一度フライパンで炒め、冷ましてからパイ生地を敷いた型の上へと乗せていく。
具材の上から細長く切ったパイ生地を編み込むように乗せれば、あとは焼くだけだ。
「何個作るんだい?」
「五十個くらいですね」
「そんなに? リリカは毎年ミートパイを焼いてるのかい?」
「はい! おばあちゃんの特製ミートパイは、楽しみにしている人がたくさんいるので、いつもたくさん作るんです」
ウィルジアの問いかけにリリカが答える。
リリカも大好物のミートパイは、万霊祭のメインディッシュだ。いくら作ってもあっという間になくなってしまうので、年々焼く量が増え続けている。
「近所の人たちが、パイの型をこぞって持ってくるんですよ」
「それでこんなに型がたくさんあるのか……」
ずらりとテーブルの上に並んだ、到底一家庭で用意できない量の丸いパイの型を見てウィルジアは納得しているようだった。
火加減を見ていたおばあちゃんが、腰を上げてリリカを見る。
「さあ、頃合いにオーブンが温まった。焼いて行くよ」
「うん、おばあちゃん」
リリカはオーブンの中に素早くミートパイを入れてゆく。一度に焼ける量はそれほど多くない。内部の熱を逃さないように素早く扉を閉め、火加減に注意しつつ焼けるのを待つ。待っている間に、次に焼くパイの準備を進めた。
家の外では人の行き交う声が聞こえ、万霊祭ならではの賑わいに満ちている。
リリカたちは三人で黙々とミートパイを焼き続けた。
「はい、出来ました」
「わ、美味しそうだね」
焼き上がったパイをオーブンから取り出してみると、それはそれは良い色に焼き上がっていた。網目の隙間からは具材が顔を覗かせており、肉の焼ける香ばしい匂いがおばあちゃんの家のリビングの中に充満している。
リリカは一つを型から取り出し、切り分けてお皿に盛り付けウィルジアへと渡す。
「はい、どうぞ、ウィルジア様」
「食べていいのかい?」
「勿論です。広場に行くと奪い合いになるので、ここでゆっくりお召し上がりください」
ウィルジアはリリカの顔とミートパイの載った皿とを交互に見比べたあと、そっと皿を受け取る。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
それからフォークでパイを切り分けて、まだ湯気が立ち上る熱々のミートパイを頬張った。
「……ん、美味しい! パイがサクサクだね。ひき肉がぎっしり詰まっていてボリューム満点だし、ハーブが良い味を出してる。人気があるのも納得だよ」
「ウィルジア様に褒めていただけるとホッとします」
リリカはおばあちゃんのミートパイをウィルジアにも気に入ってもらえて嬉しくなった。今度お屋敷でも出そうかなと考える。昼食用にしてもいいだろう。
約五十個のミートパイを焼き終えると、慎重にバスケットの中へと詰め込む。
「このまま持って行くのかい? 型から外したり、切ったりしなくていいんだ」
「今切ってしまうと、運んでいる最中に形が崩れる可能性があるので、広場についてからお皿に移して切っているんです」
「なるほど。お皿ってこれ? 重いから僕が運ぶよ」
「いいんですか? 本当に重いですよ」
「確かに重いね。割らないように気をつけないと」
ウィルジアは十枚重なった皿をひょいと持ち上げると、慎重に家の出口に向かって進む。リリカはミートパイがぎっしり詰まったバスケットにナイフを一本差し込むと、後片付けをしているおばあちゃんに向かって声をかけた。
「おばあちゃん、私たち先に広場にパイを運んでいるね」
「ああ、気をつけるように」
「うん。では行きましょうかウィルジア様」
「家を出たら僕のことはウィルって呼んで」
「わ、わかったわウィル」
リリカが言うと、ウィルジアは満足そうに微笑んだ。
なんだか気恥ずかしくなったリリカはウィルジアから目を逸らし、玄関の扉を開けて家から出た。





