リリカの休日②
しんと静まり返った図書室内は人気がまばらだった。
王宮は王立図書館以上に立ち入る人間が制限されているので当然だろう。
細長い図書室内には書架がずらっと並んでいて、古い紙の匂いがした。
リリカは図書室内をゆっくり歩きながら見回す。
(ここが王宮図書室……きっとウィルジア様は、幼少期にここでよく過ごされていたのね。何を読んでいたのかしら。やっぱり歴史書?)
趣のある図書室内を歩いていると、小さなウィルジアが今にも本棚の影から出てくるような気がする。リリカは五、六歳くらいのウィルジアが椅子に座って足をぶらぶらさせながら本を読んでいる様を思い描き、口元を綻ばせた。
(小さなウィルジア様、きっと可愛らしかったんだろうなぁ。お世話して差し上げたい)
実際のウィルジアは五、六歳の頃にはもう前髪長めでうつむいて人目を避けて過ごす傾向にあり、おまけにエドモンドに追いかけられるせいで終始ビクビクしていたのだが、リリカの想像力はそこまでには至らなかった。
何を読もうかと考えたリリカはなんとなく歴史書が並んでいる一角に踏み入り、そこに「王家の歴史」という一冊の本があることに気がついた。
王家の歴史ということは要するに、ウィルジアの祖先について書いてあるということだ。
主人としても人としてもウィルジアのことが大好きなリリカは、これはもう読まなきゃでしょ、と考えてその一冊を手に取る。閲覧机に座ったリリカはそっとページをめくると、すぐ本の世界へと没入した。
「お姉様、そろそろ昼食の時間ですので、お部屋にお戻りになりませんか」
声をかけられたリリカははっと顔を上げる。
「もうそんな時間?」
「はい」
「ごめんなさい、今行きます」
時間を忘れて何かに集中するというのはリリカにとってかなり珍しい。大体いつも頭の中に次にするべきことがあり、今やっていることは何時までに終わらせねばならない、と考えながら動いている。なのでついうっかり時間を過ごすほど没頭してしまうなんてことは許されないのだ。
本をパタリと閉じたリリカは、席を立った。
「よろしければ本を借りて行かれますか?」
「いいんですか?」
「はい。もちろんです。昼食の後お部屋でゆっくりとお読みください」
部屋に帰ると当然のように昼食が用意されていて、なんというかとても申し訳のない気持ちになった。
「王族でも貴族でもなんでもない私が、こんな待遇受けてていいんでしょうか」
「何をおっしゃいますか、お姉様はウィルジア様の恋人にして、私たちの師匠。もっともっとおもてなしを受けて当然にございます」
「そうなんですかね……?」
「そうに決まっています!」
困惑するリリカをよそに、嬉々として給仕を開始する侍女。
豪華すぎる昼食を目の前にしてリリカは思った。
もうここは開き直って、王宮で見るもの食べるもの全てを吸収して自分のものにしようと。
庭を散策して草花の手入れの方法を参考にし、食事をいただいてどのように調理しているのかを考え、湯浴みの時にはどんな石鹸を使っているのか聞き、用意されるドレスによって流行の最先端を学ぼう。
(そうと決まれば、がぜんやる気が出てきたわ!)
骨の髄まで使用人としての働き方と考え方が染み付いているリリカは、早速昼食を食べて舌鼓を打ちながらも、食材や調理方法に思いを馳せるのだった。
昼食の後も自由時間で、特にすることのないリリカはお昼寝したり借りてきた本を読んだりして過ごす。
侍女はベルを残して控えの部屋に去っており、今客間にはリリカ一人だ。
本から目を上げたリリカは、紅茶を一口啜ってから、ふうと息を吐き出した。
「こんなにゆっくりしたのって、初めてかも……」
リリカは五歳に両親を亡くしてから、常に一人前になるべくおばあちゃんの指導の下、あくせくと働いて生きてきた。
おばあちゃんは勿論お休みもくれたけれど、だからと言って丸一日何もしないというわけにはいかない。
掃除や洗濯や料理という生活に必要な事柄はやらなければならないわけで、こんなに至れり尽くせりな一日を送った経験は一度もない。
何せ本日のリリカは、お庭のお散歩と読書以外に何もしていない。
王妃様付きの侍女の皆様がリリカの代わりに全ての物事をやってくれ、リリカはそれを享受しているのみである。
「嬉しいし、楽だけど、やっぱりちょっと落ち着かないわ」
お屋敷に帰ったら何をしようかな、と思いつつ、リリカはだんだん暮れていく空を部屋の大きな窓越しに眺めたのだった。
夜になるとウィルジアが王宮に帰ってきた。帰ってくるなりリリカの部屋に顔を見せたので、ひとまずリリカはお出迎えをする。
「ただいま、リリカ」
「おかえりなさいませウィルジア様」
「無茶してなかった?」
「はい、おとなしく過ごしておりました」
「うちの家族が押しかけてきたりしてない?」
「誰もいらっしゃいませんでした」
「ならよかった。多分明日は、父やイライアス兄上に顔を見せたり、母がリリカとお茶会をしたがっていてやかましいから相手をしてもらうことになるかもしれないんだけど……」
「喜んでお話しさせていただきます!」
「あ、そう?」
「はい。王宮に滞在している身で、皆様にご挨拶できていない状態がとても心苦しかったので、ぜひお会いさせてください」
リリカがやや食い気味に迫ると、ウィルジアが「まあ、リリカがそう言ってくれるなら助かるけど」と頬を掻いて言う。
そのまま一緒に夕食を取ることになったので、ウィルジアはリリカの真向かいに座った。
「今日は何してたの?」
「お庭の散策と読書です。生垣の剪定方法を王宮の庭師に教えていただきました。半月近くお屋敷を留守にしているので、お庭が荒れていないか心配です……花が枯れていないといいんですけど」
「リリカ、仕事熱心だよね……」
「もう身に染み付いた習慣なので、拭い去ることは不可能です。お屋敷の維持管理は私の役目ですから」
「まあ、また帰ったらやってもらうことになるから、ひとまずゆっくりしてて」
「はい。ウィルジア様は明日もお仕事に行きますか?
「午後からね。仕事すっぽかして病院の手伝いに行ってたから、やることがたまってて。他にもやりたいことができたし」
「歴史編纂家としてのお仕事以外にですか?」
「そう。昨日の夜にも伝えたけど、僕はこのままじゃダメだと思うから、自分にできることをやろうと思って。とりあえず平民の識字率を上げるために王立図書館で平民向けに講座を開けるようにしようかなと。父とイライアス兄上と宰相には話を通したから、具体的な話が出る前に今の仕事を一段落つけたくて」
ウィルジアが淀みなく話す内容にリリカは目を瞬かせた。
「ウィルジア様、本当に色々と考えてくださっているんですね」
「本来ならそれが僕の仕事で、今までが逃げていただけに過ぎなかったから……」
卑下するような言い方に、リリカはゆるゆると首を横に振った。
「逃げていただなんて、そんなことはありません。こうして私たち平民のことを気遣っていただけて、とても嬉しいです。何かお手伝いできることがあったら、おっしゃってください。私、全力でお支えしますので!」
「これ以上リリカの仕事を増やすわけにはいかないけど、そう言ってもらえると心強いよ。ありがとう」
夕食を終えるとウィルジアはリリカの部屋を去って行くのだが、「おやすみ」という言葉と共に当然のようにキスが落とされた。
「あのう、これもしかして毎日するんですか……?」
「そのつもりだったんだけど……だめかな。リリカ、僕とキスするの嫌?」
「嫌じゃないんですけど、その、恥ずかしいんです……」
「そのうち慣れるよ」
そう言って再び唇を塞がれ、ウィルジアはいい笑顔を残して部屋を出て行った。
リリカは赤くなった顔を押さえつつ、その場にへたり込んだ。