ウィルジアのはからい
「リリカお姉様、お肌がすべすべですね!」
「お姉様の髪、とてもつややかで綺麗でずっと触っていたくなります」
「……どうしてこんなことに……?」
王宮の浴室で、リリカは途方に暮れていた。
今リリカは、使用人用ではなく客間に設られている客人が使うための豪奢で広々とした浴室で、王妃様付きの侍女の皆様から体を隅々まで洗われていた。
リリカが王宮にやってきたという話をたちどころに聞きつけた王妃エレーヌが「あらぁ、リリカの世話ならうちの侍女たちに任せてぇ!」と言い、侍女たちも「リリカお姉さまのお世話なら私たちがします!!」と言って張り切ってやって来たという話だった。
体も髪もいい香りの石鹸で洗われたリリカはとぷんと湯船に身を沈める。
「リリカお姉様、お湯加減はいかがですか?」
そう聞いてきたのは銀髪をツインテールにしたコレットという名前の侍女だ。
「ちょうどいいわ」
「それは何よりです。では私たちは、お部屋の支度を整えますので、ごゆっくりどうぞ」
侍女たちは良い笑顔でそう言い残すと浴室を出て行った。
リリカは絶妙なお湯加減の中で一人、「あうう」と声を出した。
この後何をされるのか、リリカは知っている。
体を拭かれて髪を拭かれて着替えさせられ、髪に香油を塗り込められ、お化粧されるのだ。それはリリカが使用人としておばあちゃんに何百回も教わったことだし、やれと言われたら即座にやれる自信がある。
しかし、やられる側に回るのは初めてであった。
なんでリリカがもてなしを受ける側に回っているのだろう。
「ウィルジア様、何考えているんだろ……」
己の主人の真意がよくわからないリリカは、首を傾げるばかりである。
湯浴みを済ませたリリカは、予想通り侍女たちの手により身なりを整えられた。
胸のところで切り返しが入った上質なモスリンのドレスを身に纏い、薔薇の香油で髪を艶やかにし、薄く化粧をされ、髪もいつものようにきっちりとまとめるのではなく緩く編まれる。
「さあ、できましたよお姉様」
「素敵です、リリカお姉様!」
「ありがとう……」
王妃様付きの侍女の皆様方に褒められたリリカは、素直にそう返した。
「ウィルジア様がお待ちですので、こちらにどうぞ!」
そう言われたリリカは、もはや抗う気力などとうに消え失せていたので大人しくついて行く。
やたらと階段を上り、かなり上部に位置するバルコニーに連れて来られたリリカは、外を見ているウィルジアの姿を見つけた。
「ウィルジア様」
声を掛けると振り向いたウィルジアがはっと目を見開き、それから少し顔を赤らめる。
「あ、リリカ、支度済んだんだ。図書館を案内した時にも思ったんだけど、やっぱりドレスも似合うね」
「ありがとうございます。けれど私、とっても落ち着きません。何でおもてなしされてるんでしょうか?」
ウィルジアはバルコニーの入り口で所在なさげに佇むリリカの元へと近づいてきた。
「前にリリカ、王宮で母の侍女に教育をした後、帰って来てから倒れただろう?」
「はい」
リリカはその時のことを思い出し、非常に申し訳ない気持ちになる。
熱を出して倒れたリリカをつきっきりで看病してくれたのは、他でもないウィルジアだ。
「だから今回は、リリカが倒れる前に休んでもらおうと思って。病院、大変だっただろう。あんなにひどい状態になっているなんて知らなかった。ゆっくり休んで、屋敷に帰るのはそれからでいいから」
リリカはじぃんとした。この突然のおもてなしは、リリカの体調を気遣ってのことだったのか。
確かに王立病院で過ごした半月は、なかなかにハードな日々だった。
あのまま王宮に寄らずまっすぐ屋敷に帰ったら、リリカは間髪入れずに屋敷の仕事を始めて、そしてまた倒れていたかもしれない。
それを見越したウィルジアがリリカを王宮に客人として滞在するよう計らってくれたのだ。
ウィルジアはリリカの手をとって、バルコニーの手すりまで導いてくれた。
王都の夜の街並みが一望できる。
ウィルジアは人差し指を伸ばし、夜景の一角を指し示した。
「手間に見えるのが王立図書館で、第二病院はあのあたりかな。リリカのおばあさんの家は、下町のあの辺だよね」
「はい」
「それで僕の屋敷があるのが、あの真っ暗闇で何にも見えない森の中」
「左様ですね」
「僕、小さい時はわりとこのバルコニーに来てたんだ。上の方にあるから人があまり来ないし、エド兄上とか家庭教師から逃げたくて。でも、こんなに景色がいいのに、外を見ようとは思わなかったし、街に何があるのかなんてどうでもよかった」
ウィルジアの緑色の瞳は、夜の王都を見下ろしたままだった。
「王都にはいろんな人が住んでいて、彼らは僕とは全然違う暮らしを送っているんだって、そんなことにすら思い至らないで、ただただ嫌なことから逃げ回っていたんだ。今回病院に行って、初めて彼らの暮らしを目の当たりにして……このままじゃダメだなって思うようになった」
ウィルジアは、隣に立つリリカへと視線を滑らせた。
「リリカのおかげで、僕は外の世界に目を向けられるようになったし、王族の端くれとして自分にも何かできることがあるんじゃないかって思えるようになった。ありがとう」
リリカはゆるゆると首を横に振った。
「何かお役に立てたのなら光栄です」
「まだまだ兄たちに比べたら未熟だけど、頑張るから」
「はい。私もウィルジア様をお支えいたします」
それはきっとウィルジアの、決意の証だったのだろう。
そんな風に真っ先に考えを教えてくれる自分の主人を頼もしく、そして愛しく思いつつリリカは見上げてはにかんだ。
「私、ウィルジア様のそういうところが大好きです」
「……僕は、リリカの全部が大好きだな」
目を細めるウィルジアが手を伸ばし、リリカの頬に手を添える。
そのままゆっくりと顔が近づいて来たかと思った次の瞬間、リリカの唇にウィルジアの唇が重なった。
柔らかな感触を感じたのは、瞬きひとつ分ほどのわずかな時間。
けれどリリカにとっては、時が止まってしまったかのように永遠に感じられた。
唇が離れても距離が近いことには変わりなく、間近に迫ったウィルジアの緑の瞳にリリカは自分が映っているのが見えた。
「え……あの……え……?」
何が起こったのかわからずにリリカは硬直し、次にキスされた、しかも唇に、という事実を遅れて頭が認識した瞬間、かあああっと顔が赤くなった。
相変わらずウィルジアの掌によって頬が包まれたままだし、顔は近いし、逃げようがないし、どうすればいいのかわからない。
石像のようになってしまったリリカを前にして、ウィルジアは眉根を下げて困った顔をする。
「ごめん、リリカがあまりにも可愛くてつい……嫌だった?」
リリカは胸元で手をぎゅうと握りしめ、フルフルと首を縦に振る。
「い、嫌じゃないです……」
「じゃあ、もう一回してもいいかな……?」
見上げたウィルジアの表情は切なげで、余裕のないもので、リリカはかすかに頷いた。
「……もう一回……」
再びリリカの唇にウィルジアのそれが重ねられる。
どうすればいいかわからないリリカは、ただただ体をこわばらせたまま受け入れた。
リリカはおばあちゃんから「使用人たるもの、ありとあらゆる出来事を想定して動けるようにするべし」と言われ続けていたし、実際どんなことが起ころうと即座に対応できるよう鍛えていた。
しかし恋愛に関していうならば完全に門外漢で、想定外の出来事の連続である。
どんどん熱を帯びていくリリカの体。
ウィルジアは唇を離した後も名残惜しむように緑色の目を細めてリリカを見つめ続け、リリカのおでこに自分のおでこをコツンと合わせると、囁くように言った。
「ねえ、色々落ち着いたら、今度デートしようよ」
「えっ、デート……って何するんですか?」
「王都を一緒に見て回ろう。リリカに似合いそうなものを買ってあげたいし、どこかで一緒に食事したいし、流行りの劇でも見に行こうか?」
「えぇぇ、えっ、えっ」
そんな貴族の婚約者同士がするようなことを、リリカがしてもいいものなのだろうか。
しかしウィルジアの提案はとっても魅力的で、想像するだけで楽しそうだった。リリカは小さく、本当に小さく頷く。
「ウィルジア様さえよろしければ……ぜひ……」
返答を聞いたウィルジアは、至近距離でそれはそれは綺麗な笑顔を浮かべた。
「リリカをリードできるなら、僕は嬉しいなぁ。家族に感謝しよう」
「? なぜご家族に?」
「何でもない。こっちの話。疲れているのに付き合わせてごめんね。部屋に戻ってごはんにしようか。食事はリリカの部屋に運んでもらうよう言ってあるから、今日はゆっくり休んで」
「はい、あの、ありがとうございます」
「うん」
ウィルジアに手を引かれバルコニーを出る間際、リリカはちらりと背後を振り返った。
夏の夜の王都は、ひっそりと更けていった。
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