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其の漆──小姓、捨て身の攻撃を仕掛ける──

 そしてついに夜が明けた。

 今日の昼過ぎには、宮……弥生は白刃の露となって消える。

 

 結局自分は何もできなかったのか。

 窮地を救ってくれたその人を、見殺しにすることしかできないのか。

 

 言い難い思いを抱えつつ、吾狼は身支度を整え居室を出る。

 暗い面持ちでいつものように双樹の元へ向かおうとする、その時だった。

 

「吾狼様、昨夜はお疲れ様でした」

 

 そう言い自分に向かい頭を垂れている者がいる。

 誰かと思ってみれば、昨日吾狼の身代わりを勤めた双樹配下の少年だった。

 何事かと吾狼が小走りに近づくと、少年は低く小さな声で告げた。

 

「主が申しますに、本日は非番にせよと。昨日のこともあり、また今まで働き詰めで疲れたろうから、今日くらいは何も考えずゆっくり休め、とのことです」

 

 ご不在の間の主の世話は、自分が責任をもって相勤めます。

 そう言い少年は再び頭を下げると、吾狼に背を向けてもと来た道を帰っていく。

 取り付く島も無く、吾狼はしばしその場に立ち尽くしていた。

 

 さて、どうするか。

 

 このまま部屋に戻ったとしても、あれこれ考えてしまいそうで到底休めそうにない。

 かと言って阿龍の元に出仕でもしたら、勝手に非番を言い渡した双樹の立場が悪くなるかもしれないし、その目で直に処刑を見届けることになりかねない。

 考えることしばし。

 ふと吾狼はある事を思い立って、ある場所を目指して走り始めた。

 

     ✳

 

「来られなくてごめん。餌は……食べてるみたいだね」

 

 吾狼が話しかけたのは他でもない。

 かつての弥生の愛馬、青鹿毛である。

 彼は吾狼の姿を認めるやいなや、今まで何をしていたんだ、とでも言うように鼻を鳴らした。

 それに応じるように、吾狼はすぐさま馬房の掃除を始めた。

 床を綺麗に履き清め汚物を取り除き、敷かれていた干し草を交換する。

 次に手桶に汲んできた水でその身体を丁寧に洗い、仕上げに刷毛をかけてやる。

 と、青鹿毛はようやく機嫌を直したようで、嬉しそうに嘶く。

 そんな青鹿毛の首を撫でながら吾狼は泣きそうな声でつぶやいた。

 

「すまない。自分は、君のご主人を救えなかった」

 

 替えたばかりの干し草の上に、こぼれ落ちた涙の雫が吸い込まれていく。

 しばし青鹿毛は不思議そうにその様子を眺めていたが、何を思ったのか急に激しく床を蹴り始めた。

 そして激しく嘶くと、吾狼が止めるのも聞かず入口を塞ぐ横木に体当たりを繰り返す。

 

「まさか……外へ出たいのか? 」

 

 そうだ、と言うように青鹿毛は鼻を鳴らした。

 けれど、彼を一頭で解き放つ訳にもいかない。

 ならば、と吾狼は腹を括った。

 棚から馬具を取り出して青鹿毛に着ける。

 そして厩の外に引き出すと、一気にその背にまたがった。

 青鹿毛は我が意を得たり、とでも言うように走り出す。

 城下を抜け、市井を抜け、田畑を抜けて草原の一本道へ出る。

 たどり着いたのは他でもない、阿龍と共に来た事のあるあの丘の上だった。

 着いたぞ、とでも言うように青鹿毛は後ろ脚で立ち上がり、吾狼を背から振り落とす。

 大地に転がり落ち仰向けに横たわる吾狼の視界に飛び込んできたのは、薄い紅色に色付いた枝々だった。

 

──この木はな、春になると薄紅うすくれないの可憐な花を咲かせるのだ。良く弥生と見に来たものだ──

 

 阿龍様はあの時、確かその様な事をおっしゃっていたっけ……。

 

 次の瞬間、吾狼はある事を思い付き、がばと起き上がった。

 言葉ではどうしても動かない阿龍と弥生の心持ちを、これならあるいは動かせるかもしれない。

 吾狼は目を凝らし、花が咲いている枝を探す。

 けれど、手の届く範囲にあるのはいまにもこぼれそうな蕾ばかりだ。

 今年の冬は厳しかったせいか、未だ花の姿は見当たらない。

 吾狼は草履を脱ぎ捨てると、木に登り始めた。

 六尺も登った所でようやく数輪の花をつけた枝を見つけた。

 腕を伸ばして枝を折りとり、そろそろと木から下りる。

 そんな吾狼を迎える青鹿毛は、遅いぞ、とでも言うように長い尻尾を揺らしていた。

 どこから持ってきたのか、花のついた枝を済ました顔でくわえている。

 

「お前、最初からこうするつもりだったんだな」

 

 青鹿毛から枝を受け取ると、吾狼はその鼻先を撫でてやる。

 それから再びその背にまたがった。

 見上げると、既に太陽は中天に達しようとしていた。

 正午までは、あと僅かである。

 

 急がなければ。

 

 吾狼が腹を蹴ると同時に、青鹿毛は勢いは良く走り始めた。

 間に合ってくれ。

 せっかく手にした二枝の花が散らぬよう細心の注意を払いながら、吾狼は青鹿毛にしがみついていた。

 

      ✳

 

 軋む音と同時に扉が開き、暗い土蔵の中に外界の光が差し込んでくる。

 まぶしさに思わず目を細める宮の前に現れたのは、刑の執行を告げる役人達だった。

 先頭に立っていた最も身分が高いと思しき一人が、罪状と刑の内容を読み上げる。

 それが終わると、後ろに控えていた二人が近寄ってきた。

 その手には荒縄が握られており、無抵抗の宮を難なく縛り上げる。

 そのまま引き立てられて、表へ出る。

 しばらく表に出ないうちに、季節は冬から春へと歩みを進めたようだ。

 頬に当たる風がわずかに暖かく、心地良い。

 足元には緑の草が芽吹いている。

 宮は名残惜しそうに空を仰ぎ見、爽やかな空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

 と、かすかにすすり泣く声が聞こえてきた。

 見ると、役人達は等しく鼻をすすり、目頭を押さえている。

 何事かと目を丸くする宮に、先頭を歩く役人は涙混じりの声で告げた。

 

「申し訳ございません、弥生様。我々は誰一人、お館様に対して声をあげる事ができませんでした」

 

『宮』の罪状を思えば当然と言えば当然、しかし『弥生様』にはあまりにも酷すぎる。

 そして我らは、権威の前に何もすることができない。

 そう言うと、彼はこらえきれなくなり嗚咽を漏らした。

 残る二人の顔も、既に等しく涙で濡れていた。

 悲しみのあまり遂には歩けなくなってしまったその人達に、宮……弥生は柔らかく微笑みを返した。

 

「その気持ち、ありがたく受け取ろう。そなたらの事は、金輪際忘れはせぬ」

 

 その言葉は形式的なものではなく、弥生の本心からの言葉だった。

 役人達はようやく涙を拭き、刑場へと歩を進める。

 そして、遂に視界が開けた。

 一面真っ白な砂が反射する光が目に痛い。

 家来達の衆人環視の中、そこに敷かれたむしろの上に座らされる。

 目の前には、斬り落とされた首が落ちるであろう穴が掘られていた。

 やがて、阿龍のお成りを告げる声が聞こえると、家臣達は一斉にその頭を下げる。

 数名の小姓を従えた阿龍は、床几しょうぎに座すなり弥生を一瞥し、感情の無い声で言った。

 

「……今ならまだ許す。潔く自害するつもりは無いか? 」

 

 返答は、無い。

 そうか、と低くつぶやくと、阿龍は傍らの朧をかえりみた。

 朧は宮の脇に立つと、改めて高札に掲げられていた文書を読み上げる。

 執行人らが現れ、宮にまず白布で目隠しを施す。

 そして肩口を動けないように押さえつける。

 首斬り役人がその刀を抜き放ちつ。

 すぐさまその白刃は水で清められた。

 そして阿龍に向かい深々と一礼すると、その刀を大上段に構えた。

 光を反射した白刃が振り下ろされるその刹那、かすかな馬の嘶きが聞こえた。

 何事かと一同の視線はそちらに集中する。

 駆け込んで来たのは他でもなく、何かを抱えた吾狼だった。

 

「その処刑、お待ちください! どうか……どうか今一度ご考察を!」

 

 その姿を認めた阿龍は、床几を蹴り倒して立ち上がる。

 言い難い表情を浮かべて吾狼をにらみつけるのだが、何故か言葉は出てこない。

 そんな主に代わって口を開いたのは、常日頃は穏やかなはずの朧だった。

 

「いかがした、吾狼! よもや乱心したか? 」

 

 普段の吾狼であれば、この一喝で怖気づき平身低頭してしまっただろう。

 けれど吾狼は阿龍の前に進み出てひざまずき、臆することなくその視線を受け止めた。

 そして手にしていたものを高く掲げる。

 

「春の弥生に咲く、あの丘の木の花にございます」

 

 差し出されたうちの一枝を、阿龍は無言で受け取る。

 枝にしがみつくように咲く薄紅の可憐な花を無言で見つめる阿龍に、朧は珍しく声を荒らげる。

 

「何をしておられるのですか? 一国一城の主ともあろう方が、己の下した決定を覆すおつもりですか? 」

 

 阿龍は枝を握る手に力を込める。

 しかし、未だ何の言葉は出てはこない。

 ここで諦める訳にはいかない。

 吾狼は朧に向き直り、必死の様相で言った。

 

「では、後生でございます。弥生様に、手向けとしてこの花を見せて差し上げる訳にはまいりませんか。せめて……」

 

「そのようなこと、出来るわけ無かろう! 吾狼よ、そなた自分が一体何を言っているのか……」

 

 その時だった。阿龍の口元が、かすかに動く。

 吾狼と朧は言い争うのを止め、主の言葉を待った。

 

「……す」

 

「は……? 今、何と? 」

 

 聞きとがめて問い返す朧。

 その場に集う家臣団達も、固唾をのんで次の言葉を待つ。

 

「許すと申した。俺に二度も同じ後悔をさせるつもりか? 」

 

 弥生の婚礼のはなむけに大切にしていた青鹿毛を。

 あの時聞きとげられなかった思いは、未だ阿龍の心に重くのしかかっていたのだ。

 それは、ただ一人の妹を思う心持ちが何ら変わっていないことを示していた。

 朧の顔に、忌々しげな表情が浮かぶ。

 けれど主命とあらば従わぬわけにはいかない。

 苦虫を噛み潰したような顔そのままの声で、首斬り役人に対して一旦刀を引くように命じた。

 

「ありがとうございます! 」

 

 阿龍と朧、双方に頭を下げると、吾狼は弥生の傍らに駆け寄る。

 そして、目隠しを外された弥生に向かいもう片方の枝を差し出した。

 

「こちらにございます、弥生様。どうぞご覧ください」

 

 言いながら吾狼は筵の上に枝を置く。

 そして白砂に手をつき深々と頭を下げた。

 

「自分にはこれが精一杯……お助けすることがかなわず、申し訳ございません」

 

 刑場のあちらこちらから、すすり泣く声が聞こえてくる。

 見ると屈強な男たちが、これまでのやり取りに目に光るものを浮かべている。

 かく言う吾狼も必死に涙をこらえていた。

 

「青鹿毛は、許される限り自分が……ですのでどうか……」

 

 更に言葉を継ごうとする吾狼。

 だがそれを朧が遮った。

 

「もう良かろう。いつまで邪魔をすれば気が済むのだ? 」

 

 それ以上引き伸ばせばお前もただではすまない。

 言外にそれを感じた吾狼は飛び上がるように後ずさる。

 

「大変ご無礼いたしました。このお叱りは後ほどお受けいたします」

 

 震える声でようやくそう言うと、朧に向かい深々と一礼する。

 その間吾狼は無力感に固く歯を食いしばっていた。

 そうこうするうちに執行人たちは再び弥生に目隠しを施そうとする。

 仕切り直してもう一度、そして今度こそ。

 誰もがそう思った、正にその時だった。

 

「異議あり! その処刑、しばし待った! 」

 

 しんと静まり返っていた刑場は、再びざわめく。

 その原因は、声の主である闖入者にあった。

 その姿を認めた阿龍の顔には、安堵と不安の感情が入り混じった表情が浮かぶ。

 

「双樹? そなた、起きて大丈夫なのか? 」

 

 そう、現れたのは信矢に支えられた双樹だった。

 傷口が開いたのか、衣が所々朱に染まっているのが痛々しい。

 

「俺のことは二の次だ。それよりも、信矢」

 

「はい! 」

 

 信矢は白砂に双樹を座らせ、自らも膝立ちになると、背負っていた包みを解く。

 出てきた物は、大量の書状だった。

 それを一瞥した阿龍は驚いたように声を上げる。

 

「これは、俺が峠に書き送った弥生宛のふみではないか。何故これがここに? 」

 

 阿龍も傍らにひざまずき、それらを手に取る。

 見まがいようも無く、自らの手によるものだ。

 しかし、信矢が持ってきたものはそればかりではない。

 彼は広げられた書状の束の中から数点を取り出した。

 

「お館様、こちらをご覧ください」

 

 差し出された書状を手に取り、阿龍は一気に広げる。

 か細い書体で書かれた文字には見覚えがあった。

 新しい生活に馴染めず、柄がらでもなく不安を告げてくるその文は、まさしく……。

 

「弥生からの? 信矢、それに双樹、これは一体どういうことだ? 」

 

「見ての通り。殿がしたためた書状は弥生様に届いておらず、その逆も然り。結果、お二人の間に亀裂が生じ、この度のことに相成ったというわけだ」

 

「城中の人間がこの場に集う機会を狙って、心当たりを探索をいたしました。結果、お二方のやり取りを滞らせた人物の部屋より、これが」

 

 それで突然非番を言い渡されたのか。

 そして、信矢が自分の力で決着をつけると言った意味は、こういうことだったのか。

 

 ようやく吾狼は納得がいった。

 しかしいつもながら双樹はやることが荒っぽい。

 吾狼は内心ため息をつきながら、家臣団の顔を見回す。

 

 まさかそんな事が。

 けれど、ここにこうして疑いようのない証拠を突きつけられては、信じるしかない。

 しかし一体誰が。

 

 家臣団の顔には、等しくそんな表情が浮かび、互いを疑うように顔を見合わせている。

 しかし、彼らの視線はややあってある人物に集中した。

 いる。

 ただ一人、他国との文書のやり取りに関わる人物が。

 その人は、誰からも一目置かれ、信頼され、慕われる人物で……。

 阿龍はその人物を怒りに満ち溢れた目で睨みつけながら、その名を叫んだ。

 

「朧……! そなた、何故……」

 

 辺りは水を打ったように静まりかえる。

 信矢は双樹の前で刀を構え、彼以外の小姓衆は阿龍を護るようにその周囲を固める。

 一方朧はしばしうつむいていたが、ややあって突然笑い始めた。

 

「……朧? 」

 

「口惜しい。もう少しでこの頂城が手に入ったものを……最後に抜かったわ」

 

 そう言う朧の顔には、ひきつった笑みが浮かんでいる。

 言い終えると彼は突如刀を抜いた。

 周囲には一気に緊張が走る。

 

「朧……。今までの俺……否、頂に対する忠誠は、偽りだったのか? 」

 

 と、朧は阿龍をかえりみる。

 その瞳はどこか虚ろだった。

 

「大殿がいけないのだ。儂のような一介の農民を取り立てて、力を与えたりするから……」

 

「それはお前にそれだけの才覚があったから、当然のこと……それに見合う俸禄は……」

 

 その阿龍の言葉に、朧の中で何かが音を立てて崩れたようだ。

 手にした刀の切っ先を阿龍に向けると、いきなり大音声で叫んだ。

 

「見合う俸禄? 馬鹿にするな! 歴とした家に生まれたというだけで城主の座に胡座をかく小童が! 」

 

 おそらく朧は、臥龍を追い出して阿龍を城主の座につけ、傀儡として実権を握った後頂を乗っ取ろうとしたのだろう。

 あるいは峠の侵攻で人心がばらばらになり崩壊した頂を飛燕への手土産に、峠に征服された頂の統治権を得ようとしていたのかもしれない。

 けれど、計画は頓挫した。

 阿龍が人心をまとめるのに成功し、峠の侵攻を退けたからだ。

 そこで朧は計画を変更した。

 予め仲を断絶させていた弥生を宮という人物に仕立て上げ、じわじわと攻め立てていく方法に。

 しかし、こちらもまた、完遂には至らなかった。

 不意に朧は刀を握っていた腕をだらりと下げる。

 そのままおぼつかぬ足取りで歩み始めた。

 その先には縛られたままの弥生と、両の手を白砂についた吾狼がいる。

 

「ただでは死なぬ。最愛の妹が無様に死に行く様をその目に焼き付けてやる! 」

 

 突如、走り始める朧。

 吾狼は咄嗟に自らの剣を抜き、弥生の前に立ち塞がる。

 今度こそ弥生を護るべく。

 白刃が目前に迫る。

 剣を構える吾狼の耳に、弥生の声が飛び込んできた。

 

「受け止めようとするな! 相手の力を使って受け流せ! 」

 

 その声に従って、吾狼は両手で構えていた剣で朧からの攻撃を軽くいなす。

 瞬間、朧はわずかにその体勢を崩した。

 弥生の声が再び響く。

 

「脚を……! 」

 

 言われるとほぼ同時に、吾狼は朧に足払いかけていた。

 もんどり打って倒れる朧を、小姓衆は取り押さえにかかる。

 その様子に、ようやく吾狼は大きく息をつき、剣を鞘に納める。

 と、安堵から身体の力が抜け、白砂にへたり込んだ。

 満場の拍手喝采に何事かと振り向けば、阿龍が弥生に歩み寄り、二、三言葉を交わしている。

 そのまま阿龍は弥生の縛めを解くと、愛おしそうにその身体を抱きしめた。

 弥生の泣きじゃくる声が何故か次第に遠ざかっていく。

 いつしか吾狼は白砂の上に倒れ込んでいた。

 そして……。

 

      ✳

 

「本当に、よろしいのですか? 頂を離れて」

 

 あれからひと月が経った。

 その間、阿龍と弥生、そして信矢との間で話し合いが幾度か持たれた。

 その席で、事の次第も明らかになっていった。

 すべての首謀者である朧は屋敷に永蟄居。

 計画を知り双樹の毒殺に手を貸した葉月は頂城主代々の菩提寺預かりとなり、霜月尼も同行することとなった。

 信矢は宮……弥生の極刑を望まず、しかし当の本人である弥生は、無罪放免となることを是としなかった。

 悩んだ挙句阿龍が下した決断は、頂城下からの追放処分だった。

 

──誰一人にも死罪を下せなかった俺は、やはり甘いと思うか? ──

 

 阿龍からそう問われた吾狼は、何も答えることができなかった。

 謀反の首謀者である朧に比べ、弥生に下された処分は重すぎるのではないかと思ったからだ。

 どこか納得いかず弥生に訪ねたのだが、戻ってきたのは清々しい笑顔だった。

 

「私はたくさんの罪なき命を奪った。それは償わなければ」

 

 違うか? と問われると、吾狼は返すべき言葉がなかった。

 そんな吾狼に、弥生は逆に問い返す。

 

「本当にいいのか、と聞きたいのは私の方だ。私などを迎え入れて大丈夫なのか? 」

 

 そう。

 頂城下を追放になる弥生に、吾狼は圷の城で妹に仕えてくれるよう頼んだのだ。

 当初は固辞していた弥生だが、阿龍や信矢、そして双樹を始めとする家臣団の後押しもあり、それを承諾した。

 

「国には弥生様を知る者はおりません。どうか新しい人生を歩んでください」

 

 無論自分も口外するつもりは一切ない。

 そう言って笑う吾狼に、弥生は手招きする。そして呼び寄せた吾狼の耳元で囁いた。

 

「……吾狼殿、そなた、伍羽だろう? 」

 

 沈黙。

 そうこうするうちに吾狼の顔は耳まで赤く染まっていく。

 それを見ていた弥生は、さも面白くて仕方がないとでも言うように声を上げて笑った。

 

「……いつから気付いておられたのですか? まさか誰かにお話したりなど……」

 

 驚きと羞恥とを隠せずにいる吾狼に、弥生はようやく笑いを収める。

 しかしまだこみあげて来る笑いをかみ殺しながら種明かしをした。

 

「その情けない口調と声音は、一度聞けば忘れぬ。まあ、決め手はあの笛だな。大丈夫、一切口外はしていない」

 

 それにしても奥手に見えるそなたがよく女子おなごの名を名乗れたな。

 そう言う弥生に吾狼は照れ臭そうに頭をかく。

 そして小さな声で答えた。

 

「実は……咄嗟に妹の名を借りました。それ以外に思い当たるものもありませんでしたので……」

 

 そうか、妹御は伍羽姫と言うのか、と弥生は納得したようにうなずく。

 そして、改まって吾狼に深々と一礼した。

 何事かと目を丸くする吾狼に、弥生は穏やかに微笑んだ。

 

「仕えるお方の名も知らずして赴くわけにもいかないからな」

 

 そして、傍らの青鹿毛の首をぽんぽんと叩いた。

 

「それに、こいつの面倒を見てくれたことも礼を言わなければ」

 

 別れのはなむけに青鹿毛をとの阿龍の願いは、ようやく叶えられた。

 晴れて弥生と共に旅立つこととなった青鹿毛は、嬉しそうに嘶く。

 そんな彼の鼻先を、吾狼は名残惜しそうに撫でてやった。

 

「滅相もない。自分は弥生様には到底かないません。こんな嬉しそうな青鹿毛を初めて見ました」

 

 さもありなん、とでも言うように鼻を鳴らし尻尾を振る青鹿毛。

 その様子に吾狼と弥生は顔を見合わせ、どちらからともなく笑いだした。

 けれど……。

 

「そろそろ刻限だ。本当に世話になった。……あと、双樹に礼を」

 

 必ず黒幕を探すと書かれたあの文のお陰で、ぎりぎりまで希望が持てた。

 そう告白する弥生に、吾狼は目を伏せ首を横に振る。

 

「いいえ、数々のご無礼お許しください。そして、二度も助けて頂き、ありがとうございました」

 

 妹をよろしくお願いいたします、と深々と一礼する吾狼。

 弥生は大きくうなずくと、颯爽と青鹿毛にまたがった。

 その姿を見上げながら、吾狼はや弥生に呼びかける。

 

「来年にはおつとめが終わります。圷に戻りましたら、伍羽共々武術のご指南をお願いしたいのですが……」

 

 わかった、と言うように弥生は軽く右手を上げる。

 青鹿毛の鼻先を圷へ向けると、その腹を蹴り走り始めた。

 あっという間に小さくなっていくその姿を、いつまでも眺めやる吾狼。

 こみあげて来る物を拭おうとした時だった。

 

「……行っちまったか。寂しくなるな」

 

 驚き、飛び跳ねるようにして振り返る吾狼。

 そこにはいつの間にか、黒鹿毛に乗ずる阿龍と、栗毛にまたがった双樹がいた。

 

「お館……阿龍様と双樹様? 双樹様は馬に乗って大丈夫なのですか? 」

 

「ああ、脚を引きずって歩くよりは遥かに楽だ」

 

 その言葉に、阿龍の顔が一瞬曇った。

 結局その傷が完全に塞がっても、医者の見立て通り双樹の脚は完全に元に戻らなかった。

 日常生活には支障ないほどではあるが、僅かに麻痺が残ることとなった。

 けれど当の本人は、これで戦場に出なくて済むとうそぶいているとかいないとか。

 このある意味前向きな言動は、双樹なりの心遣いなのだと、頂の家臣団では周知の事実だった。

 見送りの場にあえて立ち会わなかったのも、手傷を負わせた張本人である弥生に気を使ってのことなのだろう。

 三人は誰からともなく城への帰途につく。

 その道すがら、吾狼は疑問に思っていたことを双樹に尋ねた。

 

「それにしても、どうして双樹様は事の真相に気づかれたのですか? 」

 

 見上げてくる吾狼に、双樹は得意げに笑ってみせた。

 

「弥生様は俺が屋敷じゃなくて城にいるのを知って斬りに来た。重臣の中に内通者がいると確信したのは、それがきっかけだな」

 

 そこから一人ずつ可能性を潰していったのさ。

 双樹はそう言って片目をつぶってみせる。

 

「それよりも良かったのか? 青鹿毛がいなくなったら、お前、殿の遠乗りのおつきあいはどうする? 二人乗りか? 」

 

 沈んだ面持ちの吾狼と阿龍おもんばかってか、双樹はおもむろに明るい口調で切り出す。

 見かけぬよらぬ細やかな心遣いに感謝し、吾狼は無理矢理に微笑んで見せた。

 

「元々青鹿毛は弥生様の友と言っても良い存在です。弥生様といた方が幸せでしょう。自分はそう思います」

 

 そして阿龍も吾狼に視線を向けながら言葉を継いだ。

 

「それなら気にするな。此度の褒美として吾狼には鹿毛を授けるつもりだ」

 

 そうか、それなら良いんだが、とつぶやいてから、双樹は改めて吾狼に尋ねる。

 

「しかしだな、あの女好きの青鹿毛が懐くとは、お前一体どんな方法を使ったんだ?」

 

「……はい? 青鹿毛は気難しくて人見知りなのでは? 」

 

 そううかがっていましたが、と言う吾狼を肯定するように阿龍はうなずいた。

 けれど双樹は納得がいかないとでも言うように、首を左右に振った。

 

「いや、城下ではもっぱら噂だったぞ。弥生様と葉月様にしか懐かない上、女子衆を見かけると見境なく近寄って行くとか」

 

 言いながら、双樹は吾狼をまじまじと見つめる。

 かたや吾狼は双樹と視線を合わそうとはしない。

 阿龍は阿龍で、さも不思議だとでも言うようにひたすら首をひねっていた。

 

「偶然ですよ、偶然。……そうだ、自分は徒歩なので、お先に失礼します」

 

 そう笑いながらはぐらかすと、吾狼は城へ向かい一目散に走り出した。

 阿龍と双樹は、何事かと言うように、しばし顔を見合わせる。

 ややあって、双樹ははっとしたように目を見開く。どうやら何かに気づいたようだった。

 

「……吾狼? まさかお前……おい! いいから止まれ! 」

 

 その真偽を確かめるべく大声でその名を呼ぶ。

 そして後を追うため、すぐさま栗毛の腹を蹴った。

 

「待て! 双樹! 突然いかがした? 」

 

 訳がわからず、慌てて黒鹿毛でその後を追う阿龍。けれど、双樹は振り向きもせず、呆れたように言った。

 

「まったく……本当にわからんのか? 殿がここまで鈍いとは思わなかったぞ」

 

 そして双樹の笑い声が辺りに響いた……。

 

 

 季節は、すでに晩春。

 すっかり緑に覆われた丘の上のあの木が、今日も頂の城下を見守っていた。

 

 

 

 

 

 

          ──終──

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