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其の肆──小姓、厄介なお役目を仰せつかる──

 双樹が姿を消した翌日、阿龍はようやく書院から出、朧を介して家臣団及び同盟を結んでいる国々へ告げた。

 いついくさになっても良いように、いつも以上に備えよ、と。

 俄然城下は慌ただしくなった。

 武人は戦装束や武具の手入れを念入りにし、町人は兵糧の手配に走る。

 一方農民はまた田畑が荒らされるのか、と重い気持ちにとらわれた。

 戦の相手が宮の率いる一団かもしれないと察した者の中には、先祖伝来の土地を捨て宮の元に走る者もいた。

 それほど微妙な空気が城下に流れている。

 そんなある日、阿龍は城内の小姓達に中庭に集まるよう命じた。

 曰く、戦に備えて剣の稽古をつけてやる、と。

 皆はすぐさま支度を整え、阿龍の前に整列する。

 彼らの顔を見回してから、阿龍は重々しく口を開いた。

 

「お前たちも知っての通り、宮なる者が率いる一団との戦が近付いている。ひと度戦が始まれば、初陣だろうが重要な戦力となる」

 

 一旦阿龍は言葉を切る。

 小姓たちがうなずくのを確認してから、阿龍は言葉を継いだ。

 

「特に小姓隊は俺の周囲に配される。そこは決して安全な場所ではない。俺の首を狙う敵に常時狙われる、陣の中で最も危険な場所だ」

 

 その言葉にある者は息を飲み、またある者は青ざめた顔に冷や汗を浮かべる。

 吾狼に至っては、情けなくも両膝が笑っていた。

 阿龍の言葉は更に続く。

 

「だが、俺には一人でも多くの家臣や兵を生きて国に返す義務がある。そこでだ。俺が戦場に立つに実力が達していないと判断した者は、戦端が開かれた折には城に残す」

 

 言い終えると、阿龍は手にしていた木剣を勢い良く振り下ろした。

 一同は一様に姿勢を正す。

「よし、ではまず紫雲しうん! 」

 

 初めに指名されたのは、最も年かさで長く勤めている筆頭小姓の紫雲だった。

 彼は木剣を構えると、掛け声一番阿龍へ飛びかかる。

 いとも簡単にそれを受ける阿龍。

 そのまま二合三合と打ち合っていたが、紫雲の木剣はその手を離れ、庭の片隅まで飛んでいった。

 

「……参りました」

 

 その場にひざまずき頭を垂れる紫雲。

 その様子に阿龍の顔には微笑が浮かぶ。

 

「腕を上げたな。引き続き精進するように。次は秋暁しゅうぎょう! 」

 

「はい! 」

 

 こうして次々に稽古をつけていく阿龍。

 最も年少で城に上がって日も浅い吾狼の番は、当然一番最後となる。

 順番を待っている間も、彼の震えは止まらない。

 離れていても阿龍が放つ気迫がいつも異なることが理解できたからだ。

 こんな調子では一合も打ち合わぬ前に、気合で負けてしまう。

 そうすれば、居残り確定だ。

 武門の家柄に生まれた以上、そんな情けない事態だけは避けたい。

 吾狼は手にしていた木剣を固く握りしめる。

 いよいよ次に名前を呼ばれる、まさにその時だった。

  突然、背後に植わっている低木や草が、風もないのにがさがさと音を立てる。

 何事かと吾狼がそちらに視線を向ける。

 と……。

 

「……双樹様!? 」

 

 思わず大声を上げる吾狼。

 と、その声に一同も一斉にそちらを見る。

 全身血泥にまみれようやくの体で立っていたのは、紛れもなく双樹だ。

 

「双樹、いかがした? 」

 

 阿龍は手にしていた木剣を放り投げ、小姓達をかき分けてそちらへ駆け寄る。

 その姿を見て緊張の糸が切れたのだろうか、双樹の身体は均衡を失い膝から崩れ落ちる。

 

「……すまぬ、殿。とんだ失態を……」

 

 阿龍は倒れかかる双樹をの身体を支え、静かに告げる。

 

「構わぬ。よく帰って来てくれた」

 

 そして小姓達をかえりみて、大声で命じた。

 

「典医を呼べ! そして床の準備を! 早くしろ! 」

 

 普段冷静な阿龍が滅多に見せることのない取り乱した様に、小姓達は命令に従うべく蜘蛛の子を散らすように走り出す。

 それに続こうとする吾狼を、阿龍は呼び止めた。

 

「吾狼、すまぬがお前も肩を貸してくれ。俺一人では……」

 

 確かにここから屋敷まで手傷を負った双樹を運ぶのは至難の業だ。

 何か良い方法は……。

 

 ふと視線を落とすと、放り出された槍が視界に飛び込んできた。

 吾狼はおもむろに羽織を脱ぎ、槍を二本拾い上げるとそれに着せ始める。

 気でも触れたのかと見つめてくる阿龍に、吾狼は向き直った。

 

「恐れながら、阿龍様の衣も拝借いたしたく。槍で担架を作ります」

 

 なるほど、と納得した阿龍は、双樹を一旦地面に横たえると、早速自らも上衣を脱ぎ同じように槍に着せる。

 こうして出来上がった担架に二人がかりで双樹を乗せた。

 互いに声をかけ励ましながら、二人は双樹を屋敷へ運んだ。

 その姿を認めた典医はすぐさま駆け寄る。

 そして双樹の様子を見るなり、僅かに眉根を寄せた。

 

「どうだ? どんな具合だ? 」

 

「これだけでは何とも。ただ芳しくはないとだけ申し上げます」

 

 屈強の家臣が吾狼たちに代わって双樹を屋敷内へ運びこむ。

 その脇で不安げに声をかけ続ける阿龍を、吾狼は何とも言えない表情で見つめていた。

 

      ✳

 

 治療が始まるなり、室内から漏れてきたのは耳をつんざくような絶叫だった。

 体中に負った傷を縫い合わせているのだから無理もない。

 そんな中、吾狼は湯の入った桶を抱え、廊下を走っていた。

 不意に叫び声が途絶える。

 嫌な予感が頭をもたげるが無理矢理にそれを振り落とすと、襖の前に正座すると静かに声を掛ける。

 

「吾狼にございます。湯をお持ちしました」

 

「入られよ」

 

 疲れきった典医の声が聞こえる。

 息を整えてから吾狼は意を決して襖を開ける。

 

「すまぬが手を貸してはくれないか? こう暴れられてはこちらが怪我をしてしまう」

 

 針を手にした典医の顔には、目に見えて疲労の色が浮かんでいる。

 それほどまでに多くの傷を双樹は負っていたのだろう。

 一方の双樹はというと、力なくぐったりと布団の上に横たわっている。

 が、腹部がかすかに上下しているところを見ると、幸いにもどうやら息はあるようだ。

 横たえられている布団の敷布や身体に巻かれた包帯はところどころ赤く染まり、凄惨という表現がしっくりくる。

 

 どうしてこんなことに。

 

 が、吾狼はその思いを頭から振り落とすと吾典医の傍らに桶を置く。

 意を決するかのように大きく一つ息をついて、双樹の足元へ座る。

 そして、失礼いたします、とつぶやいてから全体重を双樹の右脚へ乗せた。一方の典医はまず傷口の周囲の血泥を洗い流し、手にしていた針を炙って消毒する。

 

「いいぞ、そのまま押さえつけておれ」

 

「───!! 」

 

 再び双樹の口から、言葉にならない絶叫が漏れる。

 吾狼はあえて治療の様子から目を背け、ただひたすらに双樹を押さえつけていた。

 

      ✳

 

 その夜、吾狼は双樹の看護を仰せつかった。

 発熱した双樹の額を濡れ手ぬぐいで冷やしたり、汗をぬぐったり、時折上半身を抱き起こし湯呑みで白湯を飲ませたり、おおよそ武術とは程遠いお役目だったが、吾狼は腐ることなく忠実に勤めていた。

 そして朝になると、やや青ざめた顔の阿龍が様子を見にやってきた。

 かしこまって頭を下げようとする吾狼を片手を上げて制すると、彼は双樹の枕元に座り単刀直入に吾狼に問うた。

 

「どのような様子だ? 」

 

 思わず吾狼は目を伏せる。

 

「すべての傷を縫い合わせてから、まだお目覚めになりません。熱も下がる様子もなくて……」

 

 自分が至らぬばかりに申し訳ない、そう言って畳に額をこすりつける吾狼に歩み寄ると、その頭を阿龍はぽんぽんと軽く叩いた。

 

「お前のせいではない。俺が双樹からあの計画を聞かされた時無理矢理に止めていれば、こんなことにはならなかった」

 

 長い髪に隠されて、阿龍の表情はうかがい知ることができない。

 けれど声の調子から察するに、泣いているようでもあった。

 吾狼はしばし迷った末、遠慮がちに阿龍に尋ねる。

 

「……あの、御典医様は、何と……? 」

 

 その言葉に、阿龍は一瞬硬直する。

 痛いほどの沈黙。

 吾狼が前言を撤回しようとした時、阿龍は噛みしめるようにつぶやいた。

 

「命は取りとめてもも、戦には出られぬ身体になるやもしれぬ。そういう見立てだ」

 

 脚に負った傷がことの他深く、杖なしでは満足に歩けなくなる可能性がある。

 そうなれば、武器を持って戦場を駆けることは不可能だ。

 そう言うと阿龍は奥歯をぎりと食いしばり、膝の上に置かれた両の拳を固く握りしめる。

 吾狼は思わず青ざめた双樹の顔を見やった。

 そんな吾狼の耳に、阿龍のうめき声にも似た言葉が流れ込んでくる。

 

「許さぬ……俺の兄弟にも等しい双樹をこのような……。宮、貴様の首を必ず……」

 

 怒りに我を失ったかのような阿龍。

 このまま冷静さを失ったまま宮との戦になれば、相手の思う壺だ。

 けれど、どうすれば……。

 思い悩む吾狼。

 が、その耳にかすかな声が聞こえてきた。

 

「……いけない……殿……宮……戦っては……」

 

 阿龍と吾狼は思わず顔を見合わせる。

 そして、ほぼ同時に叫んでいた。

 

「双樹? 気づいたのか? 」

 

「双樹様? 」

 

 急ぎ典医を読んでまいれ、そう命じられた吾狼は一礼すると小走りで部屋を辞去した。 

 果たして双樹は何を見たのか。

 どうしてあのようなことを言ったのか。

 疑問が次々に浮かぶが、今はそれどころではない。

 下された命令を果たすべく、吾狼は廊下を走り続けた。

 

      ✳

 

 昼過ぎ、広間に家臣団が集められた。

 上座の阿龍の右には、無論双樹の姿はない。

 それだけで場の空気を重苦しくするには充分だった。

 

「一同、面を上げよ」

 

 空気そのままに重い阿龍の声に、居並ぶ家臣達は尋常ならぬものを感じ取っていた。

 それらの顔をぐるりと見回してから、阿龍は低い声で告げる。

 

「知っての通り、宮なる者の率いる一団に、我が同盟澤城は落とされた。その他大小の砦もいくつかその手に落ちている」

 

 一旦阿龍は言葉を切る。

 そして呼吸を整えてから一気に言い放った。

 

「このまま彼奴きゃつらに好き勝手はさせぬ。我が城下にその手が伸びる前に、先手を打って宮を叩く! 」

 

 さざなみのようなざわめきが、室内を支配する。

 ざわめきが収まるのを待って、阿龍は改めて一同の顔を見回す。

 

「双樹のもたらした情報によると、彼奴らは澤城を落とした後谷城に戻ると見せかけて、尾根砦を攻めようとしていたらしい」

 

 はからずも双樹の名が出、一同は思わず居住まいを正す。

 そして阿龍の言葉を待った。

 

「が、双樹の動きが露見したことにより、矛先がこちらに向く可能性がある。そこで我らは圧倒的大多数で彼奴を正面から叩く」

 

 さほど大きな声ではなかったが、その言葉は一同を沈黙させるに充分だった。

 阿龍がうなずいて合図を送ると、紫雲と信矢が阿龍と家臣団の間に図面を広げた。

 阿龍は乗馬鞭で図面上を指し示しながら作戦を告げる。

 

「……恐らくは、この場所になるだろう。そこで先鋒を流牙りゅうが、そなたに任せる」

 

「は、喜んで! 」

 

「次に押しとどめた宮の一団を次鋒火影ほかげ……」

 

 こうして、次々に配置が決まっていく。

 動員されるのは頂城及びその同盟関係にある国々の総軍の約七割。

 残る三割は朧が留守居として頂城で指揮をすることとなった。

 

「以上である、異論はないか? 」

 

「恐れながら……」

 

 遠慮がちに火影がその手を挙げる。

 申してみよ、と促されて、火影は恐縮しながらも切り出した。

 

「は、国を上げての大戦おおいくさとはいえ、所詮相手は下賎の輩にございます。殿自らが出馬せずとも我らのみで……」

 

「では、火影様は我らがその下賎の輩に劣る腰抜けとおっしゃりたいのですか? 」

 

  突然声を上げたのは他でもない。

 宮に落とされた澤の城から上がっていた信矢だった。

 が、火影は意地悪く信矢を一瞥いちべつする。

 

「そう聞こえてしまったのであれば、申し訳ない。が、某それがしは事実を述べたまでのこと」

 

 火影が信矢をからかっているのは誰の目から見ても明らかだったが、頭に血の上った信矢は怒りをあらわにする。

 今にも腰の刀を抜いて火影に斬りかからんとする信矢を、周囲の小姓達は必死に止めようとするが、腕っ節の強い信矢はそれを片っ端からなぎ倒し、雄叫びを上げて火影を捉えようとした。

 

「それまで! 戦の前から仲間内で争ってどうするか! 」

 

 阿龍の一喝で、ようやく信矢は我にかえる。

 が、まだどこか不満げな表情で阿龍を見つめる。

 

「信矢よ、国や家を思うそなたの気持ちはよくわかる。だが、怒りを向ける相手は宮だぞ」

 

「は……はい……ですが……」

 

 信矢にうなずいて見せてから、今度は阿龍は火影を睨みつける。

 

「火影、剣を交える前から敵を侮るとは何たることだ? 」

 

「侮るなど、滅相もございません。先程も申し上げた通り、某は事実を……」

 

「宮の配下は、虐げられた農民がほとんどと聞く。我らはその農民なくしては、毎日の食料すら得ることはできぬ。違うか? 」

 

「は……仰せの通りにございます……」

 

 その返答を待たずして、阿龍は鋭い視線を一同に巡らせる。

 室内の空気は一瞬にしてぴんと張りつめた。

 

「もし火影のように思う者がいれば、考えを改めよ。戦をする以上、身分の貴賎など関係はない。礼をもって正々堂々と叩き潰す! 」

 

      ✳

 

 軍議が行われている間も関係なく、吾狼は双樹の看病に当たっていた。

 ようやく頬に血の気が戻ってきた双樹は、全身を襲う痛みに顔を歪めながら吾狼に言う。

 

「……悪いな、大切な時に。面倒な役目をおっかぶせちまって……」

 

 けれど吾狼は双樹の首筋の汗を拭いながら、目を伏せ首を左右に振る。

 

「いいえ、仰せつかるお役目は、みな大事です。自分はただ、与えられたことに全力を尽くすだけです」

 

 手ぬぐいを桶の水ですすぎ、固く絞る。

 それを双樹の額に乗せると、吾狼は傍らの火鉢の様子を見に行くため立ち上がろうとした。

 が、その吾狼の衣を、双樹が掴んで止める。

 転びかけた吾狼は、何をするんですか、と双樹を見つめるが、双樹は鋭い視線を襖の方に向けている。

 慌てて吾狼も耳をそばだてる。

 と、足音とかすかな衣擦れの音が近づいてきた。

 足音は襖の前でぴたりと止まる。

 吾狼は刀の束に手をかけ、いつでも抜ける状態で襖を睨みつける。けれど……。

 

「開けてもよろしゅうございますか? 」

 

 聞こえてきたのは、たおやかな女性の声である。

 この声は、確か……。

 

「葉月様? 」

 

 思わず吾狼は双樹を見つめる。

 が、相変わらず双樹は鋭い表情を浮かべたままだ。

 確かに、何故このようなところに阿龍の姉葉月がやってきたのだろうか。

 宮の手の者が城内に紛れ込み、声音を真似ているのだろうか、あるいは……。

 

 さて、どうしたものか。

 

 吾狼は目で双樹に問いかける。

 双樹がうなずくのを確認すると、吾狼は意を決して襖に歩み寄る。

 その傍らに片膝をつき、そろそろと襖を開けた。

 

「……双樹……そのような怪我を負って……良く戻ってきてくれました」

 

 葉月の手には、粥や汁物、そして煮物と漬物が載った盆があった。

 受け取ろうとする吾狼に謝意を示しながらもそれを固辞する葉月。

 慌てて吾狼は双樹をかえりみる。

 と……。

 

「これは葉月様……。この様なむさ苦しいところへ、何故なにゆえ? 吾狼、いつまでそこにいる? それでは葉月様がお入りになれないだろう」

 

 それまでの鋭さはどこへやら、すっかりいつもの様子の双樹である。

 何か考えがあってのことだろう。

 慌てて吾狼は葉月を招き入れる。

 静かに襖を閉め双樹のもとに駆け寄り、その上体を起こすのを手助けした。

 

「調理番は総出で兵糧の準備をしています。皆も方々ほうぼう戦の準備に駆り出されて、私くらいしか手の空いている者がいなかったのです」

 

 普段役立たずな私が、ようやく殿のお役に立てました。

 そう言いながら葉月は儚げに笑う。

 確かに政略結婚の駒になれなかった葉月の立場は、この城では微妙なものなのだろう。

 けれどそれにしても配下の配膳役をするなど、どこか違和感を覚える。

 吾狼は、ある決意を固め、葉月に向き直った。

 

「わざわざのお出まし、ありがとうございます。では不肖この吾狼が毒味を勤めさせていただきたく……」

 

 吾狼は深々と一礼すると、おもむろに匙を手に取る。

 と、次の瞬間横から双樹の手が伸びてきて、吾狼の手から匙をひったくる。

 一体何を、と吾狼は双樹を見つめるが、双樹は諭すように吾狼に告げる。

 

「殿の姉君様を疑うなど、失礼極まりないだろうが。下手をすればお前、首が飛ぶぞ」

 

「ですが……その、お役目ですので……」

 

 そんな二人のやり取りを目にして、葉月はさも面白くて仕方がないとでも言うようにころころと笑った。

 

「圷からのお小姓は、とても真面目でいらっしゃるのですね。大丈夫ですよ、あなたは当然のことをしようとしたまでですから」

 

 そう言い、葉月は吾狼に微笑みかける。

 双樹に促されて、吾狼は再び一礼すると、葉月から盆を受け取り双樹の前に置いた。

 双樹は恭しく合掌すると匙と茶碗を取りあげ、粥を一匙すくいそれを口に運ぶ。

 吾狼ははらはらしながらその様子を見守っていたが、彼の心配をよそに茶碗はあっという間に空になった。

 

「病み上がりゆえ、これにて満腹にございます。せっかくお手をわずらわせたのに、何とお詫びしたらよいか」

 

  しかし、葉月は微笑を浮かべたまま首を左右に振る。

 

「いいえ、むしろ食べる気力があって良うございました。けれど双樹、薬はきちんと飲まなければなりませんよ」

 

 傷口が化膿して、熱が下がらないのでしょう、と葉月。

 確かに盆の上には、小さな丸薬が入った小鉢が置かれていた。

 

「これは……粥の薬味かと思っておりました。吾狼、悪いが白湯を少し入れてくれないか? 」

 

 双樹から空になった茶碗を受け取ると、吾狼は火鉢に据え付けられた五徳の上で湯気を上げている鉄瓶を取り、湯を注ぐ。

 水差しの水を足し湯を適温に冷ますと、すぐさま双樹に差し出した。

 お前は本当にまめだなあと笑いかけると、双樹は丸薬を口の中へ放り込み、白湯で一気に飲み下す。

 

「色々お気遣いいただき、御礼申し上げます」

 

「こちらこそ、いつも弟に尽してくれて、何と御礼を申し上げたらいいか。傷が治るまで、ゆっくり休んで下さいね」

 

 ありがたきお言葉、と双樹は頭を垂れる。

 吾狼は自分が盆を返しにいくと申し出たが、葉月はそれをやんわりと拒絶した。

 

「あなたにはお役目があるのでしょう? でしたらそれを果たさないと」

 

 にっこりと笑いかけられて、何故か吾狼の頬は上気する。

 恐縮しながら葉月に盆を手渡すと、かしこまって襖を開けた。

 会釈をして葉月が廊下の角を曲がったのを見届けると、吾狼は後ろ手で襖を閉めた。

 

「双樹様、お加減は……」

 

 が、双樹は無言で吾狼の胸元を指差す。

 視線を落とすと、そこには懐紙が数枚覗いている。

 慌てて吾狼はそれを取り出すと、双樹の傍らに駆け寄った。

 懐紙を受け取るやいなや、双樹はそれを口元にあてて激しく咳き込む。

 

「……双樹様? 」

 

「すまないが、水を……」

 

 跳ねるように水差しのところに走ると、吾狼は柄杓で水を汲みそのまま双樹に差し出す。

 水を含み口をすすぐと、唾壺だこにそれを吐き出した。

 布団の上に放り出された懐紙の上には、あの丸薬がそのままのっている。

 

「……双樹様……」

 

「汁物や煮物は味が付いてるから、毒を混ぜられてもわからない。白粥だけはごまかしようがないからな」

 

「では、この薬は? 飲まれたのでは? 」

 

「舌の下に……。飲んだのは白湯だけだ」

 

 もしかしたらこれも毒薬かもしれない。

 唾液にまみれた丸薬を目にして、吾狼は思わず身震いする。

 

「では……葉月様は、まさか……」

 

 宮と繋がっているのか。

 その問いかけに、けれど双樹は言葉を濁した。

 

「とにかくこの丸薬を御典医に。そして殿には事実だけを伝えてくれ」

 

 いつになく真剣な双樹の表情に、吾狼は神妙な面持ちでうなずいた。

 懐紙に包まれた丸薬を大切にしまう。

 

「ですが、お側を離れても……」

 

 不安げな吾狼に、双樹は手をひらひらと振ってみせる。

 

「それで生命を散らすなら、俺はそれまでの人間だったと言うことさ。気にするな」

 

 承知いたしました、と一礼すると、吾狼は後ろ髪を引かれる思いでその場を後にした。

 

      ✳ 

 

 典医に丸薬を届けてから、吾狼は中庭へと向かう。

 案の定そこでは、阿龍が一人木剣で素振りをしていた。

 しばしためらった後、吾狼は勇気を振り絞る。

 そしてひざまずき意を決して阿龍に呼びかけた。

 

「いかがした? 双樹に何かあったのか? 」

 

 素振りの手を止め振り向く阿龍の顔に、一瞬不安げな表情が浮かぶ。

 が、各々云々と説明する吾狼の様子を見、それはすぐに安堵の笑みへと変化した。

 

「そうか……。わざわざご苦労であった。時に吾狼、お前に一つ、頼みたいことがあるのだが……」

 

 嫌な予感がした。

 阿龍がこう改まって物を言うなど、嫌な予感しかしない。

 けれど、頼みと言っても主の言うことであるから、これは命令に等しい。

 断れるはずもない。

 

「恐れながら、自分につとまることでしょうか? 」

 

 それを表情に出さぬよう細心の注意を払いながら吾狼は問う。

 阿龍は長身を屈め、吾狼の耳元で囁く。

 次第に青ざめていく吾狼に対して、阿龍は重々しく告げた。

 

「ひとえに此度の勝敗はお前の双肩にかかっている。ゆめ、口外するでないぞ」

 

「かしこまりました。及ばずながら力の限り、勤めさせていただきます」

 

      ✳

 

 騒動の起きた二日後、阿龍を総大将とする頂城軍は宮の一団を討伐すべく城を後にした。

 その軍団が蟻のように小さくなるまで、吾狼は櫓から見送っていた。

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