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其の参──小姓、主の心の内を知る──

 そして、とっぷりと日は暮れた。

 夕餉(ゆうげ)を済ませた面々は、各々居室へ戻っていく。

 が、吾狼はこれから翌朝まで厄介なお役目を果たさなければならない。

 何事も無ければそれにこしたことはない。

 が、万一の事があれば命の保障はない。

 漆黒の闇の中、震えるのは寒さを感じるからだけではない。

 紛れもなく恐怖で、情けなくも歯の根が合わなかった。

 阿龍の寝室は、屋敷で最も奥まった場所にある。

 当然夜間の警備番が所々に配置されているから、賊が侵入したとしてもここにたどり着くのは容易ではない。

 裏を返せば、ここにたどり着けるのは相当の手練だけだと言うことだ。

 

 そんな賊から阿龍を護り通すことなど、ひよっこの自分に可能なのだろうか……。

 

 ごくり、と吾狼は生唾を飲み込む。

 底冷えする中、背筋を汗が伝い落ちる。

 と、その時だった。

 

「ふむ、居眠りはしていないようだな。まずは合格だ」

 

 背後の襖が音もなく開き、夜着姿の阿龍がひょっこりと顔を出す。

 一方の吾狼は驚きのあまり僅かに飛び上がる。

 そんな吾狼の様子に、阿龍は含み笑いを浮かべた。

 

 またしても情けないところを見られてしまった。

 

 自らの胆力の無さを恥じながら、吾狼はその場に控える。

 

「そんなに落ち込むな。それより吾狼、入れ」

 

「……は? 」

 

 いささか間の抜けた声が、吾狼の口から漏れる。

 

  室外で賊から護るのが役目であるのに、なぜ阿龍はそのようなことを言うのか。

 

 理解ができず吾狼は首をひねるが、主の命令なので従わない訳には行かない。

 失礼いたします、とつぶやくと、吾狼は阿龍の寝所に足を踏み入れた。

 そっと襖を閉めその場に控えていると、文机に向った阿龍が声をかけてきた。

 

「すまぬが火鉢の炭を見ていてはくれないか? 」

 

 言うが早いが、阿龍は筆をとり何やら書き付け始める。

 

 邪魔をしてはいけない。

 

 吾狼は静かに火鉢の側に腰を下ろすと火鉢の灰を灰均(はいならし)で掘り、次に火箸を取る。

 台十能(だいじゅうのう)の中の炭を取り、先程掘った灰の中へ置く。

 しばらくすると、火鉢の回りがじんわりと暖まってくる。

 その間も阿龍は、脇目も振らず筆を進める。

 

 何を書いているんだろう。

 

 火箸で炭を突きながら、吾狼は横目でちらと阿龍の手元を盗み見る。

 延々と続く文字の羅列。

 それは紛れもなく……。

 

「武人が写経をするのは、妙なことか? 」

 

 慌てて吾狼は阿龍を見る。

 その横顔には、昼間あの丘の上で見せた寂しげな表情が浮かんでいた。

 咄嗟に吾狼はぶんぶんと首を左右に振る。

 

「滅相もございません。信心を持つのは、大切なことだと自分は思います」

 

 その言葉が終わらぬうちに、おもむろに阿龍は手を伸ばす。

 そして吾狼の頭をくしゃくしゃとかき回した。

 

「お館……阿龍様? 」

 

 驚いたように火箸を取り落とし、目を丸くする吾狼。

 その様子に阿龍は声を立てて笑った。

 

「吾狼、武人に向くか向かぬかはさておき、お前は優しいな」

 

 褒められているのかけなされているのか理解できず、黙りこくる吾狼。

 そんな吾狼を見つめていた阿龍の表情に、再び影がさす。

 

「吾狼、俺が怖くはないか? 」

 

 突然の問いかけに、吾狼は心当たりがあった。

 彼が上がる直前、頂城にはある危機が訪れていた。

 一つは峠城からの突然の侵攻、そしてもう一つが……。

 

「実の父親を追放するのは、人道に外れたことだと思うか? 」

 

      ✳

 

 それは、峠城から攻め込まれる少し前のことだった。

 側室の子でありながら世継ぎに定められていた阿龍がごく僅かな腹心の部下らと蜂起し、当主である父親の臥龍がりゅうを追放したのである。

 あまりにも周到に練られた計画は外部に漏れ伝わることはなく、家臣団に知れたのは全てが終わったあとだった。

 結果、頂城は真っ二つに割れた。

 阿龍を正式に当主とし頂城下を治めようと言うもの、対して阿龍を廃嫡し臥龍を呼び戻そうとするもの。

 両者は互いに譲らず、このままでは政が立ち行かなくなる。

 そんな状況を見計らったかのように、峠城軍が攻めてきたのである。

 さて、どうするか。

 居並ぶ家臣団を前に、阿龍は心から語りかけた。

 今は力を貸してくれ。

 頂を守りきった暁には、父を呼び戻すなり俺を当主とするなり、皆の意見に従う、と。

 結果、阿龍はばらばらだった家臣団を再びまとめ上げ、峠城軍を撃破し名実ともに頂城の当主となったのである……。

 

      ✳

 

 吾狼が頂城に上がってからまだ日は浅いが、それでも阿龍は人非人とは思えなかった。

 むしろ、まれに見る人格者であるように見えた。

 その阿龍が実の父親を追放した、ということは……。

 

「……何か、理由があってのことなんですよね? 」

 

 自分にはそうとしか思えません。

 

 そう言い吾狼はじっと阿龍を見つめる。

 しばしの沈黙の後、阿龍はふと手元の経文に目を落とした。

 

「そう……だな。あまりにも女々しい理由だが」

 

 再びの沈黙。吾狼は先を急かすでもなく、火箸を取り直すと再び炭をつつき始めた。

 

「……峠城は霜月尼殿のご実家でな……長兄の嫡男が跡目を継いでいた。……それが弥生の婿の飛燕殿だ」

 

 さして大きな声ではなかったが、吾狼は驚きのあまり再び火箸を取り落とした。

 このままでま床が灰だらけになる。そう理解した吾狼は火箸を置き、阿龍に向き直った。

 

「どうして……そんな……」

 

 つまりは、実の従兄弟で義理の兄弟の関係にある者同士が争いあった、というわけか。

 この乱世では珍しいことではないが、やはり吾狼は何故と尋ねずにはいられなかった。

 阿龍は経文から視線を動かすことなくつぶやいた。

 

「そもそも、峠との縁談は姉上様……葉月殿と飛燕殿との間の約定だった。けれど姉上様はお身体が弱く、子を成せぬとわかると父上は弥生を……」

 

 一旦言葉を切り、阿龍は足を崩す。

 そして吾狼にもそうするように促した。

 流石に主の前なので吾狼が目を伏せ拒絶すると、阿龍はそうか、と呟き言葉を継いだ。

 

「飛燕殿と弥生は、十以上離れている。その上既に妾を持ち、子を成していた。家のためとはいえ、あまりにも……。せめて懐いていた青鹿毛を手向けに、と申し上げたのだが、聞き届けてはくれなかった」

 

 それだけではない。飛燕と弥生の間に女子が生まれた暁にはぜひとも阿龍に、と先方は言い出したのだ。

 言葉を失い、阿龍を見つめる吾狼。

 昂ってきた感情を抑えきれなくなったのか、阿龍は文机を平手で叩きつけた。

 

「それでは弥生のような思いをする子が産まれてしまう。俺が拒絶しても、父上は聞こうとはしないだろう。だから……」

 

 実の父親を追放した、と言うわけだ。

 なるほど、と吾狼はうなずいた。

 この乱世の世にあってはあまりにも軟弱な考えかもしれない。だが、阿龍はその実直さゆえ許すことができなかったのだ。

 これで一つ謎は解けた。

 しかし、もう一つ。

 同盟関係にあるはずの峠城は、何故攻め込んで来たのだろうか。

 吾狼の心の内を理解したのだろう。

 阿龍はようやく僅かに表情を崩した。

 

「飛燕殿は今度はこう言ったのだ。側室の子である俺に頂を継ぐ資格はない、自分と弥生の間に産まれる子こそが正統たる嫡子だ、だからそれまでの間頂城をよこせ、とな」

 

 これまた筋が通っているのかいないのかわからない、一方的な言い分だ。

 だがともかく、峠城軍は攻めてきたのである。

 そして、悲しい戦いが起きてしまった。

 その顛末は、吾狼でも知っている。

 奮起した頂城軍に敗北し峠城に押し戻された飛燕は、城に火をかけ自ら命を断った……。

 

「それでは、弥生様は……? 」

 

 おそるおそる、吾狼は問いかける。

 次の瞬間、阿龍の目から一筋の涙がこぼれ、膝の上の拳にはたと落ちた。

 聞いてはいけないことを聞いてしまった。飛んでくるのは怒声がはたまた白刃か。

 そう身構える吾狼の予想に反し、戻ってきたのは感情の無いつぶやきだった。

 

「……焼け落ちた城をくまなく探したが、骨まで燃えてしまったのか、見つけ出すことはできなかった」

 

 つまらぬ話をした、忘れてくれ。

 

 そう言うと阿龍は文机に向かい、中断していた写経を再開する。

 

 恐らくこれは、弥生様のためのものなのだろう。

 

 そう理解した吾狼は、せめて少しでも阿龍が快適であるようにつとめることにした。

 しんと静まり返った室内に、阿龍が筆を走らせる音だけが響いた。そして……。

 

      ✳

 

 眩しい。

 どこかで鳥のさえずる声が聞こえる。

 そして頬には、冷たい板の間の感触。

 

 自分は確か寝所番の途中、阿龍様に呼ばれ火鉢の炭を見るよう申し付けられて……。

 

 次第に意識がはっきりとしてくる。

 そして、自分がすっかり眠り込んでいた事に気が付いた。

 ぱちり、と吾狼は目を見開くと、自分の上に布団が掛けられている。

 その時だった。

 

「ようやくのお目覚めか」

 

 がば、と吾狼ははね起きる。

 と、そこにはすっかり身支度を整えた阿龍が、吾狼を見下ろすように座っている。

 その顔には、さも面白くて仕方がないとでも言うような表情が浮かんでいた。

 

「あ、あの……申し訳……」

 

 大事なお役目の最中に居眠りをし、その上(あるじ)に布団をかけてもらうなど手を煩わせてしまった。

 とんでもない大失態だ。

 すっかり恐縮したように吾狼は床に額を擦り付ける。

 と、阿龍は我慢できずに破顔した。

 

「いや、なかなか愛くるしい寝顔を見せてもらったぞ。それに免じて不問とする」

 

「そんな……お恥ずかしい限りで……」

 

 頭を下げたまま、吾狼は自分の顔が熱く上気していくのを感じた。

 

 いっその事罰してもらったほうがありがたい。

 そう言うよりも前に、阿龍は武人らしく無駄のない所作で立ち上がる。

 

朝餉(あさげ)をとったらゆるりと休むといい」

 

 無理をさせてすまなかった。

 そう言い残すと、阿龍は襖を開け室外へと出て行った。

 襖が閉まる音。

 しばらく経ってから吾狼は顔を上げた。

 閉ざされた襖は物言わず吾狼の前に立ちふさがっている。

 どっと緊張感がとけて、吾狼は思わずその場にへたり込む。

 同時に自分のあまりの情けなさに泣きたくなった。

 ずっとそこにうずくまっていたい心境であったが、あまりそうしていると食事を作ってくれる御膳所の使用人に迷惑がかかる。

 吾狼はのそのそと立ち上がると、重い足取りで寝所を後にした。

 

      ✳

 

「おお吾狼、随分遅いじゃないか。寝坊して朧殿に絞られていたのか? 」

 

 御膳所の片隅で一人ぽつんと食事をとる吾狼に声をかけてきたのは他でもない、麓城主の双樹だ。

 けれど、薄汚れた衣をまとったその姿は一国一城の主とは思えなかった。

 

「……双樹様? その出で立ちは、一体……」

 

 思わず吾狼の食事の手が止まる。

 にやりと笑って見せてから双樹は吾狼に近寄り、その耳元で囁く。

 

「これから虐げられた農民を騙って、宮の懐に飛び込む。これはその擬態だ」

 

 驚きのあまり大声を上げそうになる吾狼。

 が、双樹の手が伸びてきて、既すんでのところでその口をふさいだ。

 

「静かに。殿にしか話していない、隠密行動だ。あまり大勢に知られてはまずい」

 

 うなずいてようやく解放された吾狼は大きく息をつくと、小声で双樹に問いかける。

 

「そんなに危険なことを……お館様はお許しになられたのですか? 」

 

「いや、無理やり押し通した。だから尚更、失敗する訳にはいかない」

 

 そう言えば先日、双樹は配下が八方手を尽しても反乱勢力の頭目である宮という人物については何も掴めなかったと言っていたのを思い出す。

 浅薄にも見えるいつもの双樹からは想像だにしない重い言葉に、吾狼はその本当の人となりを見たような気がした。

 

「では、そんなに大切なことを、自分のような一介の小姓……人質に話しても良いのですか? 」

 

 吾狼の言葉に、双樹は意味有りげな含み笑いを浮かべる。

 

「寝所番を任されたということは、殿がお前を信用されているということだ。それだけじゃなくて、寝所に呼ばれたんだろう? 」

 

「な……あれは火鉢を見ているよう命じられただけで……て、どうしてそれを……」

 

 言葉に窮する吾狼の肩を、ぽんぽんと叩く。

 

「壁に耳ありと言うだろう? 吾狼よ、この城にも宮の手の者が紛れているやもしれん。くれぐれも殿のこと、頼んだぞ」

 

 と、双樹はすいと手を伸ばし、吾狼の膳から漬物を一切れつまむとあっという間に口の中へ放り込んだ。

 吾狼が何かいうより早く立ち上がると、その身をかがめ吾狼の両肩に手を置く。

 

「では、行って参る。達者でな」

 

 その後、双樹は誰にも見送られることなく頂城から旅立った。

 その日阿龍は一人書院にこもり、誰も近づけようとはしなかった。

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