続・ノーラさんの食事情 ~友情の味~
風呂から上がったノーラは見違えていた。
泥とまだらになっていた灰色の髪は銀糸の如く煌めき、ボサボサの前髪に隠れていた双眸はくりくり丸くて可愛らしい。
だが、俺と目が合うと、すぐにジトッと細められた。
「……なに?」
「綺麗になったな」
「……そう」
ツン、とそっぽを向く。
――――ははぁん、そんな態度が取れるのも今のうちだぜ。
俺はグレイトな力作を披露した。
テリヤキステーキと味噌ベースのけんちん汁である。
そんなものが作れるのか?
作れるのだ。
歩けるようになってから8歳まで、何もしないボンクラだと思って貰っては困る。
外に出てやっていけるだけの『武器』を作っていたのだ。
世界で最強の武器とは何か。
――――核爆弾? 違う!
――――プラズマキャノン? 違う!
――――愛? 違う! 断じてノゥ!
答えはマネー! 金だよ金! 次いで強いのは即金になる商材だ!
運び込まれる物資から考察する限り、地上の文明もさほど進んではいまい。元の世界でいえば十四世紀か、いいとこ十六世紀ぐらいだろう。
となればグラム単価と需要の両面から、調味料を売るのが望ましい。
王様は何と言っても胡椒だ。
同量の金銀と交換されたというそれを取り扱えば、一気に大金持ちまで上り詰められるだろう。
が、洞窟内で栽培するのは無理だ。天才が逆立ちしたって無理すぎる。苗もないし。
だから次点に手を出した。それが、醤油と味噌だ。
特に醤油は元の世界でも十九世紀初頭まで珍しいソースとして胡椒に似た扱いを受け、日本では対オランダ貿易の主力の一つだった。
こいつは高く売れるのだ。
大豆はもやしにする前の物が大量に手に入ったし、貴重な塩も岩塩から無限に削れる。
ふやかして茹でた豆を潰して発酵させれば、あとは簡単。
……と言いたいところだが、この発酵が超難関だ。
醤油や味噌の発酵には、A・オリゼーと呼ばれる麹菌が必要となる。別名ニホンコウジカビ。
その名の通り、日本の風土にしか生息していない。
――――というか、実のところ、こいつは野生には全く存在してない菌なのだ。
日本にすら居なかった。
原種の名はアスペルギルス・フラバス。アフラトキシンという最強のカビ毒を放つヤベー奴を、日本人が数百年かけて完全無毒化した変異種である。
猿酒や口噛み酒の延長で生まれた、と言われている。
更にアルカリ性の木灰に漬けて、天然の殺菌作用で雑菌を排除し、良質な菌だけをひたすら選別し、飼い慣らす。
安全な環境ではフラバスも毒を吐く必要がなくなり、その力をタンパク質やデンプンの分解に向ける。これが菌株のイエネコ化、もといA・オリゼーへの進化である。
味噌・醤油の旨味は、『友情の味』と言えよう。
日本人が麹菌と親友になったのは平安時代以前の話。
顕微鏡もない時代に、よくもまあ成し遂げたものだ。奇跡的というか、飲食に対する執着というか。恐ろしいことだ。
俺もこれに習った。
雑多な菌が極力紛れ込まないように、やさぐれた菌を囲い込み、なでなですること屈折8年。
最初からゴールが見えていたのに、天才の俺を以てしてもこんなに掛かるとは。
やはり生き物の相手は難しい。
しかしともかく手懐けた。
ニホンコウジカビと完全に同じ、という訳にはいかないが、殆ど同等の性質を持つ種麹。
試行錯誤の末に生まれた我が子のようなものだ。
これを外に持ち出し、醤油や味噌、酒を資金にするのが当初のプランだった。
バイオビジネスの集大成にして、第一歩目がこの饗膳。
芳しい一汁一菜を前にして、ノーラは瞳を輝かせ、ゴクッと喉を鳴らした。
粗末な飯が続いたんだ。これは効くだろう。
――――さぁさぁお前も〝お友達〟になって貰おうか。
「ノーラのために作ったんだ」
「……ほ、ほんと? ……私、あなたのこと、勘違いしてたのかも……」
「そうかそうか。食べて良いぞ。……その前に一言『ありがとう、ご主人様』と言ったらなぁ!」
身を乗り出していたノーラが、ぐっと息を呑んだ。
「……やり方が、ズルい」
「ふふふ。どうする?」
「…………ゴブリンには、屈しない」
「それは残念だ」
料理をレヴィの前に置き「食べていいぞ」と。
言うが早いか、彼女は一気に掻き込んだ。
実に幸せそうに「美味しい」と連呼する彼女を、ノーラは恨めしそうに見つめる。
「あぁ、私の……」
「別にこれだけじゃない。一声『ご主人様』と言いさえすれば出してやる」
「…………ゴ、ゴブリンには……」
「そうか。まあ無理強いはしないけどな」
「……くっ、……卑怯者」
ノーラは料理と俺に視線を彷徨わせ、誘惑を振り切るように、ギュッと視界を閉じた。
きゅぅぅぅ、と悲鳴を上げるお腹を押さえつけて、我慢。
その鼻先へ、甘ダレで輝く骨付き肉を近づける。
金と同価値のスパイスをふんだんに使った至高の一品。
ほれほれ、と動かせば、目を瞑った顔が追いかけて来る。
無意識に開かれた口から、唾液が溢れそうだ。
「……あ、あうぅ。……ゴブ、ゴブ、ごしゅ、ゴブ……」
――――堕ちたな。
「ご主人様! おかわりしたいわ! ご主人様!」
「レヴィには言ってないが!?」
「ほらほら、ご主人様、さっさと出して! ご主人様!」
「そんな形だけの『ご主人様』は求めてねぇ!」
ふと、不安そうにこちらを見るノーラに気がついた。
鍋の中、まだたっぷり入った料理を確認して、困った表情を作ってみせる。
「弱ったぞ。おかわりされると、ノーラの分が……。まあいいか。意思は固いみたいだし」
「…………も、もちろん……」
「じゃあ、はい、レヴィ。これで『ラスト』だ」
「……ま、待って」
ノーラが恥ずかしそうにもじもじと身を揺すった「わ、私も、食べたい……」
「お、じゃあなんて言うんだ?」
「……た、食べさせて、……ご主人様」
――――いま、発音おかしくなかったか?
ノーラは震える手でステーキを口に運んだ。
肉を噛みしめると、小さな鼻孔が微かに開く。
ゾワッ、と震え、もう一口、もう一口、と。
まだ胃が弱っているかと思って予め切り分けておいたが、そんな気遣いは要らなかったらしい。頬袋を膨らませていく。
ちなみに肉はコウモリである。
ウゲーッ、と思うかもしれないが聞いてくれ。基本的に肉食動物の肉は筋張って不味く、草食動物は美味い。中でも果実を主食とする奴が一番美味い。
その理屈で言えばオオコウモリは最高の食材なのだ。彼らは別名フルーツバットと呼ばれ、多くの国で食されている。味はチキンに似て美味い。
――――大抵の肉はチキン味だろ、って? その通り。昔、南方で喰ったワニやカエルもチキン味だったよ。
重要なのは調味料さ!
ノーラはけんちん汁にスプーンを突っ込むと、音を立てずに飲み始めた。
「それはお椀を持って飲んで良いんだ」
「え。……野蛮」
「悪かった。好きにしてくれ」
「……でも、美味しい。……不思議な味。こんなスープ、初めて」
「その言葉が聞けて何よりだ。作った甲斐がある」
出汁は地熱で乾燥させた干し椎茸から取っている。いわゆる旨味調味料。
1908年に日本で発見されるまで、旨味とは正体の掴めない味覚だった。トマトやチーズを加えることで何となく味が良くなることは料理人の間では経験的に知られていたが、暴力的且つ繊細な風味として味蕾にぶつける手法は確立されていなかった。
向こう数百年の知識の含蓄を総動員して作ったこれらは、高次の美食に違いない。
――――金に飽かして世界中の膏粱を極めた俺からすれば、やはりまだ不味いのだが。
手間暇かけてこの味なら、インスタントな粟でいい、という結論になる。
「……ドワーフは、毎日こんな美味しいもの食べてたの?」
「いや、屑石だ」「屑石ね」
「ぼた、って?」
「鉱石掘ったときに出る、あまりの石」
「……変なの」




