科学が描くもの
「なに、これ……」
ルチルは目を丸くした。
5日間の遠征から戻った女王陛下が見たのは、すっかり様変わりした郷里の姿だった。
確かに、里の復興は彼に一任していた。
万年お留守番の0番隊隊長に。
護衛のついでで良いからね、と申しつけた片手間仕事。――――その仕上がりの何と美しいことか。
打ち壊された廃墟の名残はどこにもない。
壁床の化粧石は張り替えられ、区画は見直され、景観と利便性を兼ね備えた石の都に変貌していた。
蛍光石が照らし出す、地底の妖精郷。
その名に相応しい輝きが、里の随所から溢れていた。
この図面を引いたのが、まだ8歳の子供というのだから驚きだ。
着工から完成まで、たったの5日間。
これほど早い竣工には、実際に仕事をしたドワーフ達でさえ、いまだ信じ切れない様子だった。
この魔法じみた早建ては、一体どのように行われたのか。
ルチルが訊ねると、石大工は皆、不思議そうに首を傾げた。
「わからねぇんです。気付いたときには出来てやした。――新工法、だそうで」
土木工事は発生する土砂との戦いだ。
そこに加えて瓦礫も山積していた。それを解決したのが彼の敷いた作業動線だ。
徹底的に管理・効率化されたそれは、物資の出入りを自在にし、流れるように瓦礫を運び出し、誰の作業も止まらない。石工衆の力は100%余すところなく発揮された。
そして切り出された石材は、どれもこれも吸い付くようにピタリと噛み合った。その気持ち良いことと言ったらない。少年の設計図には無駄というものが一つもなかった。
――――素晴らしい現場監督。
皆、口を揃えてそう評した。そのことが、ルチルをなによりも驚かせた。
ドワーフの熟練工は、ダイヤモンドより硬い頭で知られているのに。
「……護衛じゃなくて、親方にすべきだったかしら」
「わしは推薦しときますぜ」
「それで? これをやってのけた騎士隊長さんはどこに?」
ルチルが訊ねると、ドワーフ達は顔を見合わせ、面白そうに笑った。
「水を差しちゃぁいけません。――――いま、ロマンスの真っ最中でさぁ」
「ズルい奴だよ。あれを見せられちゃあ誰でも惚れる」
「違ぇねぇ。なにせわしらも惚れかけた」
噂の少年は今、真っ暗な洞窟を進んでいた。
お姫様の手を引いて。
「ねぇ、ダダン。どこまで行くの?」
「じきに着くさ」
ここは里の郊外のとある場所。
切羽に開いた裂け目から、奥へ、奥へと。更に降りていく。
彼のランタンは弱々しくて頼りない。
レヴィは、ギュッと握りを強めた。
ドワーフの王国は地中に眠る。
故に、どこもかしこも真っ暗――――という訳ではない。
彼らの生活は、色取り取りの蛍光石と共にある。
自然発光するクリスタルが、地底の妖精郷を神秘的に照らしているのだ。
少年がライト代わりにしているのも、大蛇に砕かれたクリスタルの欠片である。
蛍光性を持つ鉱石は、存外多い。
透石膏や蛍石、方解石など、人間界でも枚挙にいとまがない。
活性剤と呼ばれる不純物が含まれていれば、大概光る。
ただしそれらが光るのは、紫外線を当てたときだけだ。
紫外線のエネルギーを受け取り、その一部を可視光として返す自然現象。
この蛍光石のように、暗闇で自ずと発光し続けるのは、魔法的作用と呼ぶより他にない。
ドワーフは光と闇の境界で生きている。
だから闇が怖くないか、と言えばそうではない。
むしろ、真なる暗黒がすぐ隣にあるからこそ、その恐ろしさは、他のどの種族よりも知っている。
雪国出身者が寒さを嫌うのと同じ。
レヴィはしっかりと少年を捕まえながら、もう片方では壁を伝っていた。
その壁が不意に、すかっ、と消える。
小さく悲鳴を上げ、わたわたと少年に縋り付いた。
「……なんだよ。怖いのか?」
「こ、怖くないし!」
「大丈夫。なんにも出てきやしないよ」
「なんでそんなこと言い切れるのよ」
「ここは、俺の作った場所だから」
周囲には何もない。壁すらない真っ暗闇。声は遠くで反響し、淡い光は足元だけを照らす。
そんな状態で真っ直ぐ進むと、不思議なオブジェに行き当たった。
頭は巨大な鉄アレイ、足元は筐体。
少年が筐体を弄ると、強烈な白光が溢れ出した。
「きゃあっ?!」
眩いフラッシュに悲鳴を上げるレヴィ。
広大な花崗岩のドームが照らし出され、また闇に沈んだ。
「間違えた」
「……なんだったのよ、いまのは」
「まあ見てろ。次は上手くいく」
少年がダイヤルを回した。
レヴィは閃光に備えたが、杞憂に終わる。
細く絞られた光線は、遙か頭上に放たれていた。
レヴィ達の真上。
暗闇を彩る、白の点描。
寄る辺のない虚空は、一転して光の海に。
――――天の川を湛える孟秋の夜空が、そこにあった。
天象儀、プラネタリウム。
地中に閉じ込められていては見ることの叶わない、壮大な一枚絵。
それがここに。美しい満天の星空が、『宙』に広がっている。
レヴィは生まれて初めて仰ぎ見る光景に圧倒され、「わぁっ」と呟いたきり、言葉を失った。
「これが『星空』だ」
「……ほし……ぞら?」
「一つ一つの点が星。それを抱える天井が空……」
「……綺麗」
まんまるく開かれたレヴィの瞳に映り込む、光の宝石箱。
少年は星を指差し、目立つものから順々に解説していく。
首が痛くなった二人はその場に寝転んで、更に続けた。
いつもは魔導書と睨めっこするだけで眠ってしまうレヴィも、今回ばかりは瞳を輝かせて続きを促す。
プラネタリウムは星の運行を描き続け、夜空は緩やかに流れていった。
「さぁ、魔法を使って見せろ」
「……えっ」
「この景色を見たレヴィになら、できる! はずだ。……昨日までのお前とは違う! はずだ」
「はずはず、って」
「ふん。俺とて断言したいがな。仮説は実証するまで仮説でしかない」
「この前は、『魔法を使わせてやる』って断言してたわよね?」
「……くすぐり倒したかったからな!」
「この嘘つき。……どーして見ただけで、急にできるようになるのよ」
「魔宝使いが魔法を使うとき、必ずこの光景を思い浮かべている。――――或いは、思い浮かべてすらいないのかもしれない」
「……どっち?」
「星空ってのは、知識として当たり前の概念なんだ。意図して使う必要すらない。……レヴィはそれを知らなかった。そして今、補った。きっと使える」
「……失敗したら?」
「『この方法では上手くいかない』ということが分かる」
少年のアプローチは、魔法に対してどこまでも科学的だ。
物理学者のジョン・ザイマンも、こう述べている。
――――アナロジーとメタファーなしには、人は何一つ考えることができない。
AがBに似ている。それが、類推と暗喩。
光の性質が波に似ている。原子の内部構造が惑星に似ている。その着想を得たことで、科学は発展を繰り返してきた。
オブジェクト指向がなぜ優れているか。『イメージしやすいから』に他ならない。
贋物の星空が彼女に何を与えたか。
イメージだ。
杖を構え、瞼を閉じたレヴィには、星空が見えていた。
ガヤガヤと混ざっていた『魔宝珠さんの囁き』が八方に散り、的を絞った一つからよく聞こえる。
これは『星の歌』だったのだ。
――――歌詞は、まだよく分からないけれど。
呼吸を合わせることはできる。
実にシンプル。
『スーッてしてると、ゾゾゾーってのがくるから、フヨンフヨンして、ゾクンッてなったときに、カッとしてギュンッ』
母はそう言った。今なら少し、分かってしまう。
レヴィは歌うように呪文を唱え、杖を振った。
バスンッ!
と、流星弾が打ち出される。
それは酷く小さく、魔法と呼ぶにはあまりにもみみっちいものだった。
にも関わらず、反動ばかりは一人前で、レヴィはしたたかにお尻を打った。
明らかな失敗魔法。
じわり、と涙を浮かべる少女。
「……ま、まぁ、初めはそんなもんだ」
少年の慰めにも反応しない。
瞬きすると、大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ち、彼はぎょっとした。
「だ、大丈夫か?」
「……うへ」
「うへ?」
「うへへ。……あはははははっ」
レヴィは少年の肩を捕まえ、勢い余って押し倒した。
星空を背にして、清々しい笑顔。
自分が泣いていることにも気付いていない。
「見た!? 見た!? あたしっ、あたし今! 魔法を! 使ったわよね!? 夢じゃないよね!? いまズバンッて! 魔法、ズバンッて!!」
「お、おう」
「ありがとう、ダダン! ありがとー!」
ぐじゅ、と鼻を啜って、そのまま抱き付く。
顔を汚すヌメヌメを、ちーんっ、と拭った。彼の服で。
「うわっ、てめぇ、コラ! 鼻水っ」
「えへへへへへへ」
「えへへ、じゃねぇ!」




