老兵の見た光
戦闘は坑道の奥へ奥へと続いていた。
あの場で戦い続ければ、負傷者を巻き込んでしまう。
オバールは大蛇の攻撃を一身に引き受け、下層へと走った。
地を滑る毒牙。
それを弾くと、数百トンの巨体から繰り出される体当たり。
気を抜けば轢き殺されてしまうだろう。
敵の重さと速度を利用して石斧を打ち込む――――が、硬い鱗に阻まれた。
胴より上は、やはり頑丈。尻尾のようには斬り落とせない。
刃が通らなければ、倒せないか。
否。
反撃の芽は、まだある。
――――我らが姫、ルチル・ド・ヴェルグが戻りさえすれば、魔法で倒せるはずだ。強力無比な、あの魔法で。
しかし彼女は今、人間族の国に招集されている。
なんて間の悪い。
まるで今日の不在を狙い澄ましたかのような襲撃だ。
伝令は既に飛んでいるだろう。
ルチルがすぐ帰ってきたとして、里には50名余りの負傷者がいる。彼らを捨て置いて大蛇を追い掛けられるほど、彼女は冷徹ではない。
一人一人に治癒魔法を掛けてから、となれば、ここへの到着は何時間後か。
この大蛇を相手取り、幾度の死線をくぐらなければならないのか。
考えたくもない。
元より計算は苦手だ。
「……やはり、時間稼ぎは性に合わんな」
岩場を駆けるオバール。
単純なスピードでは大蛇に数段劣る。
背を見せれば噛み殺されるのが必定。
しかしドワーフにはドワーフの道がある。
狭い扉を幾つもくぐり抜け、次々に坑道を乗り換える。
大蛇は岩壁をブチ砕き、強引に追い縋ってくる。
恐ろしいパワーだが、オバールはそれをチャンスと捉えた。
大蛇が壁を割って飛び出す瞬間、こちらの姿は見えていないはず。
その一瞬の隙を突き、脳天に石斧を突き立てた。
巨大な眼球を縦にかち割る。
「見切ったぞ、お前の劈開」
力こぶが唸る。膂力全開の打ち下ろし。ズズンッ、と地に叩き伏せる。
斧を引き抜けば、雨のように噴き出す血飛沫。
そして――――針?!
ドシュッ!! と。
蛇の傷口から2mの金属針が飛び出し、オバールの胸を穿った。
「ぐぉッ!?」
鋭く節張った金属針が、心臓を一突きに――――。
――――いや、反射的に体をひねり、致命傷は避けていた。
ぞぶり、と引き抜かれ、膝を付く。
胸を押さえるが、溢れる血は止まらない。
「……くそッ! 焼きが回ったな、俺も……!」
苦々しげに大蛇を見つめる。
真っ二つに割れた眼孔からうじゃりと蠢く、無数の節。節を持つ金属針。
それらがぐぅんと持ち上がった。
大蛇が鎌首を擡げたのだ。
膝を付くこちらへ、切れた尻尾が振り上げられる。
それでぺしゃんこ。一巻の終わり。
老兵は目を瞑り、祈りを捧げた。
「オバール!」
よく知った声が響いた。大蛇の動きがピタリと止まる。
そちらを見やれば、ピンク髪の少女。
ルチル――――ではない。
「なぁっ?! ――――レヴィ! なにしてやがる! こんなとこで!」
「助けに来たのよ!」
「頼んでねぇ! 早く安全な場所に」
言い切らぬ内、大蛇がレヴィへと突っ込んでいく。
幼い体は岩盤ごと押し潰され、周囲に砂煙が舞った。
「――――レヴィッ!」
オバールが叫ぶのとほぼ同時、砂煙の中から少女が転がり出た。
「けほっ、こほっ」
「早く逃げろ!」
「お爺ちゃんが言ってたわ! 誇り高いドワーフの魔宝使いは、仲間を見捨てたりしないのよ!」
「お前にゃ1000年早い!」
「あたしだって、もう一人前の巫女なんだから!」
「そういう生意気は、魔法の一つでも覚えてから吐きやがれ!」
ぜぇぜぇと血を垂らしながら、口角泡を飛ばす。
レヴィは怯まずオバールに駆け寄り、傷口に手を添えた。
途端、痛みがスーッと和らいでいく。
「今はこれが、あたしの魔法。――――文句ある?」
オバールが胸板を見下ろせば、白い粘液がべったりと。
ドワーフの秘薬――――だろうか?
驚くほどの即効性、鎮痛作用、止血効果。
かつての記憶が正しければ、50年前の戦争で使われたのは、もっと不快でネチャネチャするだけの粗悪品だったはず。
秘薬とは名ばかりの薬に、いかなる改良があったのか。
口うるさい発明家と、根気よくそれに付き合った少女の共同作品であることを、オバールは知らない。
「助かった」と呟くと、レヴィは、にっと破顔した。「……だが、もう十分だ。ここから先は、俺の仕事だ」
レヴィを押しやって石斧を構える。
再び伸び上がった大蛇は、少女の姿を捉えると、片眼をギラギラと燃え上がらせる。
あからさまに血走った瞳。
護りきれるだろうか。
――――いや、護らねばならない。
レヴィは次世代の希望なのだ。
戦いは熾烈を極めた。
オバールには二十を超える傷。汗と泥で秘薬が流れ落ち、先程の傷口も開いてしまった。
血が足りない。
視界が霞み、足がふらつく。
レヴィは後方で呪文を唱え続けているが、魔法は発揮されない。
期待は、――――している。
10年後、20年後の話だ。
今は使えずとも、未来ではきっと。そのためにも生きて帰さねばならない。
「お前なんぞに、喰わせて溜まるか……!」
大口を開けて飛び込んできた大蛇を押し止める。
象と兎ほどのサイズ差。
ドワーフ随一の老戦士は、それを腕力だけで均衡状態まで持っていく。
隆起する力こぶ。まるで小さな山脈だ。胸板から血が溢れる。
熱い体が、徐々に冷えていく。
マグマの抜けた山が、緩やかに死にゆくように。
老戦士の体から、命が損なわれていく。
少女は彼の名を叫び、駆け寄った。
「来るな!」
「でも!」
「いいか? 俺は今から喰われる。……喰われて、腹ん中から掻っ捌く。そういう作戦だ。少しの間、お前を守れなくなる。頑張って逃げろ。ほら行け」
「う、嘘よ、そんなこと、できっこないわ」
「……やってみなけりゃ、わからんだろう」
どうせ老い先短い身だ、と胸中で呟くオバール。
「相変わらず泥臭いおやじだ。――――そういうやり方が、ずっと苦手だった」
溜息交じりに声を発したのは、ドワーフの少年。
二人はそちらに目をやって、それぞれの声色で名を呼んだ。
「ダダン」と。
彼が筒を構える。
円錐形の鉄缶が付属した、巨大な筒を。
「……おかげで俺にも染みついちまった」
筒が火を噴く。榴弾が飛翔し、割れた蛇の目を食い破った。
次いで、ドガンッ! と。
内側から爆ぜた。
脳漿と血液と、銀の破片がキラキラ宙を舞って、降り注ぐ。
頭を吹き飛ばされた大蛇は、大きく半円を描き、ズシン……ッ、と横倒しになった。
そして沈黙。
ピクリとも動かない。
――――大蛇を屠ったのは、グレネードランチャー。
そう呼ぶにはあまりにも歪な代物。
試作段階の大口径拳銃を、即興で組み替えたものだ。
反動はマグナム弾以上に凄まじく、少年は撃った衝撃で後方へ吹き飛ばされ、2転3転した後、尻餅を付いて止まった。
「……あぁ。全くこれは、スマートじゃないね」
自嘲気味に呟く少年。
オバールはあまりの出来事にゲジ眉を持ち上げ、隠された目を見開いていた。
「ダダン。いま、お前、何を……?」
「――――うわぁぁぁぁんっ! ダダン! 遅いのよ! バカァッ!」
少年に抱き付くレヴィ。そこに手加減はない。
ギリギリギリと締められ、少年は「う゛っ」と息を漏らす。
彼の手から溢れた筒をオバールは拾い上げ、興味深げに眺め回した。
「……さっきの爆発は、これで起こしたのか」
「ああ」
「お前が作ったのか?」
――――訊ねられたダダンは、内心「げっ」と思っただろう。
出所を根掘り葉掘り尋問されれば、色々マズい物が出てくる。鉱石をちょろまかしていたこととか、坑道に勝手に開けた穴とか。
しかし、それらの焦りをおくびにも出さず、彼は首を振って見せた。
「拾ったんだ」
少年は嘘を吐いている。
このように強力な魔法武器が、里に残っているはずがない。
オバールはそう考えて、再び筒を弄り回す。
そして、おや、と。
筒の特異性に気付き、爛々と目を輝かせた。ドワーフの性分だ。
いつも厳格な古老が、新しい玩具を与えられた子供のよう。
レヴィが「先に止血しようよ」と言うが、聞く耳を持たない。
ややあって、感心したように息を漏らした。
「……可能なのか、こんなことが」
「オバールにも不思議なの?」
レヴィが問うと、老ドワーフは深く頷いた。
「――――こいつは魔法武器じゃない。にも関わらず、あれほどの威力。……魔力に頼らず、どうやって実現したのか。……残り香は、火薬のようだが、少し違う」
この世界でも火薬は使われている。
だが、その威力は低く、射程も短いために、戦場のメインは張れない。せいぜい馬を驚かしたり、煙幕を張ったり。
大量の火薬を扱える巨大な筒があれば、攻城砲や艦載砲にはなるが、それらは数十名単位で運ぶか、固定式。
拳大の量で、あれほどの爆発を起こせる火薬など、存在しない。はずだ。
オバールは興奮気味に訊ねた。
「ダダン。本当はお前が作ったんじゃないのか?」
「……無理だろ、そんなの。鍛冶場もないのに」
少年の言うとおり、今のドワーフは鍛冶場を持たない。鉄鉱石を鋼にすることも出来ず、鉄板一枚さえ作れない。
最近生まれたダダンには、冶金の知識もないだろう。
――――そのはずなのに、どうしても、彼がこれを作った、という直感が拭えなかった。
「なら、どこで拾ったんだ?」
「掘ったら出てきたんだ」
「んなわけあるか」
「……きっと、弓矢か何かが埋まってて、それが育ったんだろ。テリア様のお恵みだよ」
老ドワーフは「ふん」と鼻を鳴らして、それから分厚い手の平で、わしゃわしゃと。
生意気な少年の髪を掻き回した。
「な、なんだよ、おっさん」
「悪かったな。あれは、俺が野暮だった」