正邪の味を再現するならちょっと味が濃いかな。
「それじゃ、行ってくるよ。」
「うん、気を付けてね。」
結婚から一か月。
正邪は定期的に産婆さんのもとに行くようになった。
俺も付き添いで行こうかとしていたが正邪は俺の提案をすげなく却下した。
「私の事を大切にしているのは分かったが鬱陶しい。」
うーん、妊娠した時のイライラなのかなぁ…
そう割り切って接してはいるけどもしかして反抗期?
「まさか、子供じゃあるまいし…」
ブツブツと呟いていると小鈴が顔を覗かせた。
「猫辰さん、実験付き合ってもらっていいですか?」
「了解、すぐ行くよ!」
俺は踵を返すとリビングに向かった。
扉を開けると小鈴が本を手に持っていた。
「今回は本に登場する人物に化けられるのかを実験したいんです。」
「なるほどね。一応妖怪である饕餮も中国では確か本に書かれてたけど…」
「はい。妖怪に関しては多分猫辰さんは全て化けることが出来ると思うんです。しかし人間はどうなんでしょうかと思いまして。」
「一応、この世にいない人間なら化けることは出来たよ。」
「それってまさか…」
小鈴の顔が青ざめる。
「いや、人は殺してないって。例えば絶世の顔を持つ様な噂でも出ないような顔の事ね。」
「あぁそういう事でしたか。びっくりしました…」
「人は殺さないよ。余程の事がない限り。」
「『余程の事』という言葉を付ける辺り妖怪ですね…」
「うーむ。そこはしょうがないかな? ところで本題に入ろうか。」
「はい、まず化けてほしいのはこの方です。」
「『ドン・キホーテ』か。また随分と…」
俺はそういいながらドン・キホーテの挿絵を記憶に焼き付けるとドン・キホーテに化けた。
「…どうかな?」
口がすっごくもさもさするのは挿絵の彼が口ひげを生やしているからだろう。
「完璧にドン・キホーテですね。今にも洗濯竿片手に風車に突っ込みそうな見た目をしてます。」
「勘弁してくれ…幻想郷中から可哀想な目で見られるのはドン・キホーテと言えどご遠慮したいね。」
俺は人間に戻ると座布団に座った。
「で、次は何に化ければいい?」
「はい! 次はロビンフッドでお願いします!」
そんな感じで午前中は小鈴の実験に付き合うことになった…
「正邪遅いなぁ。」
俺は包丁を片手に呟いた。
「ひょっとしたら何か事情でもあるのかもしれませんよ?」
「うーん、そうかな?」
小鈴と話しながら料理を続ける。
しばらくして料理が完成した。
いつもは正邪が担当している味噌汁とご飯を小鈴が、主菜副菜を俺が作った。
「先に頂きましょうか。」
「うん、そうだね。」
『頂きます。』
手を合わせて合掌すると俺達は箸を取る。
味噌汁に口を付けるといつもの正邪とは違った少し濃い目の味がした。
「…お口に合いましたか?」
「うん、美味しいよ。」
「良かったぁ…正邪さんの味噌汁を見よう見まねで再現しようと頑張ってみたんですが…」
「正邪の味を再現するならちょっと味が濃いかな。」
「うー、やっぱりですか…次は気を付けますね。」
会話をしながら俺達は正邪を待った。
『ご馳走様。』
結局、飯が終わっても正邪は帰ってこなかった。
「…流石に迎えに行くか。」
俺はそうつぶやくと扉に手をかけた。
「…ッ!?」
驚きに俺は目を見張った。
「…結界!?」
くっ付いて離れない取っ手を俺は無理やり引き剥がした。
べりべりと皮膚が引きちぎれ激痛が襲う。
どうせすぐに回復する。
問題はこの結界だ。
誰が張ったのか。
どうやって張ったのか。
そして最も警戒すべきなのが…俺は閉じ込められたのか、それとも締め出されたのか。
「あーあ、気付かれちゃいましたか。」
振り返るとそこには小鈴が立っていた。
「小鈴…? これはお前が…?」
「えぇそうですよ。」
小鈴は笑顔で懐からお札を取り出した。
「博麗の巫女が里に預けたお札です。」
「…霊夢が絡んでるのか。」
「いえいえ、霊夢さんは無関係ですよ。私は里の民意としてあなたの前に立っています。」
「…どういう事だ?」
「妖怪は排除すべき存在です。ですが、妖怪を撃退するにはあまりにも非力な人間が多すぎる。そこであなたに白羽の矢が立ったわけです。」
「…なるほど、守護獣か。」
「いいえ、守護神です。里はあなたを妖怪へ抑止力にするため私をここに送り込みました。」
「…まさかあんたがそんな役を引き受けるとはね。」
「予想外でした?」
「まったくだ。それから――」
「正邪さんですか?」
俺は黙って頷いた。
「正邪さんは無事ですよ。扉の外で檻に閉じ込められているでしょう。」
結界をひらひらと振りながら小鈴は言った。
「まさか逆にやられるとはね…」
「すいません…ですが、帰ってきてくれますよね、猫辰さん?」
「…悪いが断る。」
「そうですか…今日のお味噌汁、随分と味が濃かったんじゃないですか?」
「…それが?」
「あなたのお椀の淵に強力な睡眠剤を塗っておきました。」
「…冗談きついぜ。」
今更ながら視界がぼやけているのに気が付いた。
足もふらふらする。
「人間ならぺろりと舐めるだけで3日程昏睡状態に陥るものらしいですが…流石は化けても妖怪と言ったところでしょうか。」
「一本取られたね…」
「ここに同居することで襲われる危険性を排除しましたから。」
「…ったく…でも覚えときな…正邪を怒らす…と怖いぜ…?」
それを最後に俺は完全に意識を失った。




