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9/13

9/よるを歩く

手袋をはく。北海道では手袋はズボンやスカートの様に、履くと言います。

 


 学校の宿題はゼッタイだ。

 塾を休むのは御法度ごはっとだ。できれば試験の点数も、順位もそれほど落とすな。


 水島くんの忠告は、まるで親のそれみたいだった。

 わたしは年齢よりもずっとおとなびた水島くんの意見を、時には窮屈で鬱陶しく思った。

 それでいて、彼の冷静で現実的な部分に頼っていたんだと思う。



 放課後に木瀬くん宅を訪れても、会えない日が続いた。それでも前日に新聞受けに入れて置いたノートは回収されている。そして前々日のノートが変わりに戻っている。

 家の人はいるはずだ。

 わたし達は辛抱強く通い詰めた。

 待っている間、水島くんが単語帳をめくって問題をだしてくれたりした。

 降りしきる雪景色の向こうから、くろい人影が現れるとわたし達はハッとして顔をあげた。その人物がこの家の人でありますように。できれば木瀬くん本人でありますように。そしてわたし達を見つけて、「やあ」って、能天気に挨拶してくれますように。

 けれどその願いはいつだって叶えられなかった。

 わたしと水島くんは、いつまでも戻ってこない親を待つこどもみたいに、寂しさと不安を抱えたままだった。



 四日目のことだった。

 木瀬くんの家から戻って、居間のストーブの前でコートを脱いでいると、

「夏美」

 台所に立っているお母さんが、わたしを呼んだ。


「なにーー?」

 わたしはストーブの前で、コートの濡れた肩口などをタオルで拭いていた。コートは濡れた部分が、濃い灰色になって水を吸っていた。

 ストーブのうえに置いた薬缶の口から、蒸気がしゅんしゅんあがっていく。台所からはシチューが煮込まれる、きもち良い匂いが部屋を包み込んでいた。これから塾に速攻で行かなければいけない。もう一度寒い外へ行くのは面倒だったけれど、仕方がない。

 わたしは寒さでかじかんだ指先をストーブで温めた。


 今日も木瀬くんには会えなかった。

 けれどノートに挟むメモは昼休みに用意できたから、ながいメッセージを残せた。会えなければせめて電話でもくれないだろうか。

 そういう事を考えながら、いくぶんぼんやりしていた。お腹もすいていた。

 だからだろうか。お母さんが台所から言っている言葉が上手く頭にはいってこなかった。


「ーーしてよ」


 けれど。その堅い声の調子は意味が分からないままに不安な感じをわたしへ投げつけた。

 耳慣れない。お母さんらしくない。ざらざらした響きをふくむ堅さだった。


「なに? 聞こえなかった」


 わたしの返答に、お母さんは背中を向けたまま振り返りもしない。

 水道から水が勢いよく流れている。


「もう、行かないほうが良いから。分かったわね」

 いかない?

 わかった? 

 くり返されたであろう言葉を、今度ははっきりと耳が拾った。それでもまだ、その言葉の意味が、わたしの頭のなかで上手い具合に処理されなかった。


 イカナイホウガヨイカラワカッタ


「なにが? どこに……?」


 自分で口にして、そこでやっと言葉の意味が頭にはいってきた。

 途端、体の芯がずしんと冷えた。

 反対に頭のなかはカッと熱くなる。


「クラスメイトの自宅に、届け物しているんでしょう。そんな事、あなたがしなくてもーー」


 わたしの変化に気がついていないのか、お母さんは淡々と話しを続ける。

 洗い物の手を休めない。顔が見えないうしろ姿が、わたしの思いを拒絶しているみたいだった。


「クラスメイトじゃない! 木瀬くんは友達だよ!」

 わたしは叫んだ。


 お母さんの言葉を聞きたくない。

 こめかみのあたりが、ドクドクいっているのが分かる。そこから、怒りがとめどなくわいてくる。

 お母さんはわたしの声の鋭さに、わずかばかり体を強張らせた。

 けれど、そのままこちらを向きはしない。手ばかりが動いている。声は余計にとがり始めた。


「ーー受験生なのよ。学校に来ない友達にかまけているヒマがあったら、自分の勉強をしなさい。分かった?」


 言葉は棘になって、わたしを突き刺す。


「わかるわけない!!」

 大声で怒鳴った。

 腹の底から声をだした。


 夏休みに毎朝迎えに来てくれた二人に、お母さんは「お疲れ様」「ガンバルわねえ」と声をかけていた。体育祭の結果に手を叩いて喜んでいた。

 球技大会の件は伝えていないけれど、木瀬くんがわたしの大切な仲間だって知っていたはずだ。知っていて、尚。木瀬くんの存在を、わたしからキレと言っているのだ。

 ふつふつと体の底のそこからこみ上げてくる怒りにまかせ、

「なんでそんな酷いこと言うの? 言えるの? 信じられない!」

 わたしは足音もあらく部屋を飛び出した。

 背後でわたしの名を呼ぶお母さんが居る。今度はわたしが振り返らない。これっぽっちも、そんな気分じゃない。

 なにもかもが、やりきれなくて。

 我慢できなくて。

 腹立たしくて。

 わたしは力任せに玄関のドアを閉めると、夜の街へと逃げ出した。



 歩いた。

 むちゃくちゃに歩いた。

 怒りにまかせて。寒さも感じず歩き続けた。

 普段なら怖い暗闇も、へっちゃらだった。むしろ。もっと深くて、暗い方へと気持ちが傾いていった。

 受験勉強も。学校も。塾も。先生も。親も。木瀬くんの存在をあますクラスも。全部ぜんぶ滅んでしまえ。そんな悪態を吐いて歩き回った。

 わたしと水島くんは、ただ木瀬くんの家に行っていただけではなかった。


「もっと行動を起こした方が良いかもしれないな」


 水島くんは委員長に直談判じかだんぱんして、この問題をクラス会にかけようとした。木瀬くんの処遇を巡って、不透明な部分を明らかにしたかった。水島くんと二人で委員長を始め、クラス全体に呼びかけた。けれど誰ひとり賛同してくれる人はいなかった。


「難しいよ、こういうのは」

 委員長の山下くんが言った。

「木瀬くんひとりの問題ってだけでも、生徒の手にあまるのに、違反常連組みの村上君達の問題も含んでしまう。そうなったらクラスだけの議題に収められない」


 副委員長の若林さんが申し訳なさそうに、「木瀬くんの事は気になるけど、この時期に表立って行動したい人はいないから……」

 いつも快活で明るい若林さんとは思えない歯切れの悪い返答だった。


 いつの間にか木瀬くんは、れ物みたいな存在になっていた。

 木瀬くんは不良じゃない。けれど優等生ってわけでもない。面白いけど、問題もちょくちょくおこしていた。そんな木瀬くんに対して自業自得だというのが大半の考えで、受験を前に、自ら面倒事に首を突っ込む物好きなど一人もいなかったのだ。


「仕方ないかもしれない」

 水島くんが言った。


「俺だってさ。もし木瀬と親しくしていなかったら、やっぱり同じ態度だったかもしれない。だからあいつらの事、悪く思っちゃいけないんだ」


 水島くんの意見は正しい。頭ではそう理解できた。けれどわたしは不満だった。

 物わかりの良い水島くんの、大人みたいな考え方に。

 木瀬くんをほったらかしにするクラスに。

 通ってもなしのつぶてで、連絡さえくれない木瀬くんにも。

 わたしの不満は爆発寸前だった。

 そしてお母さんの発言が、わたしの膨らんだ感情に最後の穴を開けたんだ。


 歩いた。でこぼこに固まった雪道を苦にもせず歩いた。体中の血管をながれる血が、ふつふつと沸き立つように思えた。

 全部うまくいかなくて。

 全部めちゃくちゃになってしまえと、幼い呪いの言葉を胸のなかで吐きながら歩いた。

 そうして気がつくと、随分とおい場所までたどり着いて居た。

 闇はふかく。慌てて確認した腕時計は、とっくに塾の時間が過ぎている事を示していた。

 わたしは周囲を確認した。

 家を飛び出し。市の中央部を走る市電沿いに歩いて来た。電停の弱々しい灯りが、「館岡たておかどっく前」と書かれた標識を浮かび上がらせていた。電車の終点。市のどんずまりの湾岸にある、造船所前まで来ていたのだった。

 二十時台の電車は全て終わっている時間だった。あとは二十一時と二十二時台に一本ずつしか運行していない。次の電車まで四十分以上ある。

 わたしはここにきて、やっと現実にかえった。


 まずい。

 怒りにまかせてかなりまずい事をしてしまった。

 制服のポケットを探る。入っているのは、ティッシュとハンカチくらいだ。電停から見える範囲に公衆電話ボックスがあるけれど、お財布は家に置いてきた鞄のなかだ。つまり電車を待っても、乗れないって事だ。

 当りは真っ暗だ。

 ここから先は造船所くらいしかない。電停のあたりには、まばらに民家が建っているばかりで大きなお店だってない。人気のない暗闇がにわかに膨れ上がって、迫ってくるように感じた。


 わたしは元々小心者だ。恐がりだ。

 どうしよう。どうしよう。手袋さえはいていない両手をこすり合わせた。

 とりあえず。ここで四十分待っても、電車に乗れるかも分からないのだ。まずは歩けるだけ歩こう。そうしよう。

 人っ子ひとりいない歩道を、家を目指して歩いた。

 時折すれ違う車のライトにさえ怯えた。

 雪を踏む自分の足音が、曖昧に思えるくらいふかい夜だった。

 心細さに押されるように、早足で進む。どっく周辺を抜け、「十字街じゅうじがい電停」の標識が見えてきた時はすごく嬉しかった。「十字街」は、かつての繁華街だ。今はさびれているけれど、それでも個人商店だの民家がぎっしりと立ち並んでいる。歩いている人だって。車の交通量だってある。もしなにかあっても、人目がある。ああ、良かった。疲れてきて、歩く速度を落としかけた時だ。


 わたしの足音に重なるようにして、うしろをついてくる別の足音に気がついた。


 歩道なのだから、通行人が居て当然だ。昼間なら気にもとめない。

 けれど暗闇が、わたしにいらぬ不吉な想像をさせる。


 いつから人がいたのか、全然気がつかなかった。きっとたまたま。こんな時間に? 子どもには遅くても、仕事帰りの人ならきっと普通だし。大人なら冬は車か、電車バスなんじゃない? 大丈夫。わたしの考えすぎ。十字街まで行って、そこで振り返ったら良い。でも、もし変な人だったら……


 支離滅裂な考えが浮かんでは消えて行く。

 緊張に耐えきれず、わたしは思わず走った。すると後ろの足音が、同じように歩を速めた。

 怖い。こわい。こわい。

 でこぼこ道が走りずらい。回りには他に誰もいない。お店はシャッターを下ろしている。怖い。こわい。こわい。足音はわたしの背後まで迫ってくる。向こうの方が足がはやい。そしてーー


「おい」


 声を発した男が、走るわたしの腕を掴んだ。

 

 






 

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