8/木瀬くんのながい不在
その日。
木瀬くんは教室には戻ってこなかった。
木瀬くんの給食は、手が付けられないまま下げられた。
五時間目になっても。六時間目が過ぎても。席は空いたままだった。
前原先生が木瀬くんの鞄を手に、職員室へ戻った。
クラスメイトの突然の不在に、わたし達は浮き足立った。クラスも。学年全体も、真相がわからないゆえにざわめきはながく続いた。
木瀬くんは、翌日も登校しなかった。
池端先生が、こめかみに包帯をまいて授業を行なった。
まっしろな包帯に、皆の視線が突き刺さった。池端先生は授業内容以外、余計な事はなにひとつ口にしなかった。誰も冗談めかして。あるいは真剣に、包帯の理由を問いただせる雰囲気ではなかった。
放課後には臨時のPTA集会が開かれた。
金曜日。
木瀬くんがいないまま、卒業アルバムの写真撮影が行われた。
体育館にはながい列ができ、個人写真を撮ってもらう。
わたしと水島くんは全然笑えなかった。
翌週も。
木瀬くんは現れなかった。
全校集会が開かれ、校長先生と川島先生が壇上に立った。校長先生から、生徒による暴力事件が起こったと発表された。驚きと。無責任な興奮の波が体育館中に走った。
生徒の何名かが自宅謹慎中な事。三年生は受験にそなえて平静に、いつも通りの行動をする事。不安や悩みがある場合は、どんな些細な事でも家族にまたは担任や保健室の梶先生へ相談する事。
ひえた体育館のなかで、とつとつと事務的にそれらが語られた。
先生の言葉はわたしの耳にとどまる事なく、無意味に流れていっただけだった。
木瀬くんがここにいない。
その事実だけが、しらじらとしたつめたい痛みをもって感じられた。
※ ※ ※
今の一五歳は「丸刈り校則」という言葉を知っているだろうか。
1970年代後期から始まり、1985年には日本全国の三割りの中学校で、実際に行なわれていた校則だ。
書いて字の通り。男子生徒全員の頭髪を、強制的に丸刈りに統一した校則であった。
現代では奇異に映るこの校則は、実に2013年まで細々と続いていた。
わたし達の中学校では、丸刈りについては校則で定められていなかった。けれど違反行為が目立つ生徒に対して、教師が頭髪を黒く染めるように指導したり、丸刈りを指示しても特別問題とならなかった。
そういう風潮が、わたし達の周囲をふくめ日本全土であった。
もちろん反対の声だってあがった。
全国で丸刈り校則禁止の運動が起こってはいた。丸刈りにする意味が学校側に問われた。世論も是か否かでもめた。しかしなかなか校則撤廃とはいかなかった。一部の学校OBから反対の声があがっては、校則廃止案は頓挫していった。反対の理由のいくつかは、中学生からみても実に馬鹿ばかしいものだった。
理由の一つに、「自分たちが丸刈りにされていたから、後輩もすべきだ」と、いうものがあった。
そういう意地の悪い考えが、まかり通っていた。
後年そういう声をまとめた記事を目にしては、やりきれなくなった覚えがある。
自分たちが嫌いやしていたから、次の世代も我慢しろ。
そういう考えを、木瀬くんは心底嫌がっていた。
わたしも嫌だった。
2013年。
鹿児島県奄美市の中学校で丸刈り校則が廃止された。それが最後だ。以降、街で見かける坊主頭の中学生のほとんどが運動部となった。
「木瀬はさ。別に高尚な理想を掲げていたわけじゃないんだよな。それこそ俺らと同じでフツーの中学生だったわけだし」
水島くんが呟く。
「そうだね」
わたしは思いでのなかの彼を振り返る。
木瀬くんはちょっと変わったおとこの子で、ごく普通の中学生だった。
ただ争いも、諍いも。不公平も嫌いだっただけだ。そして自分がされたイヤな事を、誰かに手渡すなど、きっと考えもしなかったんだ。
※ ※ ※
週があけて月曜日になっても、木瀬くんは教室に現れなかった。
前原先生にどうなっているのか尋ねに行っても、「お前らにだけ教えられるわけがないだろう」と、にべもなく追い返された。
あの日。進路指導室に呼ばれた男子生徒は七名。
そのうち五名は登校し始めた。彼らのリーゼントにしていた髪の毛は、奇麗さっぱり短くなっていた。金色だったものも黒髪に戻っている。彼らは肩を怒らせながら廊下を闊歩したけれど、その後ろ姿は今までよりも迫力に欠けていた。
「理由はやっぱりコレだった」
水島くんが噛みしめるように言った。
木瀬くんともう一人。村上くんという男子の欠席が続いた。
すると、この二人が首謀者で暴力事件を起こしたいう噂が流れた。
わたしも水島くんもそんな噂は信じなかった。根拠のないでまかせだと、怒りを感じた。
あの木瀬くんが、そんな事をするわけがない。なにか理由があって登校できないだけだ。二人でそう話し合った。
「義務教育なんだ。しかも木瀬は煙草やアルコールとかの問題をおこしたわけじゃない。正確には自宅謹慎じゃなくて、多分出校停止だ」
インターネットで調べるとか。SNSで意見を発信するとか。そんな手段のない時代だった。
こどもだったわたし達は足りない知識とわずかばかりの社会常識のなかで、手探りで考えていくしかなかった。
水島くんとふたりで、木瀬くんの自宅へ授業のノートやプリントを持って行こうと計画した。
木瀬くんが謹慎なのか、出校停止なのか分からなかったけれど、自宅待機中の生徒に正々堂々と会いに行けるのは担任の許可がいる。わたし達は一時間目終了の十分休みから始まって、休憩時間の度に先生に主張をくり返した。先生も終いにはうんざりした顔をしていた。
「俺ら受験生なんですよ、先生!」
水島くんが昼休みの職員室で大声でわめいた。
「ノートはゼッタイ必要です」
わたしも水島くんの隣で言った。
「だったら尚更お前らは、きちんと勉強しろ」
先生は職員室でそう言ったけれど、わたし達は引かなかった。引く気など、これっぽっちもなかった。
「木瀬が心配でしんぱいで、勉強に手がつかなくなったらどうするんです! これで順位がさがったら、生きていけません!」
水島くんがあわれっぽい口調で、むちゃくちゃな意見を吐いた。
笑われるような台詞で、事実職員室内には失笑がもれていた。
「……もう。分かったから。プリント類を家人に渡したら、すみやかに帰ること」
前原先生が、おれた。うんざりした顔をしていた。
「はい」
「分かりました」
わたし達は息を揃えて、満面の笑みでプリントを先生から奪いとった。
職員室を出て扉を閉めると、無言でガッツポーズをした。これで木瀬くんの家へ行く理由ができた。
けれど意気揚々と訪れた木瀬くんの家は真っ暗だった。
誰もいなかった。わたし達は玄関前の軒下で、木瀬くんを待った。
雪ばかりがしんしんと降っていた。「寒いね。さむいね」と、二人で言い合いながら手をこすったり、足踏みをしながら待った。時間つぶしで単語カードをめくる水島くんの手が震えていた。わたしの吐く息もまっしろだった。
誰も帰ってこなかった。カーテンが引かれた窓が開く事もなかった。
学校のチャイムが鳴る音が、風にのってかすかに聞こえてきた。
「塾に行く時間だ」
腕時計を確認して水島くんが言った。
時計は五時半を回っている。北国の冬は、夕刻から夜になるのが速い。辺りは徐々に暗くなってきていた。
「成沢さん。今日はもう帰ろう」
「……」
わたしはまだ帰りたくなかった。
外は確かに寒い。風邪なんてひきたくない。学校の宿題も、塾のテキストもたくさんある。けれど折角来たのだ。まだ諦めたくはなかった。木瀬くんの顔を、ちょっとで良いから見たかった。
「……もうちょっとだけ」
「気持ちは分かるけど、長期戦になるかもしれない」
水島くんが言った。
きっぱりとした口調だった。つよい目をしていた。
「長期戦?」
「そうだ」
わたしがただ待つだけの間に、水島くんは先のさきまで考えていたようだった。よどみのない言葉が続いた。
「明日。明後日。それで木瀬が来るならそれでいい。俺ら心配でしんどかったって、木瀬の阿呆を殴り飛ばせばそれでいい。けど今週中欠席だったら? このままずっと連絡もつかず、真相も分からないままだったら? そうなったら、本当にまいってしまう。その為にも俺らは計画的に動くべきなんだ」
水島くんは眉間に皺をよせ、拳を握りながら力説している。まるで選挙演説をしている大人みたいだった。わたしは水島くんを見上げた。
「その為にはすべき事をしなくちゃいけない。大人にホラ見たことかって言われる隙を与えちゃいけないんだ。俺らの為にも。木瀬の為にも」
そう言いきった水島くんは、なんだかとても凛々しかった。わたしはこの時。木瀬くんが以前言っていた言葉を思いだしていた。
「水島くんって」
わたしの声かけに、「ん?」水島くんが眉間の皺を解いた。
「本当に一五歳?」
水島くんが首を横に振った。
「実はまだ十四だ」
「年。サバ読んでないよね」
「当たり前だろ」
水島くんがかるく笑った。
わたしもつられるように笑った。
「わかった」
わたし達はノートを新聞受けに突っ込んで引き上げる事にした。
ノートには「とにかく連絡よこせ」と、水島くんがメモを残した。




