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6/やわらかな茶色の思いで



 バレーボール黒板事件の後。

 しばらくの間、わたしは体育の度にびくびくしていた。

 あんなにも大胆な事をしでかしたわりに、わたしは小心者のままだった。

 ふたりには告げていない。

 体育は男女で別だったし、依存したくなかった。守られるおんなの子ではなくて、対等の仲間でいたかったのかもしれない。


 でもそんな決意とは別に、なにか言われたらどうしよう。責められたらどうしよう。そういうネガティブな気持ちは消えてはくれなかった。

 今考えたらもっと冷静になれ。と、あの日々の自分を叱咤してやりたい。

 結局誰かにインネンを、つけられるとか。囲まれて、ぼこぼこにされるとか。

 そんな深夜のひどい想像が、現実になることなどなかった。

 体育が球技じゃなくて、個人競技の走り高跳びになったのも幸いした。

 わたしはそれまで通り、少しだけ無視された空気みたいな存在で、クラスの女子のなかに埋もれていた。

 次にトラブルに巻き込まれたのは、わたしではなく木瀬くんだった。

 しかもわたしの黒板事件なんて問題にならないくらいの大事になった。


 ※ ※ ※


 木瀬くんとは三年生で初めて同じクラスになった。

 彼はひょうひょうとした男子だった。

 運動会でチームを組まなければ、卒業まで親しくできるタイプではないと思っていた。

 変わった行動は多かったけど、木瀬くんはわたしや水島くんよりも段違いに人付き合いが得意だった。

 親友や懇意こんいにしていた特定のグループはいなかったみたいだけど、クラスにもそれなりに馴染んでいた。それこそ不良と呼ばれていた男子グループとも適度な距離感で話せて、話題によっては一緒に盛り上がれる人だった。

 木瀬くんは明るくて。器用で。誰とでも話せて。

 その一方で、ものすごく不器用だった。



 1985年。

「茶髪」な人は今ほどいなかった。

 ツッパっている男の子達はそろってリーゼントだったり、いっそ金色に染めていた。なかには明るい茶色に染めている男子もいたけど、そういう髪の毛は大抵は痛んでごわごわして見えた。

 そのなかで木瀬くんの髪の毛は、全然違っていた。

 木瀬くんのふんわりした天然の茶色はやわらかそうだった。授業中、窓ガラス越しのひかりを浴びると、天使の輪ができていた。

 時折教室で女子に囲まれて、「木瀬いいなー」「こういうの憧れる!」と髪留めをされたり、結ばれたりして遊ばれていた。

 女子に囲まれた木瀬くんは、「いいっしょ」とにこにこしていた。

 わたしはその光景を遠くから、ひっそりと眺めていた。まだ仲良くなるどころか、ろくに話したこともなかった頃だ。

 おんなの子達の指先で、くるくるとつままれるそのやわらかな茶色は、まるで外国のおとこの子みたいにわたしの目には映っていた。


 わたしと水島くんが救えなかった仲間。

 木瀬くん。ねえ。どうしてる?


 中学を卒業しても、木瀬くんの面影おもかげはわたしの頭の片隅にずっとあった。

 スマホも携帯電話もなかった時代。連絡手段は固定電話か手紙だけだった。物理的な距離は十代のわたし達には、太刀打ちできないものだった。

 高校生になって。卒業して。進学して。社会人になって。東京に出て。

 それでもまだ時々思いだしていた。街なかでやわらかな茶色を見かけると、振り返ってしまう。


 木瀬くん。ねえ。わたし達はあの時、どうすれば良かったんだろう。


 ※ ※ ※


「あの時期ってさあ、毎週試験だったよね」

「今はもっとすげえぞ」


 ジェラードをおおきな口で頬ばりながら、水島くんが言う。

 水島くんはふたりの子どものお父さんだ。

 うえのおとこの子は現役中学生。

 あの水島くんがおとうさん。

 なかなか信じられない。いつまでたっても慣れないで微かな違和感を感じてしまうのは、わたし達が戻ることを許されない場所に彼のこどもが通っている。その現実だ。


「受験はシステム化されているし、塾で傾向と対策がバッチリされている。夜遅くまで毎日塾で、夏休みや冬休みになると三食弁当もって行く。うちのあきも大変そうでさ。俺はおくさんと交互で、塾の迎えまでやってるんだぜ」


 水島くんはそう言いながら、スマホの画面を見せてくれた。

 そこに映っているのは、懐かしい黒学ラン姿のおとこの子だ。眼鏡をかけている。けどーー


「何度観ても似てないよねえ」

 わたしの感想に水島くんは、「そうか?」と言う。


 彼の息子の明文あきふみくんは、眼鏡で賢そうなところはそっくりだ。なのに見事なまでの標準体型だ。

 水島くんと並んだ写真を観ると、尚ほっそりとして見える。へだたりのなさそうな水島父息子おやこの画像に、胸の奥がちくりとうずく。

 蓋をしているよどんだ気持ちから目をそむけた。きっと水島くんは相談したら、話しを聞いてくれる。けれど言いだす勇気が、今のわたしにはない。せっかくの旧友との再会。この時間を楽しみたい。わたしはことさら明るく言った。

「うん。似てない」


「俺にもだけど、うちのおくさん、子どもの食事すっごい五月蝿くて」

「水島くんも、これくらい痩せていたらなあ」


「なに? 痩せてたら俺もっともててた? 格好良かった?」

「もててたかは、分からないけど」


 わたしは言葉を濁した。

 女子中学生の恋愛に至る基準には、ルックスの他に運動部のレギュラーなどの運動神経の比重が高い。

 破壊的な運痴で、かなり個性的な性格の水島くんが痩せていたからといって、もてたかは正直疑問だ。


「でも、水島くんはちゃんと格好良かったよ」

「え? そう? 俺、格好良かった?」


 水島くんが嬉しそうに、そわそわと身体を動かす。

 ジェラードを食べながらそうしていると、なんだかくまのプーさんか、浮かれたトトロみたいだ。


「うん」

「えーー、そうか? そうだったのか、俺!」


「うん。木瀬くんが言ってた。水島はサイコーに格好良い奴だって」

「なんだ、木瀬発言かよ」


 水島くんが眉間に皺をよせた。ガッカリしたその表情に、わたしは「ふふ」と微笑んだ。

 木瀬くんは水島くんが、かなり好きだったのだ。

 無論、木瀬くんの好きは恋愛的な好きではない。

 もしそんな相談を受けていたら、一五歳のわたしは夜も眠られずに悩んでしまう。



 あれはたまたま二人で帰った時だった。

 なんのきっかけで、そういう話しになったのかは覚えていない。多分木瀬くんの発言にびっくりしすぎたのかもしれない。


 「俺さあ。水島に助けられたんだーー」


 ※ ※ ※


 わたし達は中学の横にある歩道橋ほどうきょうをあがっていた。

 季節は冬で、歩道橋の階段は雪が積もって、あがりづらくなっていた。だからだろうか、その時歩道橋にはわたし達以外は誰もいなかったような記憶がある。

 わたしも冬場は滅多に使わない。多少遠回りをしても、横断歩道を渡っていた。

 そうだ。

 歩道橋にあがろうと言ったのは、木瀬くんだった。


「成沢さんがコケそうになっても大丈夫。俺がいるから」


 そう言った木瀬くんのうしろを、手すりにつかまりながら、一歩一歩慎重にあがって行った。

 たどり着いた通路はでこぼこに固まった雪と、そのうえに降り積もった新雪で、滑りやすくなっていた。風がびゅうびゅう吹き渡っていく。

 寒い。

 わたしも木瀬くんもコートのうえからしているマフラーを引き上げて、口元をおおった。


「あそこ」


 木瀬くんが歩道橋のうえから指差したのは、わたし達の通う学校だった。ここからだとグラウンド側を見下ろせる。


「うん」


 わたしは手すりにつかまって、伸び上がった。

 手すりは降り積もった雪が残ったままで、手袋をしていても冷たさがじんじんと伝わってくる。


「あそこで、俺。水島に会ったんだ」


 木瀬くんの指先を一生懸命目で追ったけど、そこはあたり一面が雪で埋まってしまったグラウンドがあるだけだ。グラウンドのどこを指しているのかまでは分からなかった。


「水島とは小学校が一緒だったけど、話したこともなかった。だから会ったっていうよりも、初めて話したって事になるけど」


 そこまで言うと、木瀬くんは眩しいものを見るかのように目を細めた。


「そこで……俺は水島に助けられたんだ」

「水島くんに?」


 わたしは驚いて、たかい声をあげた。

 逆のパターンなら、なんとなく想像できる。

 けど水島くんが木瀬くんを助けるというのが、どうにもピンとこなかった。どういう事だろう。わたしは首を傾げた。木瀬くんより水島くんがまさっている点といえば、何と言っても学力だ。


「勉強とか、テストとか。そういうので助けられたの?」

 わたしの言葉に、「全然」木瀬くんは頭を振った。


「なんだろう? 勉強以外で思いつかないなあ」

「勉強はカンケーなし」

「うーん。委員とか、係り活動とか?」


「もっとカッチョイイ感じ」

「水島くんが?」


「そ。そんでもって、そん時に俺は悟ったんだよね」

 木瀬くんは冷たい手すりに両手でつかまると、懸垂けんすいの要領でぐっと身体を持ち上げた。


「でぶ島って言われて、ガリ勉で、運動神経ゼロで。でも水島はサイコーに格好良い奴だってね」


 知らなかったでしょう?

 身体を持ち上げたままそう言うと、木瀬くんがニヤッと笑った。


 歩道橋の真下を、冬タイヤの車がびゅんびゅん走り去って行く。そんな格好していたら危ないよ。そんな言葉を飲み込んで、わたしは無言で木瀬くんを眺めていた。

 校則の、耳にかからない。襟足にかからない。そのどちらよりもずっと長い木瀬くんの髪が、風になびいていた。


「コレ教えたの、成沢さんだけだから」

「でもナニが格好良かったのか聞いてないよ。助けられたとこも」


「それは又のお楽しみ。だって悔しいじゃん」

「なにが?」


「仲間うちで水島だけが、格好いいとかさ。俺が悔しいじゃん。だから俺が格好いい事するまで、待ってて」


 木瀬くんは三人四脚で充分格好良かったのに。そう思いながらもわたしが頷くと、木瀬くんは「やっ」と言いながら身体を元に戻した。


「ねえ。でも、どうして教えてくれたの?」

「バカにしないから」

 木瀬くんが応えた。


「他の奴なら、ナニバカ言っちゃってんのって、言うじゃん。成沢さんなら分かってくれそうだから。分かってくれる?」

「うん」


「やっぱね。そう思った」

 そう言って延び過ぎた髪を木瀬くんはかきあげた。その様子にわたしは言ったのだ。


「木瀬くん。切らなきゃ。又注意されるよ」

「だよなあ。かったるいなあ」


「でも写真撮るし」


 そろそろ卒業アルバムの写真撮りをわたし達は控えていた。


「だよなあ」

 木瀬くんが呟いた。


 そうだ。

 この後だった。木瀬くんがとんでもない事態に巻き込まれたのは。







 

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