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4/戦うってことを覚えていく

「まざる」北海道弁で仲間にはいる。一緒にやる。



 黒板の文字は、わたしの胸をまっすぐにえぐった。


「成沢さんごくろうさま〜」


「ファインプレイ!? 顔面レシーブ!!」


「顔ひやした方がよいかもねっ!」


 わたしが現れた瞬間、教室中がしんとした。

 そこにいるのは女子ばかりだった。なかに違うクラスの女子も数人まじっていた。三三五五さんさんごごで集まって、みんな目を合わせないように。でもじっとわたしの出方を観察しようとしているようだった。

 手にもっていたタオルで、思わず口元をおおった。目にみえないガラスの壁に突然さえぎられたような、息苦しさを感じた。

 どうしようっていう思いと。誰がっていう思いが混ざり合う。

 そして全然変わっていなかった現実と向き合った。結局わたしはクラスの「あまされもの」のままなんだ。みじめさで、気持ちが真っ暗になっていく。

 足元が震えるみたいに感じた。


 どういう顔をすれば良いのか分からない。

 なにをすれば正解なのか分からない。

 どうしよう。タオルの下で唇を噛みしめた。


 女子の数人が、忍び笑いをもらしているのが目の端に映った。

 廊下の先を渡ってくる大声が、扉のむこうから聴こえてくる。男子が戻って来たんだ。じきに皆来る。先生も来る。わたしは震えるまま、一歩を踏み出した。


 黒板の前に立つ。

 黒板消しを手にとった。

「えーー」と、間延びした声があがった。

 どういう「えーー」なのか、分からない。分からなくて良い。

 息を吐く。おおきく吐く。

 心臓がどくどく可笑しいくらい早鐘を打つ。バレーボールの試合の最中よりはやい。

 女子特有の器用で残忍なくすくす笑いが、さざ波みたいに教室中に広がっていく。わたしはーー


 ※ ※ ※


「わたしはその瞬間。すっごく腹をたてたの」


 水島くんに遅れて、お肉を奇麗にたいらげた。お腹いっぱいだ。ビールからモスコミュールにオーダーを変える。

 ほそくて華奢なグラスを手に、わたしは水島くんを軽くにらみつけた。


「俺を睨むなよ」

 まだ余裕なのだろう。追加オーダーをするつもりで、ひろげていたメニューから顔をあげて水島くんが言う。


「思いださせたのは水島くんじゃない」

「いや。だってあれは絶対俺らの歴史から外せない大事件だったじゃないか」

 水島くんは真面目な顔をしている。けど目元は微かに笑っている。


 たしかにそうだ。

 わたし達が結託けったくした始まりが夏休みの練習ならば、そのきずながさらに深まったのは、あの黒板の前だった。


「悔しくて。悲しくて。みじめで。でも最終的に、わたしは腹をたてたの。こんなの全然正統じゃない! おかしい!! って。だから消してなんかやるもんか。そう思ったの」


 ※ ※ ※


 顔面でボールを受けたのは本当だ。

 ここには真実しか書かれていない。

 一五のわたしは黒板の字を読んだ。

 できれば無くしてしまいたくて。自分もここからいなくなってしまいたくて。

 でも何度も、なんども読んだ。読む度に胸から血がしたたりおちるような感じがした。

 これは真実のひとつだ。間違いない。

 けれど真実のうらにあるのは、優しさやいたわりなどとは遠く離れたものだ。

 どんくさいわたしに、腹がたったのかもしれない。

 負け試合に文句を言いたい代償行為なのかもしれない。だけどこれは暴力だ。

 教室という公共の場で、いきなり殴られたようなものだ。

 しかも殴った人間は名前をあかさない。うしろからいきなりガツンと殴って、あとは知らぬふりをして、笑い者にしたいだけなんだ。

 ならば書いた人に。このメッセージに。わたしは腹をたてる権利を持っているはずだ。

 そうだ。わたしは腹がたって。腹がたって仕方なかった。


 泣きたくても、わたしは泣かない。泣かされない。

 それは夏のわたしを裏切る行為だ。

 あの日の自分が大好きだから。くじけそうになる気持ちを押し込めて、立ち向かう。そうしなくちゃだめだ。ここで退しりぞいたら、わたしはまた元のわたしに戻ってしまう。


 わたしは黒板消しを握りしめて立った。

 教室のドアが開いた。がやがやと賑やかな声があふれーー。やがて静まりかえった。

 戻って来た男子の集団は、教室内の異様な空気に、そろって口を閉じた。彼らはわたしと、女子グループをじっと伺うようにしていた。


「なんだよ、これ!」

 おおきな声をいの一番にあげたのは、水島くんだった。

 わたしはその声に押されるようにして、黒板消しを元に戻した。そして赤のチョークを手にした。


     

 赤いチョークで、こどもの頃から大好きだったムーミンを黒板に描く。

 ムーミンだったら見なくても描ける。小学生の時。誰とも話せなかった休み時間に、わたしはノートの端っこにムーミンを描いていた。やさしくて、ちょっぴり気が弱くてお人好しのムーミン。

 チョークで描いたムーミンは、どこかいびつな線で、困った顔をしている。ムーミンに吹き出しを描く。なかに「なんでこんな事書くの?」一番聞きたいわたしの疑問を書く。

 

 ムーミンのガールフレンド。ノンノンを描く。可愛くて、おしゃれが好きで、やさしいノンノン。ノンノンにも吹き出しを描く。


「痛くてはずかしい。ファインプレーなんて言われて、すごくはずかしい。どうして良いのかわからないよ」


 チビのミーを描く。自由できままなミー。


「いたかった!! もうヤダ。すっごくヤダ。ヤダ。ヤダ。ヤダ」


 ミーなら好き勝手言える。がまんなんてしない。

 ミーはわたしにとって勇者だ。わたしはミーの台詞を胸のなかで呟く。


(たたかうってことをおぼえないうちは、あんたには自分の顔はもてません)


 だから書く。書いてやる。

 だまってなんかいない。泣いてなんかやらない。いじけてなんかやらない。


 にょろにょろを描く。いっぱい描く。にょろにょろは何にもしゃべらない。変わりに、黒板をにょろにょろでいっぱいにする。文字が見えなくなるくらい、黒板はにょろにょろだらけだ。

 本当は大声で叫びたい。

「余計なお世話!」って叫びたい。

 けどいくら腹をたてても、皆の足を引っぱったのはわたしだ。

 だからそこまでは言えない。言えないけれど悲しいから書く。許せないから書く。

 数学で赤点をとったからと言って、名指しでこんな事される生徒はいない。

 宿題忘れたからって、こんな仕打ちされない。これは暴力だ。わたしのこころを殴って蹴散らかしている行為だ。だから、黙ってなんかやらない。


「ちょっと、なにアレ……」

 耳打ちしている女子の声がする。

 誰かなんてかまうもんか。先生が来るとか。首謀者がどう思うとか。そんなの頭からすっぽり抜けていた。

 震えていたはずの足はもうすっかり元に戻っていた。変わりに手が止まらない。

 学級委員長の山下くんが困った顔をしている。副委員長の若林さんが呆然としている。

 明日からあぶない子だって遠巻きにされるかも。無視されるかも。

 でも今だって似た感じだ。

 一五匹目のにょろにょろを描いていたら、左隣に木瀬くんが立った。


「俺もまざる」

 そう言って、青色のちびたチョークを手にとる。

 何か描き始める。それがヒトだとわかるけど、かなり変てこだ。


「……なにコレ?」

 小声で尋ねると、不満そうに「はあ?」と言う。


「スナフキンだろう」

 さも当然という顔つきだ。

 残念だけど全然スナフキンに見えない。ながい帽子らしきものが分かるけど、どこからどう見ても違う。


「下手! 木瀬、へたすぎだろう」

 ゲラゲラ笑って、水島くんが右隣に並んだ。

 黄色のチョークでスナフキンを描く。それがビックリするくらい上手かった。


「すげえ」

「すごい」

 木瀬くんとわたしの感嘆の声に、「まあな」ふんぞり返って水島くんが威張る。


「これくらい当然だろう」

「水島、なんでこんな描けるんだよ」

 不満そうに木瀬くんが問う。

 まったくだ。水島くんがこんなに上手いとは驚きだ。


「理系は精密画が必要になる場合があるんだぞ。俺は医者目指してるからな。精密画は必須なんだ」

「へええ」

 嘘か本当か分からないけど、思わず感心してしまう。


「水島、やっぱ医者かよ!」

 背後で野球部の石川くんが声をあげた。

 水島くんがクラス中にむかって、高らかに宣言をする。


「当たり前だろ! 四代目の水島医院の跡継ぎだぞ。お前等将来、腹痛おこしたら、俺に診察されるんだからな!」


 男子が一斉に「ひょええ」とか「すげえヤダ」と叫びだす。

 調子にのった水島くんが空いているスペースに、ガンダムとガンキャノンを描きだす。


「あれ、細密画と関係ねえよな」

 描くのを諦めた木瀬くんは、わたしの描いたにょろにょろにカラフルな色をつけ始めた。


「あれ、単なる漫画好きなだけだろ」

「そうだね」

 わたしも同意見だ。

 気がついたら、他にも描きだす男子が現れた。

 木瀬くんはイラストの合間に三角旗をいっぱい描いた。そして三角旗の真上に、「3のE あまされものクラブ参上!!」と書いた。


 あまされもの。


 木瀬くんは微妙だけど、わたしにはピッタリだ。

 ずっと、ずっとあまされていた。誰からも。どこからも必要とされなかった。わたしの大きらいな、わたしを象徴する言葉だ。

 けど木瀬くんが書くと怖くない。この言葉はわたしを殴ってこない。かわりにこころが、じんわりとあったかくなる。

 あっちこっちが欠けていて。だけど重なる事によって、すごく明るくなれる星みたいなもの。それがわたしにとってのあまされものクラブだった。わたし達三人だった。


「おい、泣くなよ」

 うつむいたわたしに木瀬くんがささやいた。


「泣かない」

 きっぱりと顔をあげた。もうあの醜いメッセージは怖くない。


「おまえらナニ騒いでる!」

 教室のドアががらりと開いた。

 入って来たのは担任の前原先生だった。


 大声をあげて、クラス中が自分たちの椅子に座った。

 わたしと水島くん。木瀬くんの三人だけが「あまされものクラブ参上」の文字を背に、黒板の前に立っていた。




ムーミンの原作での「スノークのお嬢さん」というななしキャラが、ノンノンです。

70年代から80年代までアニメ版のムーミンでは「ノンノン」という名前で登場しています。

90年代からは「フローレン」という名前に変更されています。

文中引用「ムーミン谷の仲間たち」から 著/トーベ・ヤンソン


×××参上というのは、ヤンキー文化真っ盛りの80年代には、あちこちの落書きで見かける言葉でした。

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