1/ガール・ミーツ・ボーイズ
「あまされる」北海道の方言で「仲間はずれにされる」
青山一丁目のコーヒーショップで、水島くんと待ち合わせをした。
「や。待った? まった?」
約束の時間に十分遅れで、でもゆったりと歩いてくる水島くんは、相変わらずぽっちゃりしている。
前に会ったのは二年前。
今日と同じ場所。彼の学会のついでというのも同じだ。その時から全然変わっていない。水泳をしたり、様々なダイエット食品を試してもダメらしい。
「おくさんに怒られる」
ぼやく水島くんは、でも幸せそうだ。逆にスマートになった水島くんなど、水島くんではない。
わたしと水島くんは中学の同級生だ。
十五歳のあの不安定な一年間を、彼とは同じクラスで過ごしていた。デブしまと陰で呼ばれていたおとこの子が水島くんだった。
一学年八クラス。三百二十人中、学年三位から落ちた事がなくて。眼鏡で汗っかきだった水島くん。運動神経が悪くて理屈っぽいから、男子からは邪魔者扱いされていて、女子人気も最低だった。
そんな水島くんは、わたしの数少ない友人の一人だった。
「待った。おごりだね」
わたしの軽口に、「むろん」胸を張る水島くんは、今や地元で長い歴史を持つ病院の院長をしている。水島くんが内科医。奥さんが小児科医。がっぽり稼いでいるわりに、使う時間がナイという彼にとって、学生時代の友人の食事代くらい平気の平左なのだ。
「なに奢ってもらおうかなあ」
わたしの呟きに、「肉喰おうぜ」水島くんが即答する。
「じゃあ鉄板焼きにでも行こうか」
仕事で何度か使ったことのある店名を告げる。穴場の店で、ここから歩いて行ける。
「山形牛が美味しいよ」
「それ。いいな」
すかさず水島くんが、スマホで予約確認をし始める。
彼は行動が早い。一五歳の時から、水島くんは計画性があって、多少のうぬぼれはあっても、基本自分というものを過大評価しない少年だった。
わたしは現実を冷静に分析する彼に助けられてきた。一五の年を挫けずに過ごせたのは、彼らがいてくれたおかげだ。
でもーー
「とれた。八時からカウンター二名さま。さ、行くぞ」
肉だ。にくにく。明るい声ではしゃぐ大きな背中について行きながら、店内のおおきなガラス窓越しに広がる夜の風景に目を凝らした。
出会ってから三十年。
すっかり現実社会に適応しているわたしと水島くんの姿が、ぼんやりと映し出されている。本当ならここに、もう一人が居るはずだった。
わたし達は三人で一組みだった。三人で、お互いを助け合いながら過ごしていた。
学校という巣から「あまされていた」もう一人の仲間。
二月の、肌を突き刺すような風が、水島くんのコートの裾を巻き上げる。
故郷の冬の寒さはこんなものじゃない。なのにすっかり東京の冬が寒く感じる。カシミアのマフラーにわたしは顔をうずめた。
「この間のクラス会にさ」
わたしの頭のなかを見透したかの様に、隣を歩く水島くんが話しだす。
コートから見え隠れするスーツは吊るしではない。オーダーだと一目でわかる上物だ。
記憶の彼はくろい学ラン姿で、背中を丸めて歩いていた。その手には教科書と参考書でぱんぱんに膨らんだ、ダサいと言われる幅のふとい学生鞄が握られていた。
全員が同じ制服。同じ上履き。決められた範囲内での髪型をして、座りのわるい椅子に腰かけていた教室。それらの時間から、遠くとおく離れた場所に、わたし達はたどり着いている。
「うん?」
「あ、一月にあったやつ」
「うん」
卒業三十年と大きく書かれたクラス会のハガキを、わたしも受け取った。場所は地元の国際ホテル。会費六千円。幹事長は当時相当やんちゃをしていた男子の名前だった。
「え。水島くん行ったの?」
わたしの質問に水島くんは、「まさか」肩をすくめた。
「入院病棟からいつ呼び出しくるかも分からないだろう。アルコールのでるクラス会なんていけないよ。しかも正月! ナースもドクターも一番人がいない時!!」
「だよね」
相づちをうちながら、違うな。と、わたしは思った。
きっと院長の水島くんは、そんな時期に病棟につめない。つめる必要なんてない。だけど積極的に行くとも思えない。
わたしは東京と北海道という距離をいいことに、一度も顔をだした事がない。食卓におかれたハガキを目にした夫に、「行くの?」と尋ねられたけど、「ううん。仕事のスケジュールびっしり」わたしは頭を振った。正月休みはある。ただ単に行きたくないだけだ。
「で、……さ」
口ごもりながら、水島くんが会話を続ける。
その唇が少しばかり尖っている。不満や疑問がある時の水島くんの癖だ。学級会やグループ活動のたびに、水島くんはそうした表情をよくしていた。
変わっていない。大きくなっても。肩書きをもっても。少しばかり人生が生きやすくなっても。根っこの部分は、そうそう変わるものじゃない。
「クラス会に、木瀬が来たらしいんだ」
「うそ……」
わたしは雑踏のなかにも関わらず、思わず立ち止まってしまった。水島くんもつられて足を止める。
すれ違う人と。追い抜いて行く人の波が、迷惑そうな視線をわたし達に送りながら過ぎ去って行く。
「え、うそだよ。ソレ」
なにも考えずに、わたしは言った。
だって木瀬くんは、そういうタイプのひとじゃない。だって木瀬くんは……
「俺もそう思った。けど芳名帳に記載されていたって、幹事のひとりから聞いた。隣のクラスだった内田。覚えている?」
「ううん」
「内田の父親が通院していて、たまたま顔合わせた時に聞いたんだ。あの年の俺らの学年に、木瀬は一人だけだ」
「うん。だけど……」
木瀬くん。木瀬 直樹くん。
クラスであまされていた、わたしと水島くんのもう一人の仲間。ながく伸ばした彼の茶色の髪の毛が、記憶の隅をよぎっていく。
「水島くん、かつがれているんじゃない?」
「もうそんな年じゃないさ」
水島くんは眼鏡の奥から、とおい所を見つめるような、茫洋とした目つきで呟いた。大人になったら絶対コンタクトにしてやるんだ。そう言っていたのに、水島くんはわたしが知る限り、ずっと眼鏡派だ。
「木瀬の名前をだして今さら俺をからかっても、何にもならない。そうだろ? 第一内田本人が、キツネに摘まれたような顔をしていた。名前はある。会費も払っている。けれど会場で、木瀬らしい人を見た奴はいないってさ」
木瀬はとことん目立つ奴だろ? そう言う水島くんの声を、わたしはぼんやりと聞いていた。わたしの反応など気にもせず、あるいはある程度予想していたのだろう。
言うだけ言うと、「さ、行くぞ。話しは飯喰ってからだ」水島くんはさっさと歩き出した。
問題がおきても切り返しが早いのも彼の特徴だ。わたしとは真逆。わたしはいつだって、ウジウジと自分の失敗やマイナス面をほじくりかえす少女であった。
あの日も確か。水島くんが言いだしたんだ。
「成沢さん、決まっちゃったんだからーー」
※ ※ ※
「ーー決まっちゃったんだから、腹くくってやろうよ」
そう言う水島くんは、暑さで頬も手もまっかにしていた。
1985年。
来週から夏休みが始まろうとしていた中三の一学期。
わたし達は体育祭の種目が一緒になった。
水島くんはずば抜けて運動神経が悪かったし、わたしもどんくさかった。
花形の選抜リレーは勿論。短距離も長距離も。目立つ騎馬戦にだってでたくない。できれば全員がでる、クラス対抗リレーだけで終わりにしたかった。なのにわたしと水島くんの名前があがった。
三人四脚走だった。
わたしは青くなって俯いた。その推薦が善意や、勝てるという根拠で押された事ではないと、わたしを含めたクラス全員が分かっていたはずだ。
その証拠に他の三人四脚のメンバーは全員男子ばかり、女子ばかりの仲良し三人組みだ。わたしと水島くんだけが男女で、しかも一人かけたまま、黒板にはふたりだけの名前が記された。
「だれかこのチームにはいりたいひと」
ヤル気のない体育委員の声だけが、教室に響いた。
誰も手をあげない。くすくすと、忍び笑いだけがおこる。
「誰かいませんかあ」
わたしはナニをやってもとろかった。特別にいじめられていた記憶はないけれど、斑わけがあると、いつも最後まで行き場がなくて、おろおろする子だった。
「いなかったら、最初から決め直しをしろよ」
水島くんが立ち上がって、抗議の声を張り上げた。
こんな時、水島くんは黙っているタイプではなかった。そしてわたしと彼とはこの頃、友達でも何でもなかった。わたしは居たたまれない気持ちで、異を唱える彼をチラと見上げた。
「水島と成沢の足の遅さに合わせられる奴。手をあげてくださーーい。あ、ちなみに俺はムリ」
誰だったろう。おどけた調子の男子の声に、身体を強張らせた。
わたしはその場から消えてしまいたかった。
「カメだもんね」
「どんカメ」
「しっ」
女子のささやく声が、耳に届く。
情けなくて、俯いた頭をあげられない。もう少ししたら泪がにじむかもしれない。それだけはイヤだ。そう思った時だ。
「俺。やってもいいよ」
教室の後ろから声があがった。覇気のない。だるそうな声だった。
「木瀬。立候補する?」
体育委員の確認に、「する。変わりに長距離はずして。そうしたらする」
それが木瀬くんとの、付き合いの始まりだった。
※ ※ ※
「真ん中が一番身長のある木瀬。俺と成沢さんが端。それがベストだ」
反対していたのに、決まってしまったら水島くんの行動は速かった。
わたしは放課後の下駄箱前で水島くんにつかまった。
打ち合わせをしよう。水島くんはそう言いだした。驚いた。てっきり水島くんは、したくないものだとばかり思っていた。
「決まったら、成果をだす。恥かいてあいつら喜ばすなんて、俺はイヤだしな。その為には最低限の練習だ。大抵の事は基礎の反復でなんとかなるはずだ」
男子ふたりと練習をするという事態に、わたしは腰が引けた。
けれど水島くんは容赦なく話しをすすめていく。
「成果って?」
まさか一位を狙うとか言われたらどうしよう。
ドキドキしながら聞くと、「五位入賞。と、言いたいところだけど、八チーム中で六位が妥当な線かな」と、随分中途半端な順位を告げた。
「まあ、それなら。なんとかなるんじゃない」
だるそうに木瀬くんが言う。木瀬くんは下駄箱によりかかる様にして立っていた。
木瀬くんは足が速い。長距離走にエントリーされていた。それを蹴って、こんな変てこなメンバーにはいってきた。普通なら考えられないけど、らしいと言えばらしい。
彼はなんというか、目立つ変わり者だった。
背が高くて、勉強はまあまあ。運動はできる。けれどやる事なす事変わっていた。
「てんねんの茶いろです」
学年があがるたびに、学年主任に呼びだされ、木瀬くんは茶色の頭髪を注意されていた。
そして親のサインがはいった申請書を提出する。
それだけならまだしも、木瀬くんは見せつけるように、ときおり髪を伸ばした。ひどい時など肩より長くして、女子のようにひとつ結びにして登校した。
ツッパっているグループから、髪の色に因縁をつけられたという噂も耳にした。
あの頃はヤンキー文化真っ盛りで、改造した学ランやセーラー服姿のグループが、我が物顔で廊下を闊歩していた。小心者のわたしは彼らとすれ違うだけで、びびっていた。
「練習するなら夏休み中だな」
驚いた事に、木瀬くんは水島くんの提案にのってきた。
「ああ。場所はどうする?」
「俺ん家のちかく。乃木神社がある。ラジオ体操はしてないし。人も少ない。どうさ?」
「あ、いいな。それ。俺は塾の夏期講習あるから、時間は朝って事になるけど」
「いいさ。けど俺寝ているかも」
「木瀬ん家の近くだろ? 来なかったら速攻起こしに行く」
ふたりの間で着々と計画はできあがっていく。わたしは一言も口をはさめないまま、この成り行きについていけなかった。
わたし達の横を、同学年の子たちが通り過ぎて行く。変わった組み合わせに、何人かがまじまじとこちらを見て行く。わたしは落ちつかない気持ちでいっぱいだった。
「だから、成沢さん」
大体の事をふたりで話し終えると、水島くんがわたしに向き直った。
この時わたしは気がついた。水島くんの顔も手も真っ赤なのは、暑いだけじゃない。水島くんはこの展開に高揚しているのだ。目の奥がきらきらしている。
全然ハンサムでも何でもない、どちらかと言えばみっともない容姿のおとこの子なのに、この時の水島くんの目だけは、少女漫画みたいに輝いていた。
水島くんは、クラスメイトとほとんど絡まない。
男子は水島くんの頭の良さは評価しているけど、それだけだ。
わたしと同じ。水島くんにつるむ友達はいない。
「決まっちゃたんだから、腹くくってやろうよ」
眼鏡の奥の目が、有無を言わせぬ力でわたしに承諾を迫ってくる。
反面木瀬くんは、いつも通りのダルそうな顔をしているけど反対はしない。それどころか、とんとん拍子で水島くんと計画を進めていく。わたしがいやという隙間は、どこにも残っていなかった。
「……うん」
わたしのちいさな返答に、「よし」水島くんがおおきく拳を宙にあげた。大変なことになっちゃった。わたしは疲れた頭でそう考えていた。