第9話 E209iの目覚め
旧市街、寂れたビルの一室である。
E209iを入手して数日が経っていた。カプセル内の意識を覚醒させるには微妙な調整を要し、ビーの焦りとは裏腹に時間が過ぎていったが、今日、ようやく準備が整ったのだ。
カプセルを人形に接続する。ダウンロードが開始され、人形が激しく震えた。その目がゆっくりと開き、鉄の腕を眼前へ移動させると、静かに周囲を見回してビーに視線を向けた。
「私は、ここは……」
「旧市街、現実よ」
狂った人格を予期していただけに、ビーは身体の緊張をといて安堵の息をもらした。
「わたしはビー。あんたはマサラでいいの?」
「そうだな。だが、オリジナルじゃない」
カプセルを取り外し、しげしげと見つめる。
「E209iね。これが私の名前か」
「呼びにくいし、マサラでいいじゃない」
「しかし、私は……。まあいい、深く考えると死にたくなりそうだ。ところで、ビー、君はZ指定者だろう? いつ指定されたんだい?」
「5年ほど前。Z1事件が起きる2年前にはZの端くれに加えられた」
「どっちも知らないな。今は、何番?」
「Z2」
「へー、そいつは恐れ入ったね。担当官は?」
「まだ若いけど、優秀というか、私にとっては面倒なヤツよ。名前はサカキ」
「サカキだって? ふむ、詳しく教えてくれないか」
いいわよ、と応じるビーと耳を傾けるマサラだ。その頃、当のサカキは、E209i強奪事案の処理に当たっていた。
ビーことZ2の侵入経路、使用した人形、アクセス履歴など、何度確認しても有益な情報はない。ほとんど機械的に捜査を進め、出所のない気力を絞り出す。
旧市街の屋上で聞いたビーの言葉、捕まえてどうするのだという疑問、自分の役目に対する疑問が湧き上がる度に、いつもの言葉を繰り返す。余計なことは詮索しない。与えられたルールを受け入れる。そう誓ったはずだ。いくら言い聞かせても納得しない自分自身を持てあまして、サカキは管理省の外へ出た。
擬似的な空は今日も美しい青空を映している。20分後に、10分間の雨が降る。天気予報ではなく、そう決まっているのだ。
雨が降ることがプログラムであれば、俺がZ2を捕らえることもプログラムなのだろうか。これまで多くのZ指定者を捕らえてきた。彼らのその後は知らない。死ぬのか、洗脳されるのか、実験に使われるのか。いずれにせよ戻ってこない。ビーもそうなる。いずれは……。俺がやらなくても、いずれは……。
と、そこまで考えたとき、頭上に小さな人形が浮かんでいることに気付いた。
マニアの道楽に供されている小型の人形だった。誰だか知らないが、のんきなものだな。人の頭の上でブラブラしやがって。自分の中の不満をぶつけるように人形をにらみつけると、それが言葉を発した。
「自分の気持ちを隠して生きていくのは大変だな」
「なに……!」
「私のせいだとしたら、本当に済まないことをした。だが、お前を助けられて満足している。きっと、あそこで消される運命だったのだ。遅くなったが、伝えるべきことを伝えられて嬉しい」
「マサラなのか?」
「さて、どこに監視の目があることやら。管理省の役人と長く話すのは難しい。もう行くが、確かに伝えたぞ。きっとオリジナルも同じ気持ちのはずだ。暗黒の世界に耐えた甲斐があったよ」
人形は高度を上げ、鳥のように飛び去っていった。それが幻じゃないことを確かめるかのように、サカキは人形の後を目で追い続けていた。