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第5話 逃走


 午後0時40分。


 それは突然、しかし、予定通りにサカキの頭上に落ちてきた。市民ホールの天窓を破り、ガラス片とともに激しい音を立てて床に叩きつけられた女性型の人形ドールは、一瞬の停止の後、勢い良く立ち上がった。


 人形であることを示すマークもなく、見た目は人間の女性と変わりがない。落下時に響いた金属音と破れた人工皮膚の下からのぞく鉛色の地肌以外には、人間と区別がつかなかった。服装は古ぼけたTシャツとジーンズで、闇市で買われたものに違いなかった。


 立ち上がった人形は少し首をかしげた。不意にコントロールを失った身体に疑問を感じているようだった。長い髪が顔を隠し、表情を読ませない。


 サカキは、焦らずに人形の動きを観察していた。この人形には、ビーが宿っているはずだった。システムを応用し、局地的な電磁異常を引き起こして叩き落した。ダメージはあっても、まだ動けるようだ。


 落下地点に人はいなかったが、激しい落下音を聞いて、周辺の住民が近づいてきていた。人形を遠巻きにして息を潜めている。自分たちに害を与える者かどうか見定めようとしているのだ。サカキは怯えたような表情を浮かべて住民に紛れこんだ。


 天窓から空を見上げたビーが再び跳ぼうとしたが、力が入らないようだった。自分を取り囲む人々の輪を強引に抜けると、市民ホールの外へ出て行った。


 サカキも別の出入り口から外へ出て、視線の端で壊れた人形の姿を追った。ビーは後ろを振り返ることもなく、バラック街を通り抜けていく。


 やがて、ビーは人気のない廃ビルのひとつに入っていった。追われていると知っているのか。サカキは、続けて廃ビルに入ることを躊躇した。罠にかけられたのは俺の方かもしれない。だが、いいだろう。これだけ追い詰める機会はそうはない。


 SA21に意識下で呼びかける。


『サニー。罠だと思うか』


『確率は50%』


『要するに、わからんってことだな』


『はい、マスター』


 サニーの回答に苦笑しながら、サカキは廃ビルに入ることを決めた。うまく行けば、今日でZ2の監視業務からオサラバだ。


 用心しながらエントランスをくぐる。不安から来る緊張感の底に、くぐもった楽しさがある。


 ビーは、サカキを誘うように、ゆっくりと廃ビルの中を歩いていく。その足取りは優雅で、リズミカルに踊るように。不意に振り返って笑みを浮かべた。顔を覆う髪の隙間から口の端だけが見えていた。


 いつの間に来ていたのか、すっとエレベーターに乗り込むと右手で上を示した。指先の皮膚が破れ、黒光りする金属がむき出しになっている。


 サカキは電気が通っていることに少なからず驚いたが、それ以上に、ビーの態度に困惑していた。明らかに俺がいることを知っている。人形は逃げられるような状態ではないのに、あの余裕は何だ。エレベーターの表示が上へ上へと向かっていく。


「屋上か」


 つぶやきながら、いやな記憶と、いやな予感が浮き上がってきていた。

 

 非常階段を上がって、屋上へ出る扉に手をかけた。扉の向こうには、空を背景に斜に構えた若い女が立っていた。強い風が吹き抜け、その顔を覆う髪が払いのけられた。ところどころむき出しになった金属がのぞく。整った顔立ちの奥で、激しさを秘めた瞳が、まばたきもせずにこちらを見ている。予想外に静かで切ない情景に心を奪われ、息を止めて見つめ返した。

 声をかけようと思った瞬間、何かに喉元を激しく締め付けられ、サカキはよろめいて壁にもたれかかった。喉元を締め付けているのは人形の右腕だった。ビーが体を正面に向ける。当然、その右腕は肩口から取り外されている。


「おまえ、管理官のサカキだな。あたしの担当だろ? これ以上追うなら、殺す」


 存外に優しい声で、冷たく言い放った。


 サカキは、サニーに意識下で呼びかけ、首を締め付ける右腕を弾き飛ばした。


「初めましてだな」


 のどを擦りながら言う。


「そんな状態で逃げられると思っているのか。ここまで近づいたのは初めてだが、哀れなもんだな。人形から帰るところがないというのは、どんな気分だ?」


 言いながら間合いを詰める。


 Z2が左手をわずかに動かした。


 しかし、破裂音が響き、その左手はあらぬ方向へと折れ曲がっていた。サカキの手元で、昔から変わらず、機能的で冷たい金属製の殺傷道具が震える。


「無駄なことはやめろ。こっちは頭部さえ無事なら、どうなろうと関係ないんだからな」


「レディーに対して、ひどい仕打ちね。管理官は紳士じゃないわ」


「金属の塊にキスする趣味はない」


 サカキの返事を聞いてか聞かずか、Z2は背を向けて空を見上げた。


「電子網の魔女も、これで終わりだな」


 さらに左足を吹き飛ばす。


「さあ、その醜い鉄の身体ごと、テイクアウトさせてもらうぞ」


 右足一本で立っていたビーが振り返り、悲痛な叫びを上げた。


「そうさ、これがあたしの体だ。醜い鉄の体。血を流すことも涙を流すこともない。管理官なら、おまえもこうしてもらえばいいんだ」


 ビーの視線に、思わずサカキの足が止まった。その隙に、すっと身を落とすと、ビーが宙を舞い、屋上の柵を越えて落下していった。


 金属的な音が響く。


 サカキは、屋上の端から、落下してバラバラになったビーの姿を確認した。その姿を呆然と見つめながら首を振る。


「人形が涙を流すわけがない」


 廃ビルの外へ出ると、バラバラになったビーの身体から頭部を取り上げて損傷を確認した。これが、ビーの最期か。多くの管理官を手玉に取り続けたZ因子とも思えない。


 と、ビーの片目が開き、いたずらっぽく笑った。


「ざんねん。はずれでした。他の誰に捕まっても、あんたには捕まらないわ。あと30秒」


「くそ、遠隔操作の囮人形デコイか」


「きゃー爆発する! あと20秒」


「ふざけやがって」


『早く退避してください。危険です』


 サニーの声が響く。


『退避だと。必要ない』


『なぜですか』


「なぜ……?」


「もうダメだー。あと10秒」


 なぜ俺は逃げない? 殺されないと信じている?


「わーい。爆発します」


 小さな爆発音が響き、人形の頭部から煙が上がった。データが消去されたのは間違いない。


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