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爪先立ちのマリア  作者: 皐月
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第五話

またまた長くなりました。

読んで頂ければ幸いです。

「葵。あーおーいーくん!」


はっと気付くと、目の前でアルがぱたぱたと手を振っていた。


「白昼夢か?ぼうっとしてたで」

「ああ・・・・回想シーンでした」

「え?なんて?」

「何でもない。お前の妄想癖がうつったんだったらどうしよう」

「どうしよう、とか言うお前にどうしよう、や。って言うか腹減ったんやけど。早々にメシにしてくれや」

「お前、じゃがいもと明太子で何作れってんだよ」

「じゃがいもめんたい」

炭水化物が大好きな大阪人で、プリン体も大好きな酒飲みときている。もし男だったら確実に痛風になっているだろうと葵は思う。

だが、アルは男ではない。男のような言動をし、男のような服を着ても。その中身はそっくり女だ。

「アル。妊娠なんてしてないんだろう?」

「どうして?」

「なんで答えない」

「なんでだと思う?」

もういい、と葵はコンロに向き直る。皮ごとのじゃがいもを鍋に放り込んだ。どうして、だと?そんなものは葵自身が一番知りたい。

直感を重んじるほうではない癖に、ただアルと妊娠が結びつかないというだけで、思えば初めから噂は嘘だと葵は決め付けていた。

妊娠するということは、つまりアルが誰かと―――。


「おわっ!」

「なに!?」

「い、いや、何でもない。鍋に触れそうになっただけだ」

「なんや、殺されかけたような声出しやがってからに。気い付けや、俺の夕飯がかかってんねんから」

本当は煮えたぎったお湯に何の気はなしに手を突っ込んでしまいそうになった驚きの悲鳴だったが、黙っておく。まるで動揺しているようじゃないか。

その―――アルのそういう、いわゆる、なんというか。


「うわっ」

「今度はなんや!」

「いや、ネクタイがコンロに・・・」

「俺が食いたいんはめんたいポテトやで。丸焼きあおあおとかはいらんねんで」

皮肉たっぷりの口調に毒づきながら、葵は振り向かないままネクタイを外して、放り投げた。先、一瞬思い浮かんだ白いアルの残像も、一緒に投げ出してしまえればいいのにと本気で思う。

けれど、脳裏で彼女はさらにくっきりと浮かんでくる。ベッドの上だ。誰かの―――男の肩越しに笑っている。規則的な動きをしている下半身から、毛布が落ちた。アルの脚が男の腰に絡みついている。


「ぅあつっ!」

手の甲が鍋にぶつかり、がたんがたんと大騒ぎになった。何とか湯を零さずに済んだ。慌てて水道の下にうっすら赤くなった手を突っ込む。じゃばじゃばと流れる水の冷たさを我慢しながら、こんな時こそ盛大に莫迦にして盛り上がるアルが何も言わないことに気付いた。気付いてしまった。

そのことに恐怖を覚えて、ばっと振り向く。アルは俯いて肩を震わせていた。少し伸びた髪が、両側に垂れて顔を隠している。


「アル?」


呼んでみた。

アルは―――そのまま床に突っ伏してげらげらと笑い出した。


「あははははははははは、あ、あ―っ、あ、きみ、なに、う、うはははははははは!」

「てめ・・・何笑ってんだよ!」

「だって、君、だって・・くっ・・あは!」

一瞬顔を上げたアルは、またそのまま床を転げて笑った。葵はむっとして、乱暴に蛇口を締めて手を拭き、そのタオルをアルに投げつけた。それでようやく笑いの収まったらしいアルは、頭上に立った葵を仰向けで見上げ、それでもまだ喉の辺りを引き攣らせている。

「何がおかしい」

「だって、君、動揺しすぎ!」

「なっ・・・誰が・・・」

「うっそうっそー、冷静さだけが取り得の葵クン、今君はごっつ情けないで」

葵はその場に胡坐で座り込み、逆さまにアルの顔を覗き込んだ。

偶に褒めてくれる料理の腕は取り柄ではないのだろうかと思いつつ、目の前にある全開の額をコンコンとノックする。

「はいは―い、どちら様?」

「ちゃんと話の出来るアルを呼んでください」

「ちょっとお待ちくださいませ」

笑いを残した顔のまま、アルは目を閉じた。

「お待たせ。何?」

「目を開けなさい」

「嫌や。また笑うてまう」

「何がそんなにおかしいんだよ」

「だって君あれや、娘に彼氏から電話がかかってきてそわそわしてるお父さんみたいやで」

「電話ってレベルじゃないし、俺は父親じゃない」

「そうやな。お前はおとんやないし、電話で子供は出来ひんわな」

ふと見ると、アルがゆっくりと自分のお腹を撫でている。その仕草に何だか目が奪われた。惹きつけられる。見惚れる。

黙ったまましばらくそうしていた。不意にアルの顔に目を戻す。

アルはいつの間にか目を開けて葵を見上げていた。

絡んだ視線を離さないまま、アルはゆっくりと乾いたように笑う。

「妊娠なんか、しとる訳ないやろ」

「・・・・・最初っからそう言えよ」

「セックスの話題に動揺しとる君が面白うてな」

「お、前とそんな話をするのに慣れないからだ」

アルは目を細める。冷笑ともとれる表情だ。


「自分は女と寝た後の匂い、ぷんぷんさせて来る癖に」


思わず葵は顔を引く。アルは口の端をくっと持ち上げて笑った。

「気付かんと思っとったんか。甘い、甘いなぁ葵クン。非常に甘い。ベタベタに甘すぎて乙女の勘を莫迦にされたような気さえする。愉快に甘い葵クンは、年にいっぺんくらい、そういう匂いをつけてうちにやって来るんや」

葵はアルの言葉に、簡単に動揺する。だがそれを悟られないように、口元を引き締めた。

「何が乙女だ。そんな年じゃないだろ」

アルは身体を起こしながら、全くや、と笑い声をあげた。

「乙女やないから、妊娠検査薬も堂々と買うてな、多分そこを熊谷君に見られたもんと思われます」

「ああ、なるほど。・・・ってお前!」

つまり、結果的に妊娠していなかった、というだけではないか!

葵は再び眩暈を覚えた。正面できちんと体育座りをしているアルの並んだ細い脚が、先の妄想と重なる。じわじわと、何かが沸き起こる。怒りか、動揺か。


「だ・・・相手は誰だ?」

「あはん?君は俺の私生活なら大概知っとるやろ。考えたら分かるんちゃうんか」

その通りだ。だからこそこんなに混乱しているのだ。

本当にアルの今の私生活というのは、付き合いの範囲が狭い。画家仲間と時々会うだけで、後は契約を結んでいる会社の連中だ。

それだって、葵の知る範疇である。むしろ親しいと言っても間違いない。アルと一緒に飲みに行く時もあるくらいだ。

アルがどこで何をしているかまでは分からなくとも、度々顔を合わせるそれらの人間に、深い関係を持った両者特有の雰囲気を感じたことなど皆無だ。では、誰だ。自分の知らない男か?

しかし新しく知り合った人間だって大概すぐに葵に――。


「宮古か」

「はん?」

この何ヶ月かで現われた男など、宮古しかいない。しかもあの時、アルは女だった。完璧で完全な、女だった。宮古はそれを信じていた。葵が違和感を覚えるほどの女だったからだ。

画家としてファンだったと言う上に、個人的に親しくなっていたとしたら?宮古は直ぐにアプローチしておかしくないタイプだ。

いやむしろ、流れてくる噂を辿れば、当然とも言える。

「あんの野郎・・・!」

久しぶりに葵は頭に血が上るという感覚を持った。立ち上がって玄関に向かう。と、アルがスラックスの端を慌てて掴んだ。

「こら、こらこら、待て!」

「あぁ?何で!」

「何故と聞くんか。頭を冷やせ。お前の推測は珍しく間違ってる」

葵が、間違っている、などと言われることなど滅多にない。それは学生の頃から、准教授となった現在に至るまでずっと。だから、葵の興奮は半分くらいまで一気に鎮まった。

「間違ってる?」

「ちょっとからかいすぎた。誤解させるような言い方したんは悪かったけど、君も結構突っ走るタイプやね」

ぐいぐいと裾を引かれる。仕方がないのでまた渋々とアルの正面に胡坐をかいた。アルは剥き出しの膝小僧に顎を乗っけて、面白そうに身体を揺すっている。チャシャ猫のような表情だ。

「宮古さんて東京におるんやないの?」

「ああ、まあ・・・」

「そないな人とどうやって子供つくんねん」

そう言われてみれば、宮古の住まいは確かに遠い。海を隔てている訳ではないが、引きこもりのアルからすれば随分な距離だと言える。

しかしあの男なら、気に入った女のためにこまめに京都を訪れるくらいしそうではないか?

「俺の生活は君に筒抜けやろ。ちょっと考えたら、そんなに人と親しくなるような時間の隙間がどこにもないって、分かるやろうが」

「じゃあ検査薬ってのは?」

「だから、俺の周りでそんなん必要な人ひとりしかおらへんやろ」

葵は考え込んだ。本当にひとりしか思いつかない。

「・・・あ、神崎さん?」

「俺が唯々諾々と他人様のパシリになるんやで、姉さん意外におるかいな。ってかあの人のかなりプライベートな話やから、ほんまは言いたなかったんやけど」

色んな意味で衝撃だ。だが確かに他人が不用意に触れていい話題ではなかったので、それ以上は聞かないままにした。

葵にとって、アルがそれを必要とした訳でないことが分かれば、後は瑣末なことだった。

「納得?」

「ああ。だけどお前、俺をからかったな?」

アルは低く笑い、それから、いつになく素直な笑みを見せた。鮮やかな笑顔。葵は一瞬、言葉を失った。

「でも心配してくれて、嬉しかった」

言葉まで素直だ。聞きつけないせいか、俄かに落ち着かない気持ちになった。別に、と素っ気ない言い草に自分でも大人気ないなと思い直す。

「まあ・・・・貴重な友人のことだからな」

照れくささを押し隠し、そう告げる。すると何故か、アルはほんの微かに眉根を寄せた。一瞬切なげな表情を見せた。ような気がした。

目を凝らす前にアルは立ち上がり、腰を捻って伸びをする。

「うーん、さあさあ、俺はひとっ風呂浴びてくるし。その間にメシの用意よろしくな」

にっこりと笑う。さも当たり前にそう言って、アルはバスルームに入っていった。残された葵は、あっという間の我侭ぶりにぶつくさ言いながらも、茹で上がったじゃがいもの皮を取り除く作業を始めたのだった。



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