プロローグ
私はかつて少女だった頃、最愛の兄を亡くした。賢く優しい兄は父母に愛され、いつも父から逃れるように目を伏せ、顔色を伺うようにしていた母にとって唯一の居場所であり支えだった。
自分といえば、女の子たちの輪に入るより男の子と一緒に遊ぶほうが性にあっているような奔放な子供だった。
そのせいか母は父に『お前の育て方が悪いからだ』と怒鳴りつけられ、疎まれていた。そのたびに思い出すのは、自分を見つめる母の暗い目。
『産まなければ良かった』母は、いつもそう呟いて涙を流していた。居場所がないと初めて感じたのはいつだっただろうか。もう覚えていない。居場所がない。それを哀しいとは思わなかった。
むしろ、父の望む娘でないことが申し訳なくて、母の表情に暗い影を落とすような娘であることが。ただひたすらに申し訳なかった。
兄だけが、そんな自分を愛してくれた。
穏やかな笑顔でいつも私に笑いかけてくれた。
柔らかな、温かい陽だまりのような言葉で慈しんでくれた。
家族は兄だけだと思っていた。
だから突然兄を喪った時。母が初めて私の目を見て笑いかけてくれた時。哀しくなった。同時に、胸を塞ぐような愛しさに襲われた。
家族を喪ったのは、自分だけじゃないのだと。そう思った。
だから、家族になろうと思った。母のために、兄のために。
『家族』になろうと。そう思った。
それは何より、無償の愛で愛されたかった自分のためだったのかもしれない。