人間は愛玩動物ではありませんので
猫や犬は好きだ。
人間と違い考えが読めないから。
――決して読心術などを持っていて相手の心が読み取れるわけではなく、聞こえてくる噂話やあからさまな態度が嫌いなのだ。
透けて見える考え、それが何よりも嫌い。
その点、猫や犬、その他の動物は良い。
相手を貶めるような発言もなく、自由気ままで何を考えているのか分からないが、人間としての心を傷付けたりはしないから。
確かに吠えられたり爪を立てられたりくらいはあるが、その時には距離を保てばいいだけ。
人間にはそれがどうしてか上手くいかない。
ボクが悪いのか、相手が悪いのか。
何にせよ、関わりたくなくても関わらなくてはいけない存在というのが難点だ。
しかし、それはやはり他人だからであり、血の繋がった身内は決して嫌いではない。
分かり合えない部分があったとしても、ボクをボクとして受け入れてくれる部分もあるからこそ、そんな風に近付きたくないと思うことがないのだ。
後は幼馴染み。
付き合いの長い幼馴染み達は、何も言うことなくとも理解してくれる。
その上、間違いや個々としての意見が合わなければ、それを一から説明してくれる上に、まともな議論が成り立つ。
お互いの関わり方を理解しているからこその関係なのは、重々承知しているが、一度それを味わえば心地良くなってしまうのだ。
だからボクは愛玩出来る動物が好きだし、家族も幼馴染みも大切に思う。
そうしてその反動で、更に他人が苦手で、恐ろしく理解の出来ない化物に見えるのだ。
――もしかすると、その他人からはボクがそういう風に見えているのかも知れないが。
故に、ボクは目の前の男が理解出来ずに、居心地の悪い思いをするのだ。
「犬派なんだけど、猫も可愛いね」
目の前で野良猫の喉を撫でる男は、同じ学校に通う同じクラスで席が前後の人間だが、名前が思い出せない。
今のクラスになっで一ヶ月は経ったが、生憎人の顔と名前を覚えるのが苦手で、未だにクラス全員の顔と名前が一致しないのだ。
ふわふわとしたミルクティー色の髪は、太陽の光を受けて輝きを増すので、見ていて眩しい。
にこにこと浮かべられた笑みもむず痒く、なるべく視線を合わせないように俯いた。
可愛らしい、と呼ぶに相応しい容姿だが、やはり男だ。
体付きは女の子のように細くはなく、線がしっかりしている。
何だろう、どこかで見たこと、あるような気がした。
基本的に覚えていることは、幼馴染み達の話した内容や、読んだ本の内容ばかりで、他人の情報などほとんど覚えていない。
良くしてくれる先生は覚えているが。
「作ちゃんはいつもここでサボってたの?」
名前を呼ばれれば自然と顔を上げてしまう。
作ちゃん、作、作間さん、ボクをボクとして認識するための呼び名は基本的にこの三つに分かれる。
しかも作ちゃんと作は、幼馴染み達がボクを呼ぶためのものであり、他人が呼ぶことはなかなかない。
裏ではこそこそと作ちゃんなんて呼ばれているのも耳にするが、別に何でもいい。
それでも、目の前で面と向かって他人に呼ばれると、変な感じがして眉が眉間の方へと引き寄せられる。
目の前には、絶えない笑顔がそこにあり、まるで幼馴染みのMIOちゃんのようだと思う。
真っ赤な髪が印象強く残る、いつだって笑顔を絶やさない可愛らしい幼馴染みの女の子。
その笑顔を思い返して、あぁ、とぼんやりした声を漏らす。
思い出した、この人、MIOちゃんの友達。
前髪の隙間からその人の顔を見て、多分そうだ、と一人で頷く。
去年に何度かボク達のクラスに来て、MIOちゃんに教科書を借りようとしていた人、だと思う。
因みにMIOちゃんは教科書を持っている日と持っていない日が分かれるので、大抵借りれずに帰っていったはず。
「俺、作ちゃんのこと、知りたいんだ」
ベージュのカーディガンから覗く指先で、猫はぐるぐると喉を鳴らす。
柔らかな笑顔を向けられて、ボクの眉間にはシワが刻まれたことだろう。
何言ってんだ、コイツ、それが本音。
鼻筋に沿って落ちてきたらしい眼鏡を押し上げ、男は笑顔のままに口を動かす。
MIOちゃんから聞いてて、その言葉を聞けば、先程の薄らとした記憶が間違いではないことを知る。
他人のことを覚えているのは珍しい。
しかし、それに幼馴染みが関わっているのならば、別段珍しくもない。
つくづく線引きが曖昧で、面倒だ。
「作ちゃん、聞いてる?」
小首を傾げる男を前に、ボクは口を開けない。
何でボクのことを知る必要があるんだろうか、理解に苦しむ。
ボクは別に目の前の男のことを知りたいとは思えなくて、知りたいと思えないことは知って欲しいと思えないことと同じだと思う。
唇を噛み締めるように真一文字に結んでみても、目の前の男の唇は引き上げられたまま。
きゅっと目を細めてみても、目の前の男の目は三日月の形を作る。
やはり、他人は理解出来ない化物だ。
この男の考えていることは分からないが、愛玩動物とは違い意思疎通が出来てしまうから恐ろしい。
得体の知れないものに、頭から丸呑みされる気分でボクは目を閉じる。
「先ずは、自分の名前から名乗るべきではないでしょうか」
男の小さく笑う声と、猫の喉の音だけがやけに大きく聞こえた。