鍵は授けられた
これは、私の「物語人生」のはじまりについての話です。
私と妹が、まだとても幼かった頃……
父上は、毎晩、私たちに「寝る前のおはなし」を聞かせてくれました。
いわゆる「読み聞かせ」ではありません。
寝室を真っ暗にして、父上が私と妹を両方の手で腕枕し、「自作」の物語を語ってくれるのです。
父上の「おはなし」はたった二種類しかなく、毎日、そのどちらかを聞いていたので、私は今でも、ほぼ完璧にそれらのストーリーを思い出すことができます。
登場人物は、どちらの物語も、同じ三人組。
当時、私や妹が観ていた子供番組に出てくる、動物のキャラクターたちです。
ひとつめの物語は「地底探検」編。
登場人物たちは、ドリルのついた戦車みたいなやつに乗り、地底に潜っていきます。
すると、地下に大きな洞窟があって、光る苔が生えていたり、大きなアリがいたり、大きな湖があって、そこに古代の恐竜が棲んでいたりします。
地底の生き物たちに追いかけられ、登場人物たちは、慌ててドリル戦車で逃げ出します。
しかし、ドリルが固い岩盤に突き刺さり、動きがとれなくなってしまいます。
背後から迫ってくる生き物たち。
ヤバい! というそのとき、ゴゴゴゴ……と地響きがしたかと思うと、ドリルが刺さっていた場所から、凄い勢いで水が噴出。
登場人物たちはドリル戦車ごと、地上に噴き上げられます。
なんと、噴きだした水は「温泉」で、登場人物たちはそこに温泉旅館を建て、いつまでも幸せに暮らすのでした!
ここまで読んで「ん? これは……?」と思われた方も、おそらくはいらっしゃることでしょう。
成長した私は、ある日、本屋で一冊の本を買いました。
ジュール・ヴェルヌ『地底旅行』。
最初は「おお……この先どうなる!?」と、普通にわくわくしながら読んでいたのですが、そのうち、妙に懐かしい感覚が。
(私は、この物語を知っている……!? 初めて読んだのに、何故!?)
最後の「ストロンボリ」のくだりで、奇妙な懐かしい感覚は確信に変わり、私は本を持って、ダッシュで父上のもとへ。
「父上! 昔してくれた、あのおはなし、『地底旅行』からパクってたやろっ!?」
「はっはっは……とうとうバレたか」
全然、悪びれない父上でありました……
もうひとつの物語は、父上の完全オリジナル。
例の三人組が、公園に遊びに行くと、そこへ大きな怖い犬がやってきます。
なんとかジャングルジムに登って逃げるのですが、犬はその下をぐるぐる回って待ち伏せている様子。
全然、降りることができません!
二人が大声を出したりして犬の注意をひきつけているあいだに、ひとりがジャングルジムから降り、ダッシュで公衆電話ボックス(当時は今よりも色々なところにありました……)に飛びこみます。
ここでいきなり、問題です。
登場人物は、いったい、どこへ電話をかけて助けを求めたのでしょうか?
それは、聞き手である「私と妹」にです。
「リリリリ-ン! リリリリーン!」
父上が電話のベル(我が家は古い建物で、当時、固定電話のベルの音がこんな感じだったのです)の真似をすると、私と妹は争って「はいもしもし!」「もしもし!」と、空想の受話器を掴み、応対します。
父「今、友だちがジャングルジムの上にいて、怖い犬が下にいて降りられないんです! どうしたらいいですか?」
私「それはねー、ポケットの中にアメが入ってるでしょ?」
妹「そうそう! そのアメを遠くに投げて、それを犬が取りに行ってるあいだに、降りて走って家まで帰ればいいですよ!」
私「投げる前に、アメをなめるまねをして、犬に見せたほうが、おやつかなーと思うから、そうしたほうがいいですよ!」
ほぼ毎晩、同じ物語なので、当然、答えも毎回同じです。
でも、私と妹は毎回必死で、真面目に答えていました。
父上は「その必死さがすごくかわいかった」と言っていました。
こっちは激戦地から次の行動の指示を仰がれた軍司令部なみに必死でしたが……
そして、私と妹が献策した作戦により、無事に登場人物たちが家に帰ると、何の脈絡もなく庭から温泉が噴き出し、登場人物たちはそこに温泉旅館を建てて、幸せに暮らすのでした。
最後は、どうしても温泉旅館か!
ちなみに「地底探検」編でも「アリに襲われた友達を助けるにはどうしたらいいか」という電話がかかってきて、「アメを投げてひきつける」という、まったく同じ解決方法を毎回アドバイスしていました。
この「寝る前のおはなし」こそが、何もない寝室の暗闇にも洞窟や公園の光景をありありと浮かび上がらせ、言葉の力のみにより、自由に違う世界へ入って冒険することができるという、私の「物語人生」の基盤を築いた体験でした。
そして母上は、私と妹に毎日、色々な音楽CDを聞かせてくれました。
母上は音楽に造詣が深く、特にクラシック音楽やオペラのCDをよくかけてくれ、それが何の歌なのか教えてくれました。
私は、静かで優しいものより、ドラマティックで激しい曲が好きでした。
音楽に耳をかたむけていると、自分なりの物語が頭の中に展開し、勇敢な王の戦いの様子や、美しい姫と王子の恋物語や、騎士たちの一騎打ちの場面が次々と見えてきました。
「カルメン」の歌では、妖艶な赤いドレスをまとった黒髪の女性が流し眼をくれながら踊り、「革命」では、高い塔の上にひるがえる国旗が、炎を背景にゆっくりと倒れてゆくのが見えるようでした。
音楽の中に、歌の中に、物語がある――
そのことを、私は日々感じることができたのです。
曲を聞けば条件反射で物語の場面が浮かんでくる、という体質になった結果、小学校時代に音楽の授業でホルストの組曲『惑星』のうち「木星」を鑑賞したとき、横で喋っている男子を「うるせぇ!」と怒鳴りつけ、涙を流して曲に聴きほれる……という、音楽の先生もびっくりの経験もしました。
ちなみにその時の私の脳内では『銀河英雄伝説』みたいな、壮大なスペースオペラが展開されていました……
その日、家に走って帰った私が、
「母上! CD! CD買ってくれ! ホルストの『惑星』!」
と叫べば、母上が、
「それなら家にあるで」
と出してきてくれるという、なんとも有り難い環境でした。
物語の世界への扉を開く鍵を、父上と母上が、私と妹に授けてくれたのです。
そのことに、初めて気付いたとき、呆然としました。
なんと大きな贈り物を、知らずに受け取っていたのかと思って。
父上、母上、ありがとう。
あなたがたのおかげで私は今も、こことは違う場所、今とは違う時のなかを、自由に歩くことができます。
そして、その楽しさを、次は、自分の物語によって、誰かに感じてもらうことができたらいいと思っています。




