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『銀狼の恋の物語』 ⑫

 その夜、ジェノヴァでは、ジョルジーノが主催する舞踏会が開かれました。

 広間に無数の蝋燭が灯され、華やかに着飾ったジェノヴァの王族、貴族たちが居並びます。

 表立っての発表はなかったものの、この場に集った誰もが知っていました。

 今夜、ジョルジーノの妹、リヴィア姫の婚約が、正式に明らかにされるということを――


 楽師たちが奏でる舞曲にあわせて、王族や貴族たちは定められた通りの順でパートナーを替え、踊ります。

 華やかな薔薇色のドレスを身につけて踊るリヴィア姫のほっそりとした姿は、美しいけれども、どこか痛ましく見えました。


 やがて、踊りが終わり、広間にくつろいだざわめきが広がり――

 そのざわめきが、急に、凍りついたように途絶えます。

 広間の奥に立っていたリヴィアは、振り向きました。


 広間の入り口に姿を現したのは、チェーザレでした。

 彼はこれまで、幾度ジョルジーノからの招きを受けようと、一度たりと、このような場に姿をあらわしたことはありませんでした。

 

 正装した『金の目の魔物』の凛々しい姿に、男たちからの疑惑と敵意、貴婦人たちからの好奇と欲望のこもった眼差しが集まります。

 静まり返った人々のあいだを、チェーザレは靴音も高く堂々と、まっすぐにリヴィア姫に歩み寄りました。

 そして彼は、無言でリヴィアの前に跪き、片手を差し出しました。


 激しいどよめきが起こりました。

 ジェノヴァの宮廷では、身分の低い者から高い者へ声をかけることは許されていません。

 チェーザレは、一言も言葉を発することなく、王の妹であるリヴィア姫にダンスを申し込んだのです。


 リヴィア姫はしばらく彫像のように動かず、目を見開いていました。

 痛いほどの沈黙の中、真っ白だったその頬に、次第に血の気がさしてきました。

 そして、彼女は手袋に包まれた細い手をさっと差し出し、チェーザレの手を取ったのです。


「音楽を!」


 誰かが叫びました。

 その声を発したのは――あるいは、ジョルジーノその人だったのではないでしょうか?


 楽師たちが奏でる舞曲にのって、二人は踊ります。

 踊る二人の姿は、物語の中の出来事のように美しく、人々はその様子を言葉もなく見つめていました。


 リヴィアは、踊りながら泣いていました。


『でも、その代わり――私のわがままを、あとひとつだけ、叶えてほしいの。

まるで甘いお菓子みたい。ひとつ手に入れれば、もうひとつ欲しくなるのね。

でも、これが最後。本当、本当よ……』


 リヴィアの最後の願いとは「一度だけ、愛した人と舞踏会で踊ってみたい」というものでした。

 いかにも少女らしい願いではないでしょうか?

 一族のため、国のために政略のカードとなり、何の愛情もない相手と結婚する。

 その前に、どうかただ一度だけ、娘時代の思い出として一生心に留めておける、きらめくような瞬間を……

 

 チェーザレは、その願いを叶えました。

 それが、ジョルジーノの意向に背く極めて危険な行為であると、分かっていながら……


 踊りながら、リヴィアの表情は少しずつ変わっていきました。

夢見るような少女のそれから、やがて、静かな、あの夜に見せたような冷静なものへと。


「猫の城の、東の塔の上」

 

 ぴったりと寄り添ったとき、彼女はチェーザレの胸に顔を寄せて囁きました。

 それは、チェーザレがずっと知りたかった、マイセンの居所を示す言葉でした。

 チェーザレが夢を叶えてくれた対価を、彼女は支払ったのです。

 

 夢のような時はたちまち過ぎ去り、舞曲が終わりかけたそのとき、ひとりの男が猛然と人混みを掻き分けて近付いてきました。

 男はいきなりチェーザレの肩を掴んでリヴィアから引き剥がし、リヴィアが悲鳴をあげて倒れるのも構わず、チェーザレの頬を手の甲で殴り付けました。

 

「この蛮族が! 下種の分際で、ジェノヴァの姫に手を触れて汚すとは!」


 チェーザレは切れた唇から血を流しながら、赤黒い顔をした、でっぷりと太ったその男を見返しました。

 その冷ややかな視線を受けて、男はますます激昂しました。


「何だ、その目は!? この――」

 

 もう一度殴りかかろうとした男の拳を目にも止まらぬ体捌きでかわしたチェーザレは、男の手首を捕らえ、あっという間にひねり上げました。

 男は喚きながら身をよじりましたが、チェーザレの手は鋼鉄の万力のように、わずかにも緩みませんでした。


「何をする! 汚い手で、俺に触れるな! おい誰か、こいつを取り押さえろ!」


 壁際に控えていた兵士たちは反射的に動こうとしましたが、彼らは一様に踏みとどまり、彼らの王の顔色を窺いました。

 

「マウリーノ殿……」


 ジョルジーノが、王座から立ち上がりました。

 その顔には笑みがありました。

 それだけで、広間はたちまち、しいんと静まり返りました。

 ジョルジーノの針のような視線を受けて、チェーザレは男の手を放し、一歩下がりました。


「この者を、この場に招いたのは余なのだ。余に免じて、ここは、気を鎮めてもらえぬかな?」


「しかし!」


「金の目の将軍は、このような場に慣れておらぬゆえ、つい故郷の宮廷・・・・・での習慣が出てしまったのであろう」


 スフォルツァの宮廷の気風は、ジェノヴァのそれよりもずっと自由で闊達で、興が乗れば、女王と一介の従者とが腕を組んで踊ることさえもあり、ジェノヴァの貴族たちは、常々それを見下していました。

 ジョルジーノの皮肉に、人々がどっと笑いました。

 チェーザレは、何も言わず、ジョルジーノを見据えていました。


「金の目の将軍に悪気はないのだ。おそらく彼はこうして、我が妹の門出を祝ってくれるつもりであったのだろう……」


 ジョルジーノがにやりと笑い、親しげに男の肩を抱きました。

 人々は速やかに口を閉じ、次に告げられる言葉を待ち受けました。

 

「この場を借りて、余は、皆に告げよう。

 我が妹リヴィアは、これなるマウリーノ・デ・ルチェルトラ殿のもとへ嫁すことが決まった。

 皆、花嫁と花婿に、祝福を!」

 



*****




 ジョルジーノを上回るほどの最悪なおっさん、リヴィア姫の婚約者「マウリーノ」登場!!

 

 ――と、ここまでで『銀狼の恋の物語』は終わりです。


 終 わ り です!!(←二回言った)


 当時の原稿が、ここまでで、ぶっつりと途切れているからです。

 嘘やろ……!?


 私も、自分のことではありますが、残された原稿を久々に読んだときに、

「馬鹿たれがぁ! なぜ、ここで終わるッ!?」

 と胸中で叫ばずにはいられませんでした。


 実は、当時の私がこの物語で書きたかったナンバーワンのシーンが「舞踏会でチェーザレとリヴィア姫が踊る」場面だったのです。


 そこを過ぎてしまったので、「わざわざ書く」という根性が続かなかったようですよ……


 物語を書く者としての資質には、いろいろな要素があると思いますが、

「自分にとってさほどテンションの上がらないシーンでも『わざわざ書く』根性を維持し、とにかく 完 結 させられる」

 ことが、かなり大事ではないかと思います。


 ここで、かつて自分がブログの記事で語った内容を引用。


『おのれ自身で「物語を語る者」であると名乗る限りは、完結を目指して進み続ける義務がある――主に自分自身と「物語」に対して――というのが、わたくしの持論です。

 たとえば「自動車のディーラー」であるならば、その人が商うものは「一個のマシンとして完成した自動車」であるべきであって、決して「エンジン」とか「ドア」とか「エアバッグ」とかではないわけです。

 いくら部品を集めて並べたところで、それは決して「自動車」ではない。

 すべての部品を、あるべき場所に、あるべきように組み込み、接合し、ひとつのマシンとして完璧に組み上げなければ「自動車」にはならない……

 そして、それは「物語」も同じ。

「自動車の部品を集めたもの」や「途中まで組み立てたもの」が「自動車」ではないように、「物語の断片の集合」や「書きかけ」は、「物語」とは違います。』



 私は「物語に勢いがある」という意味で、子供だったころの自分を尊敬していますが、自分が楽しいシーンを書くだけで満足し、ひとつも「作品として完結させることができていない」という意味で、

「フッ、青二才め、まだまだだったな……」

 と思います。


(もちろん、私自身、未完結の物語を大量に生み出した経験の上で、やっと完結できるようになったわけで、今現在「なかなか完結させられない」「まだ完結したことがない」と悩んでおられる方々を貶める意図はまったくありません!

 完結させられるようになったらなったで、さらに作品をブラッシュアップしてゆく、また次の作品に取り掛かる……という段階に入るだけですし……

 結局、どの段階においても、物語の道には、果てというものがないのですね)



 まあとにかく、先の展開が一切不明のまま「終わりです!」では、これまで『銀狼の恋の物語』を少しでも気に入って読んでくださっていた皆さまに申し訳なさすぎるので、次回は、この後のチェーザレ殿やリヴィア姫がどういうことになるのか、出来事の流れをダーッと説明して終わりということにしたいと思います。


 書いてはいないのですが、例によって「語り」で友人たちや妹にはすべてを伝えていたので、物語の流れは、私の頭の中に残っています……



(というわけで、次回『銀狼の恋の物語』~その後~へと続きます)

 

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