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『銀狼の恋の物語』 ⑪

 作戦会議から数日の後、スフォルツァでは、王城から、一組の男女が旅立とうとしていました。


「この作戦の成否は、おまえたちの双肩にかかっている! 信頼しているぞ、二人とも。良い報せを待っている」


「お任せクダサイ、貴なる王女サマ」

 

 重々しく告げたルカシュに向かって、軽やかに片目をつむってみせたのは、ルクレツィア。  

 彼女は今回の任務のために選ばれた、チェーザレと同じ民族の女でした。  

 しかし、今や、彼女らの民族特有の外見的な特徴はことごとく隠蔽されていました。  

 豊かに波打つ銀の髪は染められて赤毛に変わり、金色の双眸は、顔の上半分を覆う包帯によって隠されていました。  


 それもそのはず、これから彼女は、ジェノヴァの宮廷に潜入・・・・・し、チェーザレにルカシュからの伝言を届けるという危険な任務に赴こうとしているのです。

 

 ジェノヴァの王、ジョルジーノの目は鋭く、数々の謀略を巡らせてきたその精神には、己の上に投げかけられる陰謀のかすかな気配も見逃さぬ鋭敏さがありました。  

 チェーザレとルクレツィアとのあいだに、何らかの繋がりがあるということを、決してジョルジーノに悟られてはなりません。  

 正体がばれれば、その時、彼女の命はないでしょう。  

 盲目の歌い手に扮したルクレツィアは、ロバに横向きにすわり、裸足の足をぶらぶらさせていました。


「ラウール、よく彼女を助け、必要とあらば守れ」


「はっ」

 

 ロバの手綱を取り、ルカシュの言葉に答えて頭を下げたのは、ラウール。  

 ディールの部下である彼は、ただ一人、ルクレツィアの危険な旅路に随行する要員として選ばれたのでした。  

 彼が選ばれたのには、理由がありました。


「いやはや、私のたったひとつの趣味が、まさか、こんな形でお役に立つとは思ってもみませんでしたよ!」

 

 そう言ったラウールもまた、普段の颯爽とした騎士の装いとはまるっきり違う格好をしていました。

 いかにも長旅にくたびれたような、身軽な服装。

 そして、肩からかけた大きなリュート。

 旅の楽師の身なりです。


 警備の厳重なジョルジーノの城に忍び込むことは、ほぼ不可能と言ってよいでしょう。  

 そこでルカシュが提案したのは、芸人に化けて堂々と入り込む作戦でした。  

 狙いは、ふた月後に催されるはずの、ジョルジーノの即位記念日の祝宴です。


「いかがですか、隊長殿? どこからどう見ても旅の楽師でしょう?」

 

 ルカシュ姫とともに見送りに出てきていたディールのほうを向き、ラウールは、流れるような手さばきでリュートをかき鳴らしてみせました。

 その音色は確かに、玄人はだしの見事さです。


「ううむ、腕前も、外見も見事なものだが……その喋り方がいかんな」

 

 ディールは、心配を隠せない様子です。


「身に染み付いた騎士らしい振る舞いは、取り繕おうとしても、言動の端々に出てしまうものだ。この数日で、いくらか、くだけてはきたようだが……ジョルジーノの目をごまかしきれるか?」


「オー、大丈夫」

 

 ルクレツィアが、包帯を巻いた顔をディールに向け、にっこりと笑いました。


「ワタシ、この人と、よおく作戦しまシタ。お話、できてる。この人、ワタシと夫婦仲、なった。父親、怒った。家門の恥。それでこの人、家、捨てて、騎士、やめて、歌うたいになった……」


「元・騎士の楽師というわけです。それなら自然でしょう?」

 

 もともと天真爛漫な性格のラウールは、この難事業にあたっても、少しも気負うところがないようです。


「さあ、これから忙しくなりますよ! ロンザを経由してジェノヴァに入り、辻々で唄いまくって、ひと月後までに稼が――もとい、評判を上げなくてはね!」


「おいおい、ラウール! 卿、今、完全になりきっておったぞ!」

 

 こちらも見送りに来ていた、ラウールの親友であるところのデュカスが、口ひげをひねり上げながら愉快そうに言いました。


「商売に熱中しすぎて、姫様から承った任務を忘れるなよ?」


「もちろんですとも!」

 

 リュートの胴をぽんと叩き、ラウールも笑います。


「この私のリュートの腕前に、彼女の歌を合わせれば、そこらの辻唄いなどには勝ち目はありませんとも。必ずや、ジェノヴァの辻で評判を勝ち取り、城に招かれてみせますよ!」

 

 そう、これは、ジョルジーノの性格を利用した作戦でした。  

 生まれや身分に頓着せず、才能ある者と見れば、何をおいても、自分の手元に置きたくなる……  

 それが、ジェノヴァの若き王の抑えがたい性分なのです。  

 スフォルツァよりも閉鎖的な気風であるジェノヴァで、異民族であるチェーザレを将軍に起用したのも、このジョルジーノの性格によるものでした。


「頼んだぞ!」

 

 ルカシュたちに見送られ、ラウールとルクレツィアは旅立ちました。  

 見送りの者たちの姿も見えなくなり、しばらく進んだところで、不意に、ラウールはルクレツィアを見上げて呼びかけました。


「ルクレツィア殿?」


「アー、だめネ! ワタシ、アナタの妻。そうデショ? ルクレツィア、と呼んデ」


「これは失礼」

 

 軽やかに笑ったラウールは、懐からふたつの指輪を取り出すと、ひとつを自分の指に嵌め、ルクレツィアの手を取って、もうひとつを嵌めました。


「指輪?」


「そうです。――しかし、ただの指輪ではない。ここを」

 

 ルクレツィアの手を取り、石のはまった指輪の台座を触って、ラウールは言いました。


「噛み潰せば、石の下に、毒が仕込んであります」


「アー」

 

 ルクレツィアは包帯の隙間の狭い視界に指輪をかざし、大きく頷きました。  

 ラウールもまた、頷きます。


「ルカシュ姫さまには申し上げず、私が黙って用意しました。もしも、この任務が失敗したときには……これが、最後の救いとなるでしょう」

 

 告げたラウールの目には、いつもは決して見せることのない、厳しい光がありました。


「騎士たるもの、主命を果たすにあたっては、それだけの覚悟で臨みます。

 あなたを信用しないわけではないが、ルカシュ姫さまを失望させることがあってはなりません。

 これより先、どのようなことが起こるか分からない。万が一にも、あなたがジェノヴァに下り、スフォルツァを裏切るようなことがあれば……この私が、あなたを殺します」


「オー」

 

 ルクレツィアは、大きく両腕を広げてみせました。


「アナタ、分かっていませんネ」

 

 そして、驚いたように目を開いたラウールに向かい、彼女は微笑みました。


「ワタシたち、流浪の民。土地につくアナタ方とは、ちがウ。

 でも、だからこそ、民族の絆はアナタ方が思うより、ずっとずっと強いのでス。それはワタシたちの血で紡がれ、決して切れることはない。

 スフォルツァの銀狼は、ワタシたちの希望でス。ワタシたちの力で、必ず、助け出しましょう――」




*****




『スパルタの獅子たち』第14部分http://ncode.syosetu.com/n3455da/14/をお読みになった方は「ああ!」と感じられたことと思いますが、騎士ラウールの「音楽好き」は、そのまま《獅子隊》のパイアキスの人物造形に受け継がれています。


 パイアキスの演奏は、遠征中に仲間たちを和ませるためですが、ラウールは、やたら重大な任務のために自分の趣味を活かそうとしております……

 

 そして、密偵ものの王道「自決用の毒薬」!


 これは当時の私が名高き「ボルジア家の毒薬」からインスピレーションを受けて思いついたエピソードでした。

 まったく動じないルクレツィアさんも、なかなか大した女性だと思います。

 私はどのような形であれ「強い」女の人が好きなので、私の物語に登場して活躍する女性たちは、だいたいみんな何かの形で――戦いの腕であったり、魔術であったり、根性であったり――、衆に秀でた「強さ」を持っています。


 もちろん「弱さ」を併せ持つ側面もありますが、いざ重大な局面! 丁か半か!? となった場合、たとえ困難であっても、状況に合わせて無難に逃げるのではなく、己の道を曲げずに突き進む選択をするような人が多いと思います。

 ある意味、不器用で苦労症と言えるのかもしれませんが……


(そして『銀狼の恋の物語』は、もう少し続きます)

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