『銀狼の恋の物語』 ⑧
ジェノヴァの王城に帰還したチェーザレは、ジョルジーノからの召し出しを受けます。
「一騎当千の《金の目の魔物》が、戦果もなく戻ったのか?」
ジョルジーノの猫撫で声に、チェーザレは危険を察知しますが、動じることなく頭を垂れました。
「スフォルツァ軍は少数と見せかけて、背後の森に大量の伏兵を潜ませておりました。深追いすれば、こちらが多大な損害を被っていたでしょう」
「ほう、なぜ伏兵がいると分かったのかな?」
問われてチェーザレは一瞬、口ごもりました。
鏃のきらめきが目に入ったから?
駄目です、当時の天候はしのつく雨で、陽光はありませんでした。
人の声や物音によって?
いいえ、そんなものは雨音によってかき消されてしまったはずです。
「スフォルツァ軍を率いていた男とは、面識がありました」
やがて、チェーザレは落ち着き払って言いました。
「伏兵を置いて敵を誘い込む戦法は、彼の最も得意とするところ。我らが姿を現したとき、彼らは即座に退却しようとしました。それも、森の方向へです。それで、おそらくは策であろうと……」
「おそらくは、か?」
ジョルジーノの底光りする目が、心の中まで見通そうとするかのようにぎろりとチェーザレを見据えました。
「お前は、敵の指揮官に一騎打ちを挑んだそうだな? そやつの名は?」
「ディール・デル・カレット……」
「スフォルツァの跳ねっ返り娘の懐刀だ。
そして、お前のかつての戦友であったな」
チェーザレは感情を表さない目で、まっすぐにジョルジーノを見上げました。
「今は、もう敵です」
ジョルジーノは、王座の背もたれに深くよりかかり、肘掛けに置いた指を蜘蛛のようにうごめかせながら、しばしチェーザレを見つめていました。
やがて、彼は微笑みました。
「そうだな。そなたは余の最も忠実な家臣の一人だ。
マイセンが余の手中にあるうちは、な……」
「はい、陛下……」
「次の働きを期待しているぞ、チェーザレ。次の次があるかどうかは、その時に決まることだろう。そなたと、そなたの大切なマイセンの両方にとってな」
チェーザレは従順な猟犬のように、深く頭を垂れました。
その拳は、爪が手のひらを突き破りそうな強さで、固く握りしめられていました――
*
一方、スフォルツァの王城では、ディールの報告を受け、大騒ぎが持ち上がっていました。
「おのれ、ジョルジーノ! 非道な真似を!」
軍議の席で、卓に両手を叩きつけ、立ち上がったのはルカシュ姫です。
「母上! こうしてはおられませぬ。さっそくに、マイセンとチェーザレを救い出す準備を!」
ルカシュにとって、マイセンは生まれたときから見守ってきた従弟、そしてチェーザレは自ら見出した大切な部下でした。
ディールの報告を受けて、ルカシュは驚きと、ジョルジーノに対する怒りを隠せませんでしたが、それを上回ったのは、死んだと思っていたマイセンとチェーザレが生きていたという喜びでした。
しかし、娘の叫びを受けて、レーテ女王は、黙したまま動きませんでした。
それだけではありません。
居並ぶ重臣たちもまた、複雑な表情で顔を見合わせています。
この一年ほど、ジェノヴァの「黒い将軍」の噂は、不吉な影のように彼らの心につきまとってきました。
恐ろしいほどの正確さでこちらの戦略を読み、スフォルツァ軍に多大な損害を与えてきた敵の正体が、まさか、かの銀狼であったとは――
「チェーザレが、真実を語ったという保証が、どこにある?」
やがて、レーテ女王はゆっくりと言いました。
「マイセンが人質に取られているなど、偽りかもしれぬ。
彼は、本物の裏切り者であるのかもしれぬのだぞ」
「しかし、陛下」
遠慮がちに発言を求めたのはディールでした。
「認めたくはございませんが、あのとき、チェーザレ殿は我々の部隊を壊滅させようと思えばできたのです。ジェノヴァ軍のほうが、数で上回っておりましたゆえ……
しかし、彼は危険を承知で私に一騎打ちを挑み、マイセン様のことを伝えた後、軍を引き上げさせたのです。こちらに伏兵がいる、ということにして。
チェーザレ殿が本当に裏切り者であるならば、そのような真似をするでしょうか?」
「ジョルジーノは狡猾な古狐よ」
レーテは冷ややかに言いました。
「我らを動揺させるため、チェーザレに命じて、わざと虚偽の情報を流させたのではないか?
確かに、ディールと剣を交えたときの状況は、チェーザレにとっても危険を伴うものであったかもしれぬ。
しかし、これは昔から使い古された手ではないか? 『ない火を、あるように見せかけるならば、火傷をしてみせねばならぬ』とな」
「しかし!」
「マイセンとチェーザレは、捨て置く」
ルカシュの反駁を制し、レーテはそう宣言しました。
「チェーザレの言葉が、たとえ真実であったとしても、だ。
ジョルジーノは必ずや、二人を我らに対しての人質として用いるであろう。
肉親、友人といえど、ただ二人の人間の命と、一国の命運とを天秤にかけられるか?
一同に命じる。マイセンとチェーザレは、あの呪うべき落城の日に、我が弟とともに死んだものと考えよ」
*
レーテ女王の宣言で軍議は解散となりましたが、ルカシュは、どうしても納得がいきません。
「従弟と部下を、みすみす見殺しにせねばならぬとは! なんと情けないことか!」
「しかし、殿下。女王陛下の仰る通り、これはジョルジーノの罠であるかも知れませぬ」
ディールの言葉に、ルカシュはきっと振り向いて、
「そなたはそう感じたのか? ディールよ、そなたはチェーザレの人となりを知っておろう。彼は嘘をついていると感じたか?」
「いいえ……しかし、女王陛下の仰ることももっともです。仮にチェーザレ殿の語ったことが真実であるとしても、うかつに軍を動かせば、ジョルジーノの罠にはまる可能性があります。
それに……このような事、申し上げたくはございませぬが……マイセン様が本当に生きておられるのかどうかについては、疑わしいと言わざるを得ませぬ」
「ふむ……」
ルカシュは難しい顔で唸りました。
そう、チェーザレが生きていることは確かだが、果たして、マイセンは?
もしもマイセンが既にこの世にないとすれば、救出作戦を行っても、まったくの無駄に終わります。
また、仮に生きているとすれば、どこに、どのようにして囚われているのでしょう?
ジェノヴァの領内には、無数のスフォルツァの密偵が送り込まれていましたが、ジョルジーノの鋭い目が光る宮廷内の情報は、ほとんど探り出せていませんでした。
*****
ルカシュ姫の母、《スフォルツァの毒蛇》ことレーテ女王登場!
陛下は『帝国魔術学院!』http://ncode.syosetu.com/n0912cv/の学院総長イサベラ・アストラッドの「元」となった人物です。
私は小さい頃から、こういう感じの女性が好きでした。
勝負度胸が据わっているというか、テンションが常に平静というか、いつも半眼のイメージというか……
そして、今回、どうしても話題にしたかったことがもうひとつ。
それは、ファーストネームと家の名前のあいだにある「デ」とか「デル」といかいうやつのこと!
まずもって「国の名前と家の名前は分けておけよ……」という根本的な問題もありますが、まあ、それはそれとして。
今回、ディール殿の本名が「ディール・デル・カレット」として出てきましたが、この名前は塩野七生『ロードス島攻防記』に登場する騎士「アントニオ・デル・カレット」殿から、当時の私が拝借したものです。
この名の一族は、史実としても存在するのです。
では……ルカシュ姫やリヴィア姫の名前の表記は、あれでいいのか?
ルカシュ・デ・スフォルツァ。
リヴィア・デ・ジェノヴァ。
スフォルツァのルカシュ、ジェノヴァのリヴィア、ということが言いたいのだが……
「デ」と「デル」の使い分けの基準は一体!?
あと確か「デラ」ってのもあるよね!?
記憶の彼方に漠然と「それは、後に来るのが男性名詞か女性名詞かの差である」というような話が、あったような、なかったような。
しかし……スフォルツァとジェノヴァは、一体ナニ名詞なんだ!?
一応検索はかけてみましたが、どうもよく分かりません。
この手の言語を体系的に学んだことがない私は、仕方なく、これまでに見たことのある個々の事例から類推し、帰納的に法則を見出そうとしました。
「ロバート・デ・ニーロ」
「カテリーナ・スフォルツァ」
「コシモ・ディ・メディチ」
「レオナルド・ダ・ヴィンチ」
「アントニオ・デル・カレット」
バ ラ バ ラ や ん け
よく考えたら、カテリーナさんは「デ」も何も付いてないし……
そうかと思えば、レオナルドさんの「ダ」まで参入してきて、もう、わけが分かりません。
というわけで、ほぼ何も分からないまま、今回のところは終わります!!
(そして『銀狼の恋の物語』は、まだ続きます……)




