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『銀狼の恋の物語』 ⑦

 やがて、快復したチェーザレを待っていたのは、ジョルジーノからの呼び出しでした。

 跪いたチェーザレを見下ろし、ジョルジーノは命令を下します。


「国境のバルベラ近くで、スフォルツァの軍が動いている。

 おまえが行き、叩き潰せ」


 声は相も変わらず冷ややかで、その視線には毒が含まれているようでした。

 チェーザレはくちびるを噛み、黙って頭を下げました。


 リヴィアの行動は、ジョルジーノの命令によるものだったのか、それとも、リヴィアの意思によるものだったのか。

 その真意は、果たして何処にあったのか――


 そんな疑念ばかりが渦を巻く心を無に返すことができる場所は、今はただ戦場の他にはない。

 これまで、スフォルツァの兵を殺し、その血潮を浴びるたびに、身も心も激しく軋んで、裏切り者に堕ちてゆく思いに囚われてきたが――

 今の自分には、それも相応しいのではないか。


 馬上の人となったチェーザレは、遥かにスフォルツァの方角を見やりました。

 折しもかき曇り始めた空を映すように、その美しい金の目も、暗く翳っているようでした――


   *


「雨が激しくなってきたな」


 ディールは暗い空を見上げ、呟きました。

 彼は、国境近くの小競り合いを制し、バルベラの村へと移動中のスフォルツァ軍の指揮官でした。

 彼はルカシュ姫の腹心の部下であり、彼女の信頼を受けてこの任務を任されたのです。


「早く、城に戻りたいものだ……」


「隊長殿! 姫様のお声が恋しいのですかな!?」


「デュカス、失礼ですよ、隊長殿に対して」


 がははは、とむやみに大きな声で笑っているのがデュカス、それをたしなめたのがラウール。

 見た目は親子ほども歳が離れて見える二人ですが、実はどちらもディールと同年輩で、ディールが最も信頼する部下でした。


「何しろ姫様の大声は、塔の上から中庭まで響き渡る。

 あれが聞こえぬと、何やら寂しいですなあまったく! わはははは!!」


「あなたの声も充分大きいですよ」


 普通の会話が道化の漫才のようになる二人の会話を聞きながら、ディールはため息をつきました。

 ディールがスフォルツァの世継ぎ姫、ルカシュに想いを寄せていることは、友人たちの間では周知の事実でしたが、ルカシュ姫はそんなことには全く気付いていないようでした。


(それでも……早く戻って、お顔を拝見したい)


 その、瞬間でした。


「敵襲、敵襲だぁーっ!!」


 ジェノヴァの旗を翻し、丘の向こうから姿を現したのは、黒い鎧に身を包んだ騎士が率いる軍勢でした――


   *


(ディール殿か!) 

 

 先に相手の存在に気付いたのは、チェーザレのほうでした。

 完全武装で兜の面頬を下ろしていたチェーザレに対し、ディールは素顔をさらしていたからです。


 まだチェーザレが『スフォルツァの銀狼』と呼ばれていた頃、二人はたびたび言葉を交わしたことがありました。

 彼らには、単なる同僚であるという以上の共通点があり、互いを特別に意識していたのです。


 チェーザレは、カテリーナ姫を。

 ディールは、ルカシュ姫を。

 そう、共に、己の手の届かぬ人を愛した者として――


 懐かしい友の顔を見た瞬間、チェーザレの心に誘惑の声が響きました。

 この場で、スフォルツァの騎士たちに味方し、祖国に戻ってしまえば……?

 いや、駄目だ。

 それでは、残ったマイセン様が殺される。


 カテリーナ姫との約束を投げ捨てることは、彼にはどうしてもできませんでした。

 また、裏切り者となった自分を、スフォルツァの騎士たちがすんなりと迎えてくれるとも思えなかったのです。


 しかし、一体どうすれば?

 今、仕掛ければ、勝つことはできるでしょう。

 しかし、チェーザレは、友であるディールを殺したくはありませんでした。

 だが、ジェノヴァの部下たちの目がある以上、攻撃をせずに引き返すこともまた不可能――

 

 もはや、迷っている時間はありませんでした。

 チェーザレは、逸る部下たちを手で制すると、単騎進み出て、重い馬上槍の穂先をぴたりとディールに向けました。

 それは、指揮官同士の一騎打ちを挑む、という挑戦の動作でした――


   *


 黒い騎士からの一騎打ちの挑戦を、受けるべきか否か、ディールは迷いました。


「罠ではありませんかな!?」


 デュカスやラウールは警戒を捨てきれない様子でしたが、数の上で、味方は明らかに劣勢。

 このまま激突するとなれば、スフォルツァ勢の不利は歴然としています。

 ややあって、ディールは兜をかぶり、面頬を下ろすと、


「万が一のときには、部隊を頼む」


 そう、デュカスに言い置いて、愛馬に拍車を当て、昂然と進み出ました。

 指揮官を倒せば、敵は混乱し、勝機を見出すこともできる。

 ここは自分が挑戦に乗るのが得策……

 彼は、そう考えたのです。



(ディール殿! 気付いてくれ!)


 チェーザレはディールと向かい合い、祈るような思いでした。

 しかし、紋章を身につけておらず、面頬を下ろした自分の姿は、ディールにはとうてい見分けられないでしょう。

 騎士どうしの一騎打ちは、馬上槍を構えて真っ向から突進し、敵を馬から突き落とすという、命をかけた激しい戦いです。

 激突の一瞬に、敵の身体を正確に突き、繰り出される槍の穂先を、盾で逸らすことができるか――

 一歩間違えば、自分か、あるいはディールが死ぬことは充分に考えられました。


(ここで、死ぬわけには……!)


 チェーザレはマイセン王子のことを思い、カテリーナ姫の面影を思いました。

 ここで死ぬのならば、自分が今までにしてきたことは、一体何だったというのでしょうか?


 自分の心臓の鼓動が、徐々にゆっくりと引き伸ばされたようになり、やがて何も聞こえなくなったとき、チェーザレの金色の目には、野生の狼のような光が浮かんでいました。


 一方、ディールは、心臓が早鐘のように打ち続けるのを感じていました。

 彼の脳裏に浮かぶのは、愛するルカシュ姫の姿でした。


(殿下のご信頼にお応えするのだ……!

 こんなところで、倒れるわけにはいかない!)


 そして次の瞬間、二人は同時に馬に拍車を当て、疾風のように駆けて激突しました。

 

 激突の瞬間、二人の騎士の槍は、互いの楯のど真ん中を突き、その力に耐え切れずに音を立てて砕け飛びました。


(……勝てる!)


 しかし、その瞬間の手応えで、チェーザレには分かりました。

 自分の実力が、相手を上回っていることを。

 異国の地でただひとり、己に課した使命と憎しみとを糧に、苛烈な鍛錬を繰り返してきた――

 そんな日々が、チェーザレの膂力を鍛え上げ、その技量を以前にも増して研ぎ澄ましていたのです。


(強い!)


 そしてディールもまた、相手取った黒い騎士が、自分の力を上回っていることに気付きました。


 両軍の緊張が一気に高まります。

 指揮官たちに手出し無用と命令されているとはいえ、勝敗の天秤が傾けば、危うい均衡は一気に崩れ去るでしょう。

 

 チェーザレは歯噛みしました。

 騎士の一騎打ちは、決着するまで槍を取り替えながら行うしきたりですが、それでは自分がディールを殺すことになってしまうかも知れません。


「馬から下りろ!」  


 チェーザレは鋭く叫びました。

 槍での勝負がつかなければ、地上に降り、剣で戦うことになります。

 チェーザレは、その瞬間にかけることにしました。

 そう、その一瞬こそ、ジェノヴァの兵たちに気付かれずにディールと言葉を交わす唯一のチャンスでした――


    *


 チェーザレとディールは馬から下りると、剣を引き抜きました。

 完全武装での剣の戦いは、技術云々よりも、ただ膂力と、執念に勝った者が生き延びる激しいぶつかり合いです。


「参る!」


「応ッ!」


 最初に互いの剣が噛み合って火花を散らしたとき、ディールは大きくよろめきました。

 ディールとて凡庸の戦士ではありません。

 ですが、チェーザレの力は彼を圧倒しました。


「ディール殿……聞こえるか!」


 幾度目かに鍔が噛み合ったとき、チェーザレは囁きました。

 ジェノヴァの兵たちの歓声、スフォルツァ勢の必死の声援が、彼の声をかき消しそうになります。

 しかし、ディールには分かりました。


「チェーザレ殿!?」


 彼は、目を見開きました。


「何故だ! 《スフォルツァの銀狼》と呼ばれた貴殿が、祖国を裏切り、ジェノヴァについたというのか!? あの落城は、まさか……!」


「違う!」


 激しく突き放され、ディールは数歩もよろめいて後ろへ下がりました。

 そこへ、追い討ちをかけるようにチェーザレの剣が叩きつけられます。

 ディールは、その一撃を何とか受け止めました。


「マイセンさまが、ジョルジーノに捕らわれている」


 ぎりぎりと歯を食い縛ったようなチェーザレの囁きに、ディールは、はっとしました。


「では、貴殿は、マイセンさまを人質を取られて……」


「今は、スフォルツァには戻れぬ」


 兜の奥で、ディールは頷きました。


「そうか、分かった……このこと、必ず陛下と、ルカシュ殿下に伝えよう!」


「頼む」


 ギン! と激しい音を立てて剣を払うと、チェーザレは、突然ディールに背を向け、自分の馬に飛び乗ってジェノヴァ軍のほうへ取って返しました。


「下がれ! 罠だ! 伏兵が潜んでいるぞ、下がれ!」


 チェーザレに怒鳴られ、面食らった兵士たちは、指揮官に従い、我先に退却を始めました。


「何だ!?」


「ジェノヴァ軍が、退いていく……」


 驚いたスフォルツァの騎士たちが、ディールに駆け寄ります。


「隊長殿、これは、いったいどういう……?」


「チェーザレ殿だ」


 ディールは言葉少なに告げると、驚く部下たちに、命令を下しました。


「急ぎ、王城へ帰還する! 女王陛下とルカシュ殿下に、お伝えせねばならぬことができた――」



*****



 突然出てきたディール、デュカス、ラウールたちですが、彼らは『戦物語』において、ルカシュ姫の部下として活躍する騎士たちです。


 ディール率いる第二部隊と、ランスロット(そういう名前の高飛車なおっちゃん。もちろん『アーサー王物語』のランスロット卿から名をいただいています!)率いる第一部隊の競い合いなど、いろんなエピソードがありましたが、『戦物語』で現存するのは、ルーズリーフたった一枚半分の手書きの文章のみ……


 そして、もしかすると、デュカスとラウールのやりとりを読んで、

「ん? この感じ……既視感デジャヴ!?」

 と思われた方もいらっしゃるかもしれません。


 そう、彼らは古代スパルタ戦記『スパルタの獅子たち』http://ncode.syosetu.com/n3455da/に登場する《獅子隊》のフェイディアスとパイアキスの「元」となった人物なのです。

 

 私は昔から「恋と笑いとバトルと謎」が出てくる話が好きで、特に「笑い」の要素は欠かせない!


 重々しい展開や悲しいエピソードの合間にも、隙あらば微妙に「笑い」の要素を投入するのが、私のモットーです。(まあ、展開によっては、どうしても入れられない場合もありますが。そして、入れたからといってウケるかどうかの保証は無いのであった) 

 

 私は物語を「エンターテインメント」「息抜き」「楽しみ」として読むことがほとんどなので、どこかにコミカルな――がっつり「お笑い」でなくても、ほんのちょっと、一瞬くすっと笑えるような感じでいいので――要素がないと、読んでいても書いていても、息が詰まってしまうのです。


 まあ、人生と同じですね!(強引にまとめた)


(そして『銀狼の恋の物語』は、まだ続きます……)

 

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