『銀狼の恋の物語』 ⑤
日に焼けたことなどないかのような白い肌をした、繊細な美貌の少女でした。
青緑色の目が大きく見開かれ、チェーザレを見つめています。
チェーザレは面食らい、とっさに手を放しました。
彼女はいつものように素早く逃げ去り、そして、もう二度とここに来はしないだろう――
彼は、そう思いました。
しかし、少女は、チェーザレの目を見つめたまま、その場から動きません。
しばらくして、その唇から、かすかな呟きが漏れました。
「……綺麗だわ」
チェーザレは最初、何を言われたのか分かりませんでした。
少女は彼に近付くと、物怖じもせずにその目をじっと覗き込みました。
そして、立ち尽くしている彼には構わず、にっこりと笑います。
「やっぱりね。侍女たちから聞いた通り。とっても綺麗な金色だわ。
年月を経て風合いの増した、宝石箱の中の細工物みたい」
彼女はそう言うと、今度はチェーザレの後ろに回ろうとしました。
さすがに戸惑い、彼は振り向こうとしますが、
「待って。そのまま。……髪の、色をね」
彼女の口調は、上の空といった様子でした。
まるで、最高のモデルを見出した芸術家のように。
「見せてもらいたいの」
彼女の言葉には、一片の悪意も感じられませんでした。
そこにあったのは、純粋な好奇心と、賞賛の念だけでした。
――だから、だったのでしょうか?
チェーザレは、動きませんでした。
幼い頃、周囲から忌み嫌われ、嘲られてきた髪と目――
幾度、己の生まれついた姿を呪ったことでしょう。
その記憶は深い傷となって、彼の胸の奥底に刻みつけられています。
おそらく一生、消えることはないでしょう。
その傷を無神経に踏みにじろうとする者にならば、容赦はしません。
でも、この少女は、そうではありませんでした。
行動こそ直截的でしたが、チェーザレは、それを不快だとは感じませんでした。
「光沢のある灰色……鈍い銀色。
でも、それだけじゃないわ。いろんな色が混ざってるみたい」
蝋燭をかざしながら熱心に呟いていた少女は、襟足でひとつに結われた彼の髪に、戯れるように触れました。
「まるで、銀狼の尻尾ね」
はっと身じろぎしたチェーザレに、少女は驚いたように二、三歩後退ります。
それから、我に返ったように申し訳なさそうな表情になりました。
「ごめんなさい。気に障った?」
「いや……」
彼は呻くように、それだけ言いました。
謎の少女は、名をマリアといい、さる大貴族の娘だといいます。
「わたし、小さいときから病気がちで、あまり遠出をすることがなかったの。
楽しみといえば、自分の部屋で刺繍をすることだけよ」
薬のにおいのしみついたハンカチを受け取りながら、マリアはそう言いました。
最初は静物や、侍女の姿、窓の外の風景などを刺繍であらわしていたのですが、それにもすっかり飽き飽きしてしまったマリアは、新しい題材を探し求めていたのというのです。
刺繍のことを話すマリアの目は、きらきらと輝いていました。
「侍女たちが、あなたの髪のことを話しているのを聞いたの。
こんな綺麗な色なら、刺繍のしがいがあるわ!」
「俺を、モデルにしようというのか?」
「だめかしら?」
駄目だ、と断ってもいいはずでした。
しかし、チェーザレは迷いました。
この少女と話していると、奇妙に心が慰められるのです。
ジェノヴァの人間でありながら、彼女はチェーザレを恐れたり蔑むことなく、まったく屈託なく接していました。
知らず知らずのうちに、チェーザレの心は、そんな人との繋がりに飢えていたのです。
「そうだ! それじゃ、今度、あなたにわたしの作品をお見せするわ。
わたしの腕前を見れば、あなただって、モデルになることを承知してくれるかもしれないもの」
少女は一方的にそう言うと、家の者に気付かれると大変だから、と言い置いて、さっと駆けていってしまいました。
残されたチェーザレは、妙ななりゆきに半ば呆然としながら、廃園の向こうに消えてゆく少女の背中を見送っていました――
*
翌日、マリアは再び廃園にやってきました。
彼女が持ってきた刺繍の作品を見て、チェーザレは驚きます。
静物、人物、風景……
ひとつひとつの針目が平らにそろい、その糸の色を変えてゆくことによって陰影が表現されています。
まるで本物のような出来でした。
「言ったでしょ。わたしの、たった一つの楽しみなの。
五つのときから針を持ったわ。侍女たちの誰も、わたしの腕前には敵わないのよ」
「素晴らしいな」
「そうでしょう!」
マリアは幼い子どものように満面の笑みを浮かべます。
チェーザレはその笑顔に、心がふと温かくなるのを感じました。
*
それから、マリアはたびたびやってくるようになりました。
チェーザレが鍛錬をしているとやってきて、植え込みの側に座り、黙々と彼の姿をスケッチしては、いくらも経たないうちに帰っていきます。
「家の者が心配するから」
と彼女はいつも言っていました。
チェーザレはもちろん引き止めることはしませんでしたが、マリアが去るときは、いつも淡いさびしさを感じました。
*
あまり話すことはなくても、そんな日々を重ねるうちに、二人のあいだには、ひそやかな絆が育っていきました。
時に、チェーザレが剣を振る手を休めると、マリアはスフォルツァのことをあれこれと聞きたがり、話をせがみました。
「わたしの侍女たちは、スフォルツァのことは悪口しか言わないの。
でも、あの人たち、この国から出たこともないのよ。
あなたはスフォルツァから来た人……わたしに、スフォルツァの本当の姿を教えて!」
このことばを聞いて、チェーザレの心に、ふと疑念が広がります。
この娘は、本当に純粋な好奇心から質問しているのだろうか?
それとも……信用させておいて、俺の口から、スフォルツァの内情を聞きだそうというのか?
やや警戒しながらも、市井の人々の習俗など、当たり障りのないことを教えてやると、彼女は全身を耳のようにして聞き入りました。
疑いは捨てきれないのに、チェーザレは、彼女を信じたい、と感じている自分に気付きます。
単なる気晴らしの話相手のはずでした。
それなのに、マリアの存在は、いつの間にか、彼の中でとても大きなものになっていたのです。
チェーザレは懊悩しました。
カテリーナ姫の最期が脳裏をよぎり、マイセンを人質に自分を跪かせたジョルジーノの顔が浮かびました。
確かに、ジョルジーノに臣従を誓いはしたが、それは形だけのこと。
心の奥では、今もスフォルツァを我が祖国と思っている……
それなのに、ジェノヴァの娘に、心を許すのか?
それは、スフォルツァに対して、そして死んでいった者たちに対しての、恥ずべき裏切り行為ではないのか?
数日、心を悩ました挙句に、チェーザレはとうとう、心を決めました。
そして、その日も廃園を訪れたマリアにこう告げたのです。
「今日を限り、二度と、ここには来ないでほしい」
と――
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「日に焼けたことなどないかのような白い肌をした、繊細な美貌の少女でした。」
この一文こそが『銀狼の恋の物語』のうち、私が最初に書いた一行でした。
私は、ひとつの物語を書こうと思うとき、まず話のだいたいの全貌をバーンと一気に思いつきます。
「こんな人がいて、その人はこうなって、こうなって、こうなった!」
という……(この「一気に思いつく」現象を「物語が降臨する」と呼んでいました)
登場人物と、スタートとゴール、途中の通過ポイントが全部見える感じです。
「通過ポイント」は、特に自分の中で盛り上がるところですが、昔はよく「そこだけ」書いて友人に見せて満足してしまい、ポイントとポイントをつなぐあいだの展開を書くのが面倒くさいからといって、サラッと「語る」だけで済ませる……ということを、よくやっていました。
『銀狼の恋の物語』も、まず、自分の中で劇的だと感じた、この「出会い」のシーンから書き始めたのですが、
「まあ、今回はがんばって文章としてきっちり書き切るか!」
と思い、あらためて冒頭部に戻り、最初から書き始めた……というわけでした。
【廃園をうごく蝋燭の灯り。
マントとフードで体を覆った怪しい人影。
ハンカチを見つけて近づく人影。
と、近くの茂みから不意に腕が伸びてきて、その手首をがっちりと掴む……】
私の「物語を書く」作業は、自分の頭の中に見える映像を、言葉して伝えるという作業です。
見えたものをそのまま書いただけだと、上の【 】内のようなメモになってしまうので、物語として読めるような文章に変換しながら書きます。
映像は、映画やアニメのような感じで、スローモーションやアップなどの効果(?)付きで見えるので、言葉にするときにも、それを再現します。
でも、次のシーンを書くまでに間が空いたりすると、うっかり「ときの感覚」を忘れてしまい、夜のシーンのはずが「昼の光景」が見えてしまったり、冬のシーンのはずが「春の光景」が見えてしまったり、それをうっかりそのまま書いてしまったり……ということがあるので、注意が必要です(稀にやらかすことがある)
ちなみに、脳内の映像は、『銀狼の恋の物語』や『スパルタの獅子たち』の場合は「実写」で見えますが、『ソードべアラー』や『帝国魔術学院!』『銀の血の王子』などは「アニメ」の絵柄で見えます。
どうやら、自分の中で「歴史ものっぽい」と、イメージが実写になるみたいですね!
これまではっきりと考えたことがなかったので、面白いことに気づきました……
(なお『銀狼の恋の物語』は、まだ続きます)




