『銀狼の恋の物語』 ②
ルカシュ姫の「引き」によって城に上がることとなったチェーザレは、老練な騎士の従者に取り立てられ、黙々とつとめや鍛錬をこなします。
もともと忍耐強く努力家であったチェーザレは、みるみるうちに実力を伸ばし、教養も身につけ、やがて騎士に叙任され――
そして、十数年の月日が流れました。
今や、チェーザレは丈高く堂々とした騎士に成長し、戦場で幾多の武勲をたてて、人々から「スフォルツァの銀狼」と呼ばれ、尊敬されるようになっていました。
彼が仕える主君は、レーテ女王の弟君であり補佐官であるマイアスです。
ある日、チェーザレたちが守るマイアスの城に、レーテ女王の三人の娘たちが遊びに訪れます。
「久しいな、チェーザレ! 後で、ぜひ手合わせをしようではないか?」
ルカシュ姫は妙齢となっても相変わらず男装し、男のような言葉遣いで話しています。
「あたしも見る!」
三女のトリノー姫は、おてんばでいたずら好きな可愛い姫君です。
「では、お相手つかまつります」
「ごめんなさいね、チェーザレ、妹たちが無理を言って」
微笑んだのは、カテリーナ姫。
偉大な祖母の名を受け継いだ、レーテ女王の長女です。
チェーザレは従順に頷きますが、その視線は、ともすればカテリーナ姫に吸い寄せられるのでした。
彼は、この姫に一途な恋心を抱いていたのです――
*
チェーザレは、城に上がってすぐ、カテリーナ姫を初めて見たその日から、彼女にすっかり心を奪われてしまったのです。
生まれつき足が不自由で歩くことができないのですが、淑やかで優しく、どこか儚げな彼女は、チェーザレにとって触れることのためらわれるやわらかな花のような存在でした。
そして、カテリーナ姫もまた、チェーザレに心を惹かれていました。
強く、礼儀正しく、物静かなチェーザレの姿は、姫の目にもとても好ましいものに映ったのです。
何度も会い、言葉を交わすうちに、その思いは、より強いものへと変わっていきました。
「ねえチェーザレ、私、遠乗りに行きたい! お花畑に行きたいわ!」
一時もじっとしていられない性分のトリノー姫が、ぱたぱたと足を踏み鳴らして叫びます。
「それでは、ご一緒いたしましょうか?」
「うむ、いいな! 私も行こう。早駆けの勝負だ!」
勝負事に燃えるルカシュ姫の性格は、今もなお健在です。
彼女は、姉姫であるカテリーナに目を向け、
「姉上は、いかがなされますか?」
「わたくしは……」
自分の足のことを思い、言いよどむカテリーナ姫に、
「私がお連れいたします」
チェーザレが言うと、姫はしばらく彼の顔をじっと見つめて、やがて花がほころぶように笑います。
「ありがとう、チェーザレ。それでは、わたくしも参ります」
心通わせる二人。
交わす視線に、言葉にできぬ想いがこもります。
しかし、いかに惹かれあっても、二人のあいだには、巨大な壁が横たわっていました。
そう、身分の差という、超えられない壁が……
チェーザレはカテリーナ姫を鞍の前に乗せ、春の野原を馬で駆けてゆきます。
それが、二人の至福の時間でした。
女王の娘と忠実な騎士、それ以上に親密な関係になることは、許されることではありませんでした。
どちらもそれを知っていたからこそ、夢のようなひとときの触れ合いに、天にも昇るような幸福を感じ、また、それが終わるたびごとに、我が身を引き裂かれるような辛さを感じたのです――
*
その頃。
ジェノヴァの若き王、ジョルジーノは、新たな侵略の計画を巡らしていました。
彼が獲ろうと決意したのは、チェーザレたちが守る、王弟マイアスの城。
その城は、両国の緩衝線からやや奥まった位置にありましたが、戦上手のジョルジーノは、大軍にひそやかに森を抜けさせ、大河を渡らせて、スフォルツァ側に知られることなく、そのすぐ側まで軍勢を進めていました。
そして、ある夜明け前、攻撃は突如として開始されたのです――
*
マイアスの城に逗留を続けていたルカシュ姫は、その朝、いつものように日も昇らぬうちから起きて城壁に上がり、朝靄のたゆたう野原を眺めていました。
城壁の上の細い通路を、不寝番の歩哨たちが、ゆっくりと歩いています。
東の空が白む中、音もなく流れる時間――この瞬間の眺めが、ルカシュ姫は一番好きでした。
と、不意に、朝靄を切り裂いて飛来した矢が、歩哨のひとりを貫いて打ち倒します!
「何事!?」
ルカシュ姫は蒼然とし、ついで、こんかぎりの大声で叫びます。
「敵襲! 敵襲だーっ!」
それが、戦闘開始の合図でした。
味方の猛烈な援護射撃のあいだに、堀を泳いで越えたジェノヴァの兵士たちが、城門の跳ね橋を下ろします。
靄に姿を隠しながらぎりぎりまで近付いていたジェノヴァの軍勢は、一気に城になだれ込もうとしました。
一方、攻撃に気付いた城側では、チェーザレ率いる騎士たちが馬に飛び乗り、決死の防戦で敵を押し戻します。
しかし、完全な不意打ちを受けて動きの鈍い味方は、次々と倒れていきます。
ついに、いくつかの建物に、敵兵が侵入しはじめました。
落城を悟った城主マイアスは、チェーザレを呼びます。
それまで鬼神のように戦っていたチェーザレは、すでに全身を敵の血で朱に染めていました。
「三人の姫たち、そして、わしの息子マイセンを本丸の館にかくまった。部下たちを警護につけてある。チェーザレよ、おまえも彼らに合流し、子どもらを守って、姉上の――女王陛下の城へ!」
無言でうなずき、チェーザレは立ちはだかる敵兵を容赦なく斬り倒しながら本丸の館へと走ります。
姫たちがいるはずの部屋には隠し階段があり、そこから城外へと落ち延びられるはずでした。
しかし、駆けつけてみると、その部屋は、すでにもぬけのからになっていました。
(姫さま!)
何が起きたというのか。
身を焼かれるような焦燥感に苛まれながら、彼は走ります。
すると、ある部屋の扉を敵兵たちが取り囲み、破ろうとしているところでした。
チェーザレは彼らに飛び掛かって斬り殺し、扉を叩いて呼びかけます。
内側から扉が開き、蒼褪めた近衛の騎士の顔が現れました。
「チェーザレ殿! 面目ない、味方はほとんどやられてしまった。敵は、あの部屋の脱出用の通路を発見し、逆にたどって侵入してきたのだ」
「姫さま方と、マイセン様は!?」
部屋に飛び込むと、そこには赤ん坊のマイセンを抱いたトリノー姫と、床に座ったカテリーナ姫がいました。
二人とも、顔色は真っ青ながら、スフォルツァの娘らしく気丈な表情で彼を見返します。
しかし、ルカシュ姫の姿は、どこにもありませんでした――
「ルカシュさまは!?」
「あたしたちが目が覚ましたときには、もういらっしゃらなかったの。もしかしたら、戦いに出られたのかもしれない!」
マイセンを抱きしめ、トリノー姫が言います。
チェーザレはくちびるを噛みました。
ルカシュ姫――自分に騎士の道を開いてくれた恩人であり、守るべき未来の主君。
しかし今、目の前にはトリノー姫とマイセン、そしてカテリーナ姫というか弱い存在があるのです。
彼は、長くは迷いませんでした。
「我らがお守りいたします。脱出を!」
チェーザレはむずかるマイセンを抱き取り、トリノー姫を部下に守らせ、カテリーナ姫に手を差し伸べます。
「さあ、おいでください!」
しかし、床に座ったカテリーナ姫は、笑ってかぶりを振ります。
「いいえ、チェーザレ。わたくしは、残ります」
「何を仰せになりますか。さあ、お早く!」
「わたくしが同行したのでは足手まといになりますわ。どうか、妹たちと、マイセンを」
自力では立つことのできないカテリーナ姫は、すでに覚悟を決めていました。
「そんな」
チェーザレは呻きました。
彼にも分かっていたのです。赤ん坊のマイセンと、足のきかないカテリーナ姫を同時に守りながら敵中を突破することなど、不可能に等しいということを。
けれど――
「チェーザレ殿、お早く!」
切羽詰まった部下の呼び声。
廊下には、焼き討ちの煙が立ち込め始めていました。
「嫌だ! 姫――」
「さようなら、チェーザレ」
愛しい男を見上げたカテリーナ姫の微笑みは、すでにこの世のものではないかのように、透き通って見えました。
「どうか、スフォルツァを守って」
止める間もなく、姫は短剣を抜いて自分の心臓を突きました。
チェーザレが悲鳴をあげて膝をついたときには、もう、その身体からは魂が飛び去ってしまったあとでした。
ついに、チェーザレへの想いを、一言も口にすることのないまま――
「チェーザレ殿、どうか、お早く!」
涙を振り払い、チェーザレは、立ち上がりました。
姫との約束を、果たさなくてはなりませんでした――
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さっそく「不幸」展開が炸裂していますね……
だいぶ昔に書いたものなので、ところどころに「う、うーん?」と感じられる表現もあるのですが、敢えて、そのまま展示をしています。
たとえば「本丸の館」とか。
「本丸」って…… なんか、日 本 の 城っぽくない?
じゃあ西洋の城郭では何というのかは、よく分かりませんが……
あと、登場人物の名前の付け方。
チェーザレ、カテリーナはイタリアとして、マイセンは磁器で有名なドイツの地方名、レーテはギリシャ神話の黄泉の国を流れる「レーテー川」から来ていますし、ルカシュ姫にいたっては、ポーランドとかあのへんの 男 の 名 前 です。
国も性別もバラバラか!
ルカシュは「男装の姫」という設定だが、それにしてもなぁ……
「今の自分なら、絶対、こうはしないのに!」
というところがたくさん見つかるということは、それだけ自分が成長した証でもありますし、喜んでいいのか何なのか……
でも逆に「凄いじゃんか!」と思うところも、たくさんあります。
物語の展開の力強さは、今、自分で読んでも「あ、こういうの好き! なかなかやるじゃねーか!」と感じます。
まあ、自分の好きな話を好きなように書いていたのだから、自分自身は楽しく読めて当たり前なのですが、つまりそれは、私の好みが昔から全然、変わっていないということですね。
三つ子の魂、百まで!
(『銀狼の恋の物語』は、まだ続きます……)




