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兎の住処

兎の夏休み

作者: 花一

兎の住処の続編です。





 兄様。黒兎(くろと)は本日も懸命に生きてます。

 夏なんて来なければいいと思うのは私だけではないはずです。暑くてジメジメして、一年で一番寝苦しい季節です。そして何より私の大嫌いなモノが必須科目になっていることです。


不知火(しらぬい)ー、もっと足動かせー」


 やってます。


「寝てばっかりいるから身体が重いんじゃねぇーかー?お、その調子その調子ー」


 ビート板を投げつけましたが、余裕で躱されました。あのドヤ顔のサングラス野郎が憎らしいです。プールサイドに上がって板を回収し、再び水中へと戻ります。無駄な体力を消耗してしまいました。

 毎年、夏になると体育で水泳の授業が入ってきます。体調不良などで一定数授業に参加できない場合は、夏季休暇中に補習を受けなければなりません。聞いた話によると、学年問わず補習の生徒を一ヵ所に集めて一週間プール合宿だそうです。そんな地獄のような環境から逃れる為に、私は今必死に足を動かしています。


「不知火ー、沈んでんぞー」


 そこのサングラス、(うるさ)いです。 





 スタイル抜群の友人は水を得た魚のように、静かな水飛沫をあげて華麗に進んでいきます。泳げない生徒と泳げる生徒はレーンを分けられていて、私は一番端のレーンを広々と使っていました。

 驚きなのが、クラスのほとんどが泳げたことです。苦手という生徒もいますが、ビート板を持たなければ沈んでしまうのは私くらいでした。

 今までは完全カナヅチがクラスに数名いて傷の舐めあいをしていたので、一人淋しい思いを噛み締めています。


「次ー、白波瀬(しらばせ)ー」


 コレが一番納得いきません。端っこのレーンを使っている生徒は二人だけで、私ともう一人はこの規格外の肉体の持ち主で、真っ赤な髪をした学園の四天王(腕力的な意味で)、白波瀬鈴兎(しらばせりんと)、2月29日生まれ、17歳、AB型、出席番号13番でした。(ちなみに私は12番です)

 去年までは余裕で数十キロ泳いでいたと聞いてます。人外が今更なにカナヅチぶってるんですか。


「白波瀬、お前は一番向こうの玄人レーンだろうが。サボんな」

「去年海で溺れてそれから水が怖くなったんですよ。それでちょっと…」

「そっか、そりゃあしゃーねーな。無理すんなよ」


 あっさり許可出さないで下さい。ホラ、こっち向いてめっちゃ笑顔ですよ。

 ただでさえ疲れる水泳の授業を、さらに神経をすり減らしながら必死に足を動かします。

 今日は肉が食べたいなー、定食はガッツリ肉定食にしよう、と食堂へ意識を飛ばしていたせいでしょうか。もうすぐ授業が終わるというときに、なんと、足が攣りました。

 こむら返りとも言いますね。相当痛いです。このような場合は身体の力を抜いて水面に浮かび、足が動くようになるのをジッと待つべきなのは分かりますが、この時の私は水を大量に飲み込んで混乱していました。

 苦しい。誰か、助けて。誰か。

 水中で闇雲に手足を動かしていると、お腹に太い腕が巻き付き凄い力で私の身体を掬い上げてくれました。

 ハッ、ハッ、ハッと乱れる呼吸と鼓動だけが耳に響きます。とにかく水から逃れようと目の前のモノに縋れば、ギュッと身体を包み込まれて安定感が増しました。

 しばらくその逞しい胸板に身を預けていると、じんわりと体温が伝わってきて眠気を誘います。意識を失ったフリしてこのまま寝てしまいたいです。


「おーい、大丈夫かー」


 プールサイドの方からサングラスの声が聞こえてきます。どうやら救助してくれたのは先生ではないようです。

 おや、と顔を上げれば、赤い髪からポタポタと水滴を垂らす男前な鬼がいました。初めて間近で見る顔は無表情で、プールで真っ赤に充血した瞳は兎のようです。

 ビシリと固まっていると、身体を支える腕とは反対の手が何かを確かめるように私の胸をふにっと触りました。


「無ぇな。小学生か?」

「三十路には言われたくありません」


 あ、と気付いたときにはすでに手遅れでした。丁度良い位置にあった発達して堅そうな首筋に噛みつきます。「痛ぇっ!!」という叫び声という共に腕が緩み、肉の檻から解放されました。


「プールサイド走るなよー」


 鬼に食われるかどうかの瀬戸際ですので勘弁して下さい。



 それからの水泳の授業は、今まで以上にピリピリと緊張した空気が流れました。赤鬼の首筋に張られた防水湿布が痛々しいです。さて、私は生きて夏休みを迎えらるのでしょうか。

 しかしここで人体の奇跡が起きました。今まで極度のカナヅチだった私が泳げるようになったのです。本能的な何かが危険を察知したのでしょう。ウキウキと隣のレーンに移って他の生徒に混じりゆったりと泳いでいると、ザワリと水面が揺れました。

 赤鬼の登場です。

 トラウマを克服したのか三文芝居を止めたのか分かりませんが、私と同じ隣のレーンに移ってきました。鬼と兎の追いかけっこです。ハイスピードで泳ぎが上達していき、夏休みに入る頃にはいつの間にか玄人レーンで人外並に泳いでいました。

 今度から自己紹介には、足が速いことと、泳ぎが得意なことです、と付け加えようと思います。






 夏休み万歳。

 夏は嫌いですが夏季休暇は大好きです。

 実家でゴロゴロしながら合間に課題をこなしつつ、クーラーの効いた部屋でのかき氷は最高です。高校最後の夏休みを満喫していると、年の離れた兄様も帰ってきました。不知火乱堂(しらぬいらんどう)、8月16日生まれ、27歳、B型、独身。薄っすらと髭を生やしていてダンディな感じのオッサンになっています。


「クロ、花火大会があるってよ。出かけようぜ」


 暑い。人ごみ。面倒臭い。この快適な空間から出る必要性を感じません。


「好きなだけ奢ってやるから」


 仕方ないですね。たまの兄孝行でもしましょうか。

 気合の入った母様に浴衣を着せられ、慣れない下駄をはいてヨロヨロと人の波をかき分けながら歩きます。

 リンゴ飴、綿菓子、イカ焼き、とうもろこし、串焼き、etc.

 両手に溢れんばかりの食べ物に涎が止まりません。しかもヒトの金ともなれば味も増すというものです。食べ物に夢中になっていると、いつの間にか隣に居た兄様が姿を消していました。振り返っても知らない顔ばかりです。

 どうやらはぐれてしまったようです。無一文の私は屋台で買い物することも帰りの電車に乗ることもできません。

 とりあえず現状報告の為に兄様にメールしました。


『ラン兄、迷子にならないで下さい』

『誰が迷子か。今どこ?』

『たこ焼き屋の前です』

『今日どれだけの数のたこ焼き屋が店出してると思ってんの』

『そこは兄様の化け物じみた勘に期待します』

『俺が探すからその場所から動くなよ』

『了解』


 道行く人の邪魔にならないように通路の端によると、子どもの泣き声が聞こえました。おや、と店の影になっている部分を覗くと、浴衣を着た小さな子どもがボロボロ涙をこぼしています。どうやらこの子も祭りに来て親とはぐれたようです。  


『ラン兄、迷子を拾いました』

『迷子が増殖してどうすんだ。合流したら迷子センターに連れていけばいいだろ』

『了解』


 坊やにリンゴ飴をあげると、とたんに静かになりました。口の周りを真っ赤にして、一生懸命食べる姿はとても可愛らしいです。私もイカ焼きの足に食らいつくと、あぐあぐと咀嚼しながら祭りの喧騒を聞いていました。

 笛のような音。

 鼓膜を震わせる爆発音。

 幾千万もの光の粒。

 綺麗だねー、と次々上がる花火を坊やと一緒に眺めていると、ぬっと大きな影が目の前を遮りました。馬鹿デカい影のせいでせっかくの花火が見えません。しかし夜でも分かるその赤い髪は、花火の色に染まってキラキラしていました。

 私服姿の赤鬼は、意外にもシャツとジーンズで、落ち着いた色でまとめていました。ちょっとだけ虎柄を期待していたのは内緒です。息が上がった様子の彼は私の隣にいる坊やを見ると「千代影(ちよかげ)」と呼びました。

 坊やは今まで我慢していたのか、顔をくしゃくしゃにすると「リンちゃーん!」と駆け寄っていきます。とりあえず誘拐の線は薄いようです。

 赤鬼は坊やの頭をポンポン撫でると、馴れた様子で肩車をしていました。


「…息子さんですか?」

「甥だ」


 どこからどう見ても親子です。

 坊やの保護者が迎えにきたことで残る迷子は私だけになりました。冷めた焼きそばをかきこんでいると、すぐに立ち去るかと思っていた赤鬼は何故か坊やを肩車したまま突っ立っていました。


「今日は一人か?」

「ここで人を待ってます」

「恋人か?」

「兄です」

「めかしこんでるな」

「母です」


 さすがに子守をしている状態で手を出してくることは無いと思いますが、赤鬼がやたらと突っかかってきます。

 この場から動かないようにと兄様から指示を受けているので逃げるわけにもいきません。ふと名案を思い付き、ポチポチとスマホを操作しました。


『迷子は保護者と合流。今、赤い髪をした鬼のような人と一緒にいます』


 赤鬼はとても大柄なので、遠くからでも発見しやすいはずです。


『www』


 何かがツボに入ったようで、兄様からのメールは草が生えていました。

 鈴兎(りんと)ー、と後ろから声をかけられた気がして振り向くと、人ごみから一つ飛び抜けた青い頭が見えました。私も何度か会ったことのある青鬼でした。「ちょ、待って、話だけでええから、だから待っ…、待てやコルァアアアア!!」と低温ボイスがなかなか素敵な方です。赤鬼も大きいですが、こっちも人並み外れて大きいので『青鬼も来たようです』と情報の追加を忘れません。

 赤鬼に肩車されている坊やを見つけると安心したように肩を落としました。


「チー坊見つかったんなら連絡しぃや。心配したって」

「悪い」


 どうやら青鬼も迷子の坊やを探していたようでした。「腹減ってへんか?ヨーヨー取ってきたからあげるわ」と隣に視線を落とし、赤鬼に右手を繋がれている私にようやく気付きました。ポカンという顔のままヒトを指さして固まっています。


「ナニコレ。ついに誘拐しはったの?」

「死ネ」


 赤鬼の抉るような蹴りが青鬼の腹に炸裂しました。骨の軋む音がしてとても痛そうです。身体を折り曲げて咳き込んでいる青鬼の後ろから「おー、居た居た」と呑気に兄様が顔を出しました。

 私を確認すると、隣に立つ赤鬼へと視線を移します。


「ぶっは、マジで真っ赤じゃん!」


 赤鬼の顔を見て思い切り噴き出しました。ただでさえ不機嫌オーラをまき散らす鬼を前にして笑い転げることができるなんて勇者です。

 赤鬼は突然現れた乱入者を敵と判断したようで、獲物(ターゲット)を如何にして捻り潰すか考えるその顔はとても(たの)しそうに歪んでいました。

 兄様はそこそこ腕が立つので簡単にやられることはないでしょうが、ここで喧嘩をされても面倒です。なにより、肩車された坊やが泣きそうになっています。

 今にも殴り掛かっていきそうな赤鬼の腕をポンポンと叩くと、最後に取っておいた大好物のバナナチョコを差し出しました。


「私と思って食べて下さい」


 兄様には私からきつく叱っておきますので。

 代わりの供物を捧げたつもりでしたが、何故かポカーンと間の抜けた顔をされました。何か変なことを言ってしまったのでしょうか。傍らでは復活した青鬼と兄様が肩をそろえて笑いを堪えていました。

 とにかくこの場は解散です。

 待っていたら小腹が空いたので、今度はクレープを食べに行きましょう。


「クロは食っちゃ寝ばかりしてるのに何でそんなに細いままなんだろうなぁ。特に一部分…」


 私の胸に視線を落とす兄様には弁慶の泣き所を蹴って差し上げました。赤鬼と青鬼の方をニッコリと振り返ると、物凄い勢いで顔を逸らされます。失礼な。

 坊やにヒラヒラと手を振って別れを告げれば「待て」と赤鬼に引き留められました。


「甥が世話になったからな。奢ってやるよ」

「漢に二言はありませんね」


 花より団子、花火よりはし巻きです。夜空に咲き誇る大輪の花そっちのけで、片っ端から食べまくりました。制覇するには時間が足りませんでしたが、お腹もふくれて満足です。

 同級生の男二人はドン引きし、坊やは「お姉ちゃんスゴイね!」と尊敬の眼差しで私を見ていました。


「少しは成長するといいな。特にココ」


 兄様はまた脛に一撃をもらっていました。前回と同じ場所を狙ったので、いい薬になったと思います。

 最後の花火連弾は、赤鬼に抱っこしてもらいながら見ました。平均よりも身長の低い私が見える場所を探してウロウロしていたのを見かねたようです。肩車をリクエストしましたが「浴衣着てるからダメ」と兄様からストップが入りました。残念です。

 坊やはいつの間にか青鬼の方へと移っていました。「デンちゃん高~い」とキャッキャする坊やに青鬼はデレデレです。ショタコンかと少々心配になります。


「なぁ、ーーーー、ーーーー…」


 たくさん歩いて疲れた私は、満腹感もあっていつの間にか赤鬼の腕の中で寝ていました。

 何か耳元で聞こえた気がしますが、オヤスミナサイ。







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